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第3話
「え、なんで? 何がよかったの? ……って、綾斗ががんばったからか」
それもあるけど。
綾斗は、はっきりと、頭の中にその文字を思い浮かべた。
『Created by S.Kujo(エス・クジョー)』
ソースコードに書かれたその作成者の表記が、どんなに尊く、頼もしく見えたことか。
綾斗に目指す道を示してくれたS.Kujoは、綾斗にとって、プログラムの神様だった。
綾斗の派遣契約の期限は三月末までだった。今までの自分のままだったなら、今回の派遣先はたまたまいい会社だった、というだけで終わっただろう。それが正社員に、という話が出るまでに自分が成長できたのは、間違いなく――。
「S.Kujoのおかげだよ」
その名前を口に出すと、誇らしい気持ちになる。自然と口元がほころび、笑顔になる。
S.Kujoのことは、これまでも時々加宮に話していた。加宮は綾斗の緩んだ顔を見ながら、ふと聞いてきた。
「ねぇ、そのS.Kujoって、アルファ?」
聞かれて、面食らう。思わぬ質問だった。
「……ああ、うん。そうだけど」
すると加宮は途端に、にやっと笑った。
「なぁんだ、綾斗にもいるんじゃん。気になる人」
言われて、すぐには話が飲み込めなかった。
「え? ……いやっ、違うって! S.Kujoはソースコードの中だけの人だよ?」
「きっかけなんてなんでもいいよ。プログラムから始まる恋があってもいいじゃん」
「いや、ないよ。ない」
「何歳?」
「何歳って……ええと……二十七……かな。……っていうか、僕、顔も知らないし」
「だったら調べればいいじゃん。元は綾斗の会社にいた人なわけでしょ? 今どこにいるか、探せないの?」
「それは、探そうと思えば……S.Kujoのお兄さんが会社にいるから、その人に聞けばわかるかもしれないけど」
「え、ちょっと待って。なんで兄弟で同じ会社にいるの? 偶然……じゃないよね?」
「うん。S.Kujoとそのお兄さんは、社長の息子さんだから」
加宮は目を丸くした。
「何それ、社長の息子!?」
うん、と頷きながらも、自分で言っていて変な感じだった。
S.Kujoが社長の息子であることは知識として知っていたが、それをこんなふうに口に出すと、なんだか違和感がある。
S.Kujoはプログラムの神様で、だから、自分とは交わらない違う次元に住んでいる。綾斗にとってはそういう感覚なのだ。
「すっごい玉の輿じゃん!? なんだよそれ、絶対会いにいくべきだって!」
「会いにいくって……」
憧れはある。遠目に姿を見られるものなら見てみたいという気持ちもある。けれど、自分が話しかけたいなどとは思わない。
結局、会いにいけと何度も言われつつ、無理だし行かないと答えながら帰路についた。
「おはようございます」
綾斗はいつも通り挨拶をしながら、オフィスビルの一角にある会社に足を踏み入れた。
ラボシステム株式会社。従業員四十人ぐらいの中小企業で、綾斗が派遣されている会社だ。社員の人たちは略して「ラボ」と呼んでいる。
綾斗はシステム部にある自分の席に鞄とダウンジャケットを置き、パソコンを起動して、給湯室に向かった。
もうすっかり慣れた手つきで、コーヒーメーカーにコーヒーと水をセットする。当番というわけではないのだが、コーヒーを飲む人の中では綾斗が一番早く出社するため、朝一のコーヒーは自然と綾斗が毎日セットするようになっていた。
「やあ、白藤君。今日もコーヒーがいい匂いだねぇ。おはようー」
マイペースな、のんびりとした声が後ろからかけられる。そのノリに合わせて緩く対応する社員も多いことは知っているが、自分はまだ派遣だし、何よりオメガだ。綾斗は立場をわきまえて笑顔を作り、はきはきと挨拶しながら振り返った。
前髪が少し長めでふんわりとセットされた髪型に、優しげな目元。それに細いフレームのメガネが加わって、なんとも癒やし系な顔になる。身長は百八十近くあるが、ほっそりとしていて、まったく威圧を感じない。三十歳とは思えないほど若々しく、まさに子供の頃に抱いた「お兄さん」というイメージがぴったりの人だ。
九条(くじょう)冬重(ふゆしげ)営業部長。正式には取締役営業部長というらしい。社長の息子だが、社長はいつも親会社の方にいるので、このラボシステムでは実質のトップであり、アルファだ。
優しげで、生まれつきのエリートというアルファのイメージとは少し違うが、こう見えて、かなりの人たらしだ。
社内で好かれているのはもちろんのこと、ひとたび営業に出向けば、帰る時には事務員の女性陣全員に「お兄さん、お兄さん」と慕われるスキルを持つ。顧客担当者からの信頼も厚いらしい。
ビジネスはウィンウィンじゃないとね、が口癖で、「おたくのシステムを導入したい」と呼ばれていけば、「御社にうちのシステムは必要ありません」と説得して帰ってくることもままあるという、超顧客目線な人だ。それでこの前も副社長の羽柴(はしば)と、
「また断ってきたのか!?」
「だってあそこ、うちのシステム合わないしぃ。あ、違うところの紹介してきたから」
「このぼんくらアルファがぁぁぁ!!」
という会話をしていた。ちなみに副社長はベータだ。
それでも口コミで部長の誠実さは伝わっていて、ラボシステムでは売り上げナンバーワンの営業である。
そして、この人がS.Kujoの兄でもある。
知識としては知っていたが、それを意識したことはなく、なんだか新鮮な思いだ。
部長は給湯室に置いてあるマイカップを取りながら、「ところでね」と話しかけてきた。
「白藤君には、明日、大学に行ってもらうことになったから」
「え、そうなんですか」
今週になって、綾斗は新しくデータ連携のプログラムを作ることになっていた。近くの大学で、新システムを四月から稼働させることになっていて、その新システムに既存システムからデータを送るプログラムだ。
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