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第3話
「そういうわけで、僕はこれから黒澤さんの監視役として、しばらく行動を共にさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
ロクは居住まいを正し、ぺこりと頭を下げた。
「行動を共にって言われてもなあ」
「お仕事の邪魔になるようなことはいたしませんのでご安心ください。ちなみに大王さまから現世のお金を少々いただいて参りました」
「別に金の心配はしていないが……」
桔平は腕組みをして「うーん」と唸った。
「とにかく桔ちゃ……黒澤さんは普段通りに生活していただいて結構です。ただし何か罪を犯したり、嘘をついたりした場合、僕は大王さまに報告しなくてはなりませんので、くれぐれも気をつけてくださいね」
「まさか嘘をついたら……」
「はい。舌を抜きます」
「やっぱりかっ!」
なぜか桔平は嬉しそうに瞳を輝かせて、身を乗り出してきた。
「嘘つくと舌を抜かれるって、本当だったんだな。お前、あれ持ってないのか? あのペンチみたいなやつ」
「あれは人間が作った誤ったイメージです。嘘をついた罪人の舌を抜くのは閻魔ではなく、主に閻魔卒という鬼です。ほら、黒澤さんを天界に案内しようとした」
「ああ、あいつか」
おどろおどろしい鬼の姿を思い出したらしく、桔平は顔を顰めた。
「大王さまをはじめ僕たち閻魔は、罪人をどの地獄に送るかを決めるだけで、実際に手を下すのは主に彼らの仕事です」
「分業制ってことか」
「はい。でも、閻魔もまったく舌を抜かないわけではありません。時と場合によっては自ら手を下します。地獄も最近、人手不足なんです」
「少なくとも〝人〟手ではないわな」
桔平は苦笑した。
「しかしお前、そんな可愛い顔して罪人の舌を抜くなんてすごいな」
「えっ、可愛いなんてそんなっ」
ぽっと頬を染めると、桔平は「食いつくところが違う」と短いため息をついた。
「そもそもお前、俺が嘘をついているのかどうか、わかるのか」
「もちろんです」
罪人でなくても、人は嘘をつく時、あるいは嘘をつこうとする時、その心や身体には大なり小なりの変化がある。表情の動き、視線の揺れ、心拍や呼吸の乱れ、発汗など、ほんのわずかな信号を見極めることこそが閻魔の仕事だ。
ロクはまだ修業中なので、残念ながら百パーセント正確にというわけにはいかない。だから罪人の舌を抜いたこともない。それでもいつの日か一人前になった時のために「舌、抜きますよ」という台詞だけは日々欠かさずに練習している。
「つまり俺は、嘘発見器と一緒に暮らすってわけか。なんだか気が重いな」
「黒澤さんが嘘をついたら、舌、抜いちゃいますからね。覚悟してください」
精一杯迫力のある表情で告げたのに「はいはい」と軽くあしらわれてしまった。
――もう、ちっとも本気にしていないんだから。
ぶーっと膨れたロクだが、それよりも桔平が徐々に閻魔や地獄の存在を受け入れてくれていることが嬉しい。
「舌を抜かれるくらいで済むのは、軽い罪です。罪が重くなれば罰も重くなります」
「だろうな。俺が行ったあそこは、白洲のようなものなんだろ?」
「ええ。地獄はあの先にあります」
「お前、行ったことあるのか」
「修業を始めた頃、一度だけ見学に行きました」
ロクが見学したのは、八つの地獄の中では一番現世に近い場所にある『等活地獄』という地獄だった。殺生をした者や暴力を振るった者が送られる。
「殺生と言っても、殺人だけではありません。むやみに動物を殺した者も、等活地獄に送られます」
「俺は常々、動物を虐待するようなやつは地獄に堕ちろと思っていたが、ちゃんと堕ちていたんだな」
桔平は満足げに頷いた。
「等活地獄には、牛の頭をした牛頭や馬の頭をした馬頭といった獄卒がいて、槍とか棘のついた金棒とかで、罪人を痛めつけます」
「おう、やれやれ。動物を虐めるようなやつはどんどん痛めつけろ」
桔平が自分たちの仕事を理解してくれたことが嬉しくて、ロクはついつい饒舌になる。
「彼らは逃げる罪人をどこまでも追い回します。絶対に逃がしません。追い詰めて、手にした金棒で頭から足まで全身を殴りつけて、骨まで粉々にするんです」
「骨まで……」
桔平が、うえっと顔を歪めた。
「その後、全身の皮を剥いで、肉を削ぎます。あちこちでものすごい悲鳴が上がります」
「うげ……」
「そこからさらに火で焼かれたり、熱湯で釜茹でにされたりという、熱責めを施される者もいますね。それから――」
突然、うぐっと酸っぱいものが込み上げてきた。
「どうした」
「すみません……思い出したらちょっと気分が」
「だろうな。それ以上はもういい。飯が食えなくなる」
