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第6話

 かつては、綾斗も現実の恋愛に憧れていた。  綾斗の父はベータで、母もベータ。さらに言えば兄も祖父母もベータだが、中学の時、綾斗はオメガだと判明した。  歴史的に長らく、子供のバースは血筋で決まると思われてきた。実際、アルファが生まれやすい家系というものは確かに存在する。しかしオメガについてはメカニズムが解明されておらず、どういう親から生まれるのか、いまだに法則がよくわかっていない。  従って、綾斗がオメガであっても別におかしくはないのだが、父母は困惑した。うちの子に限ってそんなと、世の親は思うものなのだろう。  同じオメガでも、女オメガと男オメガでは、社会的地位が全然違う。  女オメガの場合、就職差別を受けるのは男オメガと同じだが、結婚についてはここ数十年で大きく事情が変わった。昔は「オメガが産んだ子はオメガになりやすい」という迷信があったが、それが科学的に否定されたため、男アルファはつがいにできるオメガ女性を妻に望むようになり、今では女オメガは裕福な男アルファと結婚できることが多くなっている。  それに対して男オメガは、そもそも少数派(マイノリティ)だ。バースによって男女比は違っていて、アルファは女が少なく、オメガは男が少ないのだ。このため、「男なのに子を産む」ことは奇異の目で見られ続け、歴史的に忌避されてきた。そういう差別意識は現在も残っていて、男オメガはどのバースからも結婚したいと望まれず、就職差別もあるため、風俗に行くしかないという状況になりやすい。女オメガとは雲泥の差だ。  綾斗がオメガだと判明してから、母は友達や親戚に、兄の話はしても、綾斗の話は一切しなくなった。「お兄ちゃんはベータなのに」、「せめて女の子だったらよかったのに」。事あるたびにそう言われた。  早く家を出たかった。  ベータの家庭で居場所を失った綾斗は、自然とアルファとの恋愛に憧れるようになった。  アルファとオメガの間にしかない、つがいという特別な絆。つがいになれば、オメガのフェロモンはつがいのアルファにしか効かなくなり、アルファはつがい以外のフェロモンにあまり反応しなくなる。そんな特別な関係になれば、自分にも居場所ができると思っていた。  だが、そんな浅はかな幻想はあっさり崩れ去った。  中学三年の時、綾斗は東谷(とうや)というクラスメイトのアルファにうなじを噛まれた。  東谷は王子様のようにかっこいいアルファで、綾斗は恋心を抱いていた。その気持ちを知られ、戯れに噛まれたのだ。  つがいが成立するのは、オメガが発情期を迎えてからであり、綾斗はまだだった。だから、ただの子供の遊びですむはずだったのに、何日経ってもうなじの噛み痕は消えなかった。  つがいが成立したのかもしれない。  発情期のオメガのうなじをアルファが噛むとつがいになる。これは確実につがいになるための条件であって、これ以外の条件でつがいになるケースも希にある。だから、遊びでうなじを噛むのは危険な行為なのだと、保健室で聞いて初めて知った。  それを東谷に話したが、「男オメガなんかとつき合う気はない」と、ろくに取り合ってもらえなかった。つがいを一人しか持てないオメガと違い、アルファはつがいを複数作ることができる。受け止める深刻度はまるで違っていた。  東谷だけではなく、父母も何もしてくれなかった。東谷の親に何か言うようなこともせず、つがいが成立したかどうかも不確かなのに、そんなことで騒ぐこと自体が恥ずかしいという感じだった。  つがいになった場合、オメガは発情期にはつがいのアルファしか受けつけない体になる。しかも発情期以外は、女オメガは妊娠率が低くなり、男オメガの場合は妊娠できない。つまり、つがいのアルファに捨てられれば、オメガは誰かと愛し合うことが非常に難しくなる。  そんな人生を揺るがす大事件なのに、誰もまともに取り合ってくれないことに綾斗は愕然とした。自分は男オメガだから適当にあしらっていい、どうでもいい存在なのだと、痛烈に思い知らされた。  結果的に言うと、つがいは成立していなかった。高校生の時に発情期を迎えたが、綾斗のフェロモンは他のアルファにも効力があった。薄く東谷の噛み痕は残っているが、それはただの傷跡なのだろう。  つがいが成立していなかったとわかり、綾斗は高校卒業後、すぐに婚活を始めた。こんな行きずりでつがいにされる危険があるぐらいなら、早く結婚したかったのだ。婚活の方法はいろいろあるが、綾斗は「マッチング」を選んだ。  マッチングとは、国が運営するオメガ専用の婚活システムで、そこに登録すると、オメガとの結婚を希望する相手とデータのマッチングが行われ、条件に合う相手と会い、その場で性交して相性を見るというものだ。  オメガとの結婚を希望する相手というのは、ほぼ百パーセント、体の具合がいいかどうかを最重要視する。だからこれが一番効率がいいのだ。しかし結婚する気のない遊びの男も多数利用しており、「公の売春施設」とも裏で言われている。それを承知の上でマッチングを選んだ。自分は男オメガだから、普通に婚活をしても駄目だと思ったからだ。  そこで何十人の相手とセックスしただろうか。もう覚えていない。  相手の半分は遊びだった。そして残りの半分には選ばれなかった。  お断りされる理由は共通していた。「オメガにしては、セックスがよくない」。  そう言われて、セックスの講習を受けた。発情期にマッチングをしたこともあったが、それでも駄目だった。何回か続いた相手もいたが、最後は「しっくりこない」と断られた。  アルファの人は、何よりも自分の感性や本能を信じる人たちだった。匂いが好みか、体の相性がいいか、そういうことを重視していて、綾斗の中身など気にもとめていなかった。それはつまり、せいぜいオメガは愛玩対象であり、人格のある一人の人間として見ていないということだ。そして優秀そうなアルファほど、そういう傾向が顕著だった。  アルファにとって、自分はそういうものなのだと理解した。  女オメガは知らないが、少なくとも男オメガは、オメガとしての性能がすべてなのだ。綾斗の人格や人柄など誰も見ていない。綾斗のオメガとしての性能が望む水準に達しているかどうか、評価はそれだけであり、人間らしい触れ合いなど望むベくもないのだ。  それを思い知って以来、綾斗は恋をしなくなった。  オメガとしてハズレの自分を愛してくれる人なんて、誰もいない。いるとしたら、会えるかどうかもわからない、運命のつがいだけだろう。  だから、恋愛を楽しめるのは、運命のつがいと結ばれるドラマの主人公に自分を重ねて一喜一憂する時だけ。  そう思ってきたのに。

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