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第5話
今になって、S.Kujoがどんな姿なのかと想像し、かつて婚活で出会ったアルファたちを思い出した。
精悍な顔立ちで、冷徹な目をしている。隙のないスーツ姿で現れ、アルファのオーラを放ち、相手を絶えず緊張させる。そして研ぎ澄まされた視線をこちらに向け、綾斗がどの程度の人間か瞬時に品定めするのだ。
それを思い出し、ぞくりと背筋が寒くなる。もし神話の神々が現世に降臨したらこういう感じじゃないかな、と思う。綾斗のイメージでは、神とは万能で無慈悲なものだ。だからきっと自分が神と崇めるS.Kujoも、そういうアルファに違いない。
その時、かつんと音がした。
人気のない廊下にかつん、かつん、という音がよく響く。しかも、廊下を曲がった向こうから聞こえてくるので、音の正体はわからない。そしてこちらに近づいてくる。
どっ、どっ、と、綾斗の心臓が体の中でバウンドする。緊張しすぎて今すぐ逃げ出したい心境なのに、目を離せない。
果たして姿を現したのは――松葉杖をつき、左足にギプスを巻いた、コートにスーツ姿の男だった。
その予想外の姿に、目が釘づけになる。
金属製の松葉杖を両脇に挟み、二本の松葉杖を同時に前に出しては、一歩一歩、こちらに近づいてくる。顔が判別できる距離まで来たところで、目が合った。
烏の濡れ羽色のような黒い目に、黒い髪。前髪は上げていて、男らしい端整な顔立ちが遮るものなくよく見えるが、表情がない。人形のように生気のない目でこちらを見ている。
いつの間にか、綾斗は椅子から立ち上がり、とととっと駆け寄っていた。無意識の行動だった。それを目で追いながら男は言った。
「JCISの九条です。そちらは、ラボシステムの?」
やっぱりこの人が……S.Kujo……っ。
「は……はいっ、ラボシステムの、白藤です」
心臓がどくどくと、早鐘を打っている。
松葉杖も驚いたが、その生気のない蒼白な顔の方が衝撃だった。顔立ちが整っているだけに、どこか浮世離れしているというか、この世に生きていない感じがする。
「日野原さんは?」
「日野原さんは、トイ……席を外していて」
「トイレか。そちらで待たせてもらっても?」
「は、はい」
綾斗はさっきのテーブルに戻って、自分と日野原の荷物を取ってくると、九条に一番近いテーブルにそれを置いた。九条のために椅子を引くと、九条はゆっくりと松葉杖をつきながら椅子の横に来た。
並ぶと背が高いのがわかる。百八十は超えているだろう。体には厚みがあり、ほっそりした兄とはまた違う。でも、こんなにも体格はいいのに、アルファのオーラはないに等しい。研ぎ澄まされた視線もない。隙のないスーツ姿、どころか、ギプスを巻いているため左足はサンダルだった。
あまりに想像外の姿に、さっきから目が離せない。
「あ、あの、その足……」
「ああ。先月、ちょっと」
話題にしたくなさそうな雰囲気を感じて、「足、大丈夫ですか?」とも続けられない。顔色の悪さも気になるが、初対面なので、この生気のなさが異常なのか通常なのかもわからない。
横でおろおろしている綾斗をよそに、九条はテーブルに松葉杖を立てかけ、座るのかと思ったら、背広の内ポケットから名刺入れを取り出した。
え……僕と名刺交換?
てっきり、大学の担当者とだけ交換するものと思っていたので驚く。だって僕は、オメガなのに?
綾斗は、「男オメガならこう」とイメージされる通りの外見のため、オメガだと気づかれやすい。特にアルファには大抵一目で看破されるので、九条も気づいているだろう。
オメガでも、ビジネスパートナーとして接してくれるんだ。しかも、松葉杖をついてる状態なのに、座りもせずに、ちゃんと立って。
そんな真っ当な対応をされてむしろ焦りながら、昨日買った名刺入れから、昨日支給されたばかりの名刺を取り出した。
両手で胸の高さで持ち、名刺を差し出して頭を下げる。家で何十回も練習した。
「ラ、ラボシステムの白藤綾人と申します。よろしくお願いしますっ」
渡すだけで精一杯で、名乗りも早口になってしまう。顔を上げると、九条はこちらを静かに見ていた。目が合うと、わずかに微笑む。
「お名刺頂戴します。私は株式会社JCISの九条重春と申します。よろしくお願いいたします」
綾斗は口を半開きにして見上げていた。
かっこよすぎる。
営業スマイルだとわかっていても、目を合わせて微笑まれ、脳が沸騰しそうになる。顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。
それを見て、名刺を差し出したままの九条は怪訝そうにした。
「……どうぞ?」
「あ、は、はいっ」
慌てて受け取り、マナー本の記述の通り、もらった名刺はテーブルの上に置く。九条もそうしていた。そして二人で椅子に座った。
沈黙が落ちる。
話したいことなら山ほどある。けれど、何を言っていいかわからず、また焦る。
「……ラボシステムには、いつから?」
九条が名刺を見ながら聞いてくる。話題を振ってくれたのがわかった。
「え、あ、僕、四月から来てて、ほんとはまだ派遣社員なんですけど、今度、正社員になれる予定で……あの、来年度の四月から……」
自分でもいたたまれなくなるほどたどたどしく言うと、九条は顔を上げ、その青白い顔を緩めて笑ってくれた。
「そうですか。それはよかったですね」
さっきの営業スマイルよりも、わずかに親しみが込められているように感じられ、どくんと心臓が跳ね上がった。
この人は、なんて人間らしいのだろう。
神様なのに、こんなにも普通に接してくれる。同じテーブルについて、言葉を交わせて、手を伸ばせば触れられる場所に、いる。
顔が熱を帯びていくのがわかる。
どうしよう。こんなの、信じられない。
まともに相手にされるわけないって、思ってたのに。
「あーっ、九条さん、来てたんすか」
そこに日野原が戻ってきて、打ち合わせが始まった。
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