「少々詳しくお話ししすぎました。申し訳ありません」
あまりの恐ろしさに五分で気を失い、その後もしばらく悪夢にうなされたことを思い出した。とてもじゃないけれど、もう一度行ってみたいとは思えない場所だ。桔平はちょっと青い顔で「仕方ない。それがお前の仕事だもんな」と力なく頷いた。
「ところで二十四時間監視するってことは、お前、病院にもついてくる気なのか」
「そのつもりですが」
「スタッフになんて紹介すればいいんだ」
「そうですねえ、学生時代の同級生とか?」
「何をどうすると俺とお前が同い年に見えるんだ。そもそもお前、何歳なんだ」
「大王さまがおっしゃるには、二十歳だそうです」
閻魔には年齢という概念がない。だからロクの年齢は見習いになった時のまま止まっている。当時ロクは一歳半前後の猫だった。人間に換算するとおよそ二十歳になるらしい。
「二十歳……」
桔平は噴き出すのをこらえるように、口元をひくひくさせた。
「同級生でなければ親戚とか……あ、そうだ、恋人というのはいかがでしょう」
せっかくひと月も一緒に過ごすのだからと、ダメ元で提案してみたが、桔平は「恋人だとぉ?」と声を裏返した。
「同級生では無理があるとお考えのようなので、恋人の方が違和感がないかと」
えへっと照れるロクに、桔平は取りつく島もない顔で「却下」と言い放った。
「違和感だらけだろ。てか違和感しかないわ。そもそもお前、男だろ」
「現世には同性の恋人同士も少なくないと聞いていますが」
「そういう問題じゃなくて……ったく、半端ない変化球だな」
桔平はくしゃくしゃと髪をかき上げた。
「大体、同級生だとか恋人だとかいうのも、嘘になるんじゃないのか?」
「必要悪は許されます」
人間関係の潤滑油となる些細な嘘まで罪に問うていては、それこそペンチが何本あっても足りない。
「ただ小さな嘘も累積すると処罰の対象になりますので、お気をつけください」
「イエローカード累積で退場、みたいな感じか」
「イエローカードとはどういったものでしょう?」
「まあいい。わかった……とは言いがたいが、腹が減った。ひとまず飯にしよう」
釈然としないが受け入れるしかない。そんな表情で桔平は立ち上がった。
「ご理解いただけて嬉しいです。ありがとうございます」
「理解はしていないぞ。それにもしお前が本当に閻魔だとしても」
「本当に本物の閻魔です」
「本物の閻魔であっても、俺以外の人間に自分が閻魔だと言いふらすな。心臓が持たない。俺たちふたりだけの秘密にしろ。いいな」
「ふたりだけの秘密ですね!」
ロクは、ぱあっと顔を輝かせる。
「だから、いちいち食いつく場所がおかしいんだよ。なに目ぇキラキラさせてんだ。とにかく絶対に秘密だからな」
「はい。わかりました。どうぞよろしくお願いします」
ロクはソファーから立ち上がって深々と一礼する。桔平は「なんでこんなことになったんだろう」とぶつぶつ言いながら、キッチンへ向かった。が、途中で足を止め振り返った。
「ところで閻魔って、何食うんだ?」
「え?」
「飯。ここには人間の食い物しかないぞ」
「ああ、それでしたら大丈夫です」
閻魔は生き物ではないので食事をしない。空腹を覚えることもない。しかし現世に戻ったロクの身体は人間のそれだ。人間と同じものを食べ、人間と同じように眠る。
「俺と同じもので大丈夫なんだな?」
「はい。ただ……すみません、僕、食事の支度は経験がなくて」
「手伝ってもらおうなんて思ってねえよ」
閻魔大王が持たせてくれたお金を出そうとすると、桔平はそれを拒絶した。
「余計なこと考えなくていいからそこで待ってろ。できたら呼ぶ」
そう言い残し、桔平はキッチンに向かった。背中を見送ったロクはソファーでころんと丸くなる。
物を口にするのは久しぶりだ。しかも猫の餌ではなく、人間の食事をするのは初めてで、わくわくが止まらない。しかも桔平が作ってくれる料理だなんて。
「……最高すぎる」
身悶えしながらクッションを抱きしめると、ふわりと桔平の匂いがした。
あの頃とは少し違う大人の男の匂い。けれど間違いようのない、桔平の匂いだ。
『ロク、お前腹減ってんだろ? ほら、給食の残り持ってきてやったぞ。今日はお前の大好物のチーズだ』
『みゃう……ん』
『心配すんな。俺はちゃんと食ったから。遠慮しないで食えよ』
ほら、と桔平が差し出したチーズの味を、今まで何度思い出したかわからない。
『ロク、お前って寝てる時、すげー間抜けな顔してんのな』
『みゃうっ!』
『怒んなよ。どんな顔してても、お前は世界一可愛いんだから』
――桔ちゃん……。
いつだって、強くて優しくてかっこよかった。
――僕の……初恋の人。
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