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第4話

 ラボシステムは、その新システムの開発元であるJCISの販売代理店でもあり、JCISと大学の間に入って橋渡し的な仕事を行っている。既存システムとの連携プログラムを作るのも、販売代理店としての業務の一環だ。  そして、そのプログラムの仕様は先輩社員の日野原(ひのはら)がすでに手をつけていたのだが、日野原に急ぎの仕事が入ったため、急遽、仕様も綾斗が担当することになったのだそうだ。  仕様を作るためには、大学の担当者と、JCISのシステムエンジニア(SE)、この二人とやり取りする必要がある。大学に行くのは、顔つなぎの挨拶と、今後の打ち合わせのためだ。 「僕が社外の人とやり取り、ですか」  綾斗にそんな経験はない。  しかも、JCISは一部上場の大手システム開発会社だ。そんなすごそうなところのSEと、自分がちゃんと話ができるのだろうかと、つい不安を覗かせると、部長が明るい声で言った。 「大丈夫。大学の担当者からの聞き取りはすんでるし、JCISのSEっていうのは、うちの元社員だから」 「あ、そうなんですか?」  それなら、と思わずほっとした声を出すと、部長はにっこり笑った。 「九条重春(しげはる)。僕の弟だよ」  どくんと、心臓が大きく脈打つ。  S.Kujoだ。  システムのソースコードが脳裏に浮かぶ。S.Kujoの脳内イメージはそれだった。  あの神々しいソースコードの人に、自分が会う? 明日?  それからは動転して、何を話したかあまり覚えていない。「それじゃ、よろしくね」とマイカップにコーヒーを注いで去っていく部長を、ぼんやりと見送る。  S.Kujoの「S」って、「しげはる」だったんだ。  考えなければならないことは山ほどあるはずなのに、今はそれしか思い浮かばなかった。  翌日の午前中、綾斗は日野原と大学に来ていた。  大学の校舎に入り、丸テーブルと椅子が並んだ多目的スペースに入る。学生たちが自習などに使う場所のようだが、今は誰もいない。  綾斗は椅子に座り、まるで注射の順番を待つ子供のような心境で、避けがたいその時を待っていた。  S.Kujoと会える。  それは凄まじいストレスを綾斗に与えていた。  綾斗だってS.Kujoに会いたいし、話したい。少しでもいい印象を持ってほしいし、できるものなら今までの感謝を伝えたい。  昨日、仕事帰りにスーツを買いにいった。吊るしのスーツだが、今までで一番高いスーツを、セール対象じゃないのに買った。ワイシャツも買った。ネクタイも買った。靴下も買った。意味がわからないが下着も買った。勢いで菓子折まで買って帰った。そしてふと気づいた。  自分が元いた会社から来た、見知らぬ男から、「貴方は僕の神様です」と言って菓子折を渡される。  怖い、怖すぎる。ホラーだ。  それに気づき、すんでのところで菓子折を持参するのは踏みとどまった。  そして今、全身新調した服に身を包み、一番上に着古したダウンジャケットを羽織っているという意味不明な格好で、綾斗は縮こまっていた。  もはや何も言うまいと、綾斗は固く決めていた。  相手は神のようなアルファなのだ。いや神なのだ。自分のようなハズレオメガが相手にされるはずがない。きっと何を言っても気分を害されるのがオチだ。  大体、これは仕事だ。ファンがアイドルに会いにいくイベントではない。  それに、まだまだビジネスの場にオメガは場違いという風潮もある。変なことを言って関係を悪くしたら、正社員の話が飛ぶ。  自分は石だ。へのへのもへじだ。S.Kujoの記憶に残るようなことは一切するなと自分に言い聞かせる。  S.Kujoと顔を合わせるのは、多分、この一回だけだと聞いている。あとは電話かメールでやり取りをして終わりだ。嫌われなければいい、ただそれだけだと必死に念じた。 「お前、S.Kujoに会えるからって、緊張しすぎじゃね?」  日野原があきれたような目を向けてくる。綾斗がS.Kujoのソースコードを好んで真似ていることは、システム部の人には知られていた。 「相手がアルファだからってさ……別に、普通に、ずっと憧れてましたって言えばいいんだよ」  そんなことをさらりと言われて、ぎょっとする。  綾斗がS.Kujoに対する憧れを社内で秘密にはしていないのは、S.Kujoがソースコードの中だけの人だったからだ。それが、仕事で実際に会って、「ずっと憧れてました」なんて言ったら、「オメガが仕事をするのは玉の輿目当て」などと揶揄されかねない。オメガとは常にそういう目で見られるものなのだ。  綾斗が正社員になる話だって、実際になれるまでは油断できない。システム部の部長と九条部長が賛成して決まったものの、副社長の羽柴は反対だったと噂で聞いている。他の社員だって内心ではどう思っているかわからない。変なことをして、足下をすくわれたくはなかった。 「いえ、あの、仕事ですので。余計なこと言うつもりはないです、はい」 「……あそう」  日野原はちらりと腕時計を見ると、 「まだ時間あるな。俺、トイレ行ってくるわ」  そう言って席を立った。  え、と心細い気持ちでその背中を見送る。日野原は廊下を曲がって見えなくなった。  なんか嫌な予感がするんですけど。これ僕一人の時に、S.Kujoが来るんじゃ……?

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