20 / 25
第10案:後編
そう。俺がやっていることは、ある意味では井合課長と同じことなのだ。
この場に居る職員の平静さを失わせて、企業提携を締結させる。有り体に言ってしまえば、違いなんて無いのかもしれない。
だが、なりふり構っていられないのが俺の本音だ。どんな形でもいいから、この場に居る全員に商品のメリットを実感させ、企画書を通してみせる。
──それだけが、俺に科せられた王命だ。
──それ以外、俺がすべきことはなにもないと。それ以外のことに目を向けるなと、あの人が言っているから……。
この場に居る職員は、全員男。思うところがあるのか、誰も口を開こうとしない。
──が、この人が黙っているわけがなかった。
「──自慰行為をしない人にとって、メリットはなにがある?」
──元上司が、口を開いたのだ。
アダルトグッズなんて、一部の人間しか使わない物だろう。それら全てに共通するかもしれない問い掛けを、俺に投げかけている。
明らかに、俺を試して──嘗めているのだ。
営業課に所属していた時、この課長はいつもこうだった。気に入らない奴、使えない奴には頭ごなしに否定的な意見を吐き、精神的に追い詰めて悦に入る。悲しいほどになにも変わっていない、あんまりなやり口だ。以前の俺なら、萎縮していただろう。
だが、今の俺はそうじゃない。みっともなく、お前ごときを相手にして落ち込んでなんかやるものか。
──こちとら、毎日発狂レベルのセクハラを受けて、身悶えレベルのアプローチを繰り返しているのだぞ。
俺は元上司を見下ろして、ハッキリと答える。
「これは自慰行為の際に使用することだけを想定して、考案した物ではありません」
「……なんだと?」
俺はわざとらしく、顎に手を当てて考えるような所作をした。
「例えば……そうですね。自分が射精したと、バレたくない相手が家に居る。だけど、そういう行為をしたい。……そんな時にも、役立ってしまう商品だと思います」
「……? それが自慰行為だろう?」
「いえ、自慰行為だけではありませんよ」
俺は顎に手を当てたまま、あえて視線を下に向け……まるで、独り言のように呟く。
「──あまり悪用する側のことは考えたくはありませんが……例として、妻帯者が奥様以外と関係を持ったとき。証拠隠滅の道具として、使えるかもしれませんね……」
「──ッ!」
もう、気付いたのだろう。息を呑み、動揺を隠せていない貴方の所作が、その答えだ。
──【不倫相手と、挿入を伴わない触れ合い程度の性関係を築いている】。そんな貴方には、魅力的な商品だということが。
チラッと、井合課長に視線を投げる。その姿を見て、俺は胸を撫で下ろしたくなってしまう。
──あぁ、良かった。
──あんなにも満足そうな笑みを、浮かべてくれている。
勿論、この企画書は穴だらけだ。現実的にどうやって制作するか、肝心の科学的証明が書いていないのだから。
けれど、企画が俺のやるべきこと。その先は、井合課長を信じたい。
『フォローして、信じてやるのが、俺様の役目だろう?』
井合課長が上司だったからこそ、提案できた商品だ。
その場に居る全員が、なにかを気にしているのか……徐々に、顔が赤くなっている。
……ん? 顔が、赤く……?
ふとした疑問を抱いた瞬間、井合課長が立ち上がった。
「これ以上の審議は不要だろう。俺様が言うのもなんだが、そろそろ自分の持ち場に戻らないか? 課長職が長々と事務所を開け続けるのは部下に対して忍びないからな」
この審議会は、井合課長が無理矢理取り付けたものだ。皆、突発的な会議のためにわざわざ時間を割いて、出席している。
だから、その一言は井合課長の優しさ。……そう思うも、なにかが引っ掛かって仕方ない。
「この企画に反対の者は、起立!」
井合課長の言葉を聞いて、誰も立ち上がらなかった。
──つまり、企画書は……通った、のだ。
「それじゃあ、例の会社と提携することは決定だ。もう異論は認めないぞ。今この場で、全員が賛成したのだからな!」
そう言い、立ち上がった井合課長の顔は。
……なぜか、不敵な笑みを浮かべていた。
第10案【ご清聴を感謝します】 了
ともだちにシェアしよう!