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第13話 元、彼女

 新壱の最後に見た顔が、あんな傷付いた顔になるとは思っていなかった。  でも、ちゃんと〝バイバイ〟と言えた。それは自分にとっての第一歩だと、鉄平は心の中でそう自分に言い聞かせながら帰路に着いた。 「あれ? 鍵が閉まった……」  マンションに着くと、鍵が閉まった。  もしかして、鍵を掛けずに家を出たのだろうか……いや、それは無い。朝、確実に掛けたのを覚えている。 「母さん……?」  確か今日の夜、忘れて行った大事なスカーフを取りに来るついでに泊まりに来ると言っていた気がする。だが、母親に合鍵を渡してはいない。  まさか、新壱? 「新壱……?」  そんなわけがないと分かりつつ、鉄平は部屋の中へと恐る恐る入って行く。 「鉄平……」 「えっ!? ま、真知!?」  すると、キッチンから元彼女の真知が現れた。  彼女は昔と変わらず美人で、別れたあの時から何一つ変わってはいなかった。 「おまっ、なんでここいんの?」  鉄平は突然の真知の出現に驚きを隠せず、持っていた鞄をドサッと落とした。 「ごめん、急に……あの、えっと……」  真知は少し申し訳なさそうに、でも、鉄平との再会に嬉しそうにしながら、手際良く鉄平のスーツのジャケットを脱がして来た。 「ご、ご飯作ったから食べよう。話しはその時言うから……」 「え? は?」  突然の事過ぎて鉄平は真知のその言葉にそう返すしか無くて、そのままいつも座る場所へと腰を落とした。  すると、目の前にズラッと美味しそうな料理が並んだ。  それは前にも見た事がある、真知の手料理だった。 「食べて」  鉄平は促されるままその料理を口に運び、懐かしい味付けに当時の事を思い出していた。  でも、今の鉄平の舌は新壱の味を恋しく思っているのです、美味しいはずなのに物足りない。 「どう?」 「どうって……うめーけど……」 「本当? よかった……私も食べようっと」  真知は鉄平が美味しいと告げると安堵したのか、自分も箸を手に持って食べ始めた。 「なぁ、なんでここにいんの? つーか、鍵はどうやって開けた?」 「え? 鍵? 私持ってるじゃん」 「え? なんで?」 「なんでって……同棲してたんだから持ってるに決まってるよね?」  いや、いやいや。それが継続しているならおかしな事ではないが、俺達既に終わってる関係だよね? なら、持ってる事に驚いても不思議ではないよな? と鉄平は真知にそう告げた。 「だって……ずっと捨てられなくて……」 「出てったのお前じゃん」 「だって、鉄平が追い掛けて来てくれるって思ってたんだもん……でも、来てくれなかった」  だから、そのまま別れた。  鉄平自身も真知に対しての未練は無いし、当時から引き止める気持ちも無かった。 「けど、別れてから頭の中にずっと鉄平がいて……っ。なんであの時、私、あんな事言ったのかなってずっと後悔してたんだ……っ。営業部なんだから接待だってあるし、サッカーの人達との付き合いもあるのに……帰って来るのが遅いってだけで怒っちゃって……ほんと、自分が幼稚過ぎたなって思ったんだ……」  真知と別れた理由はそれだった。  帰って来るのが遅い。連絡を返すのが遅い。  そう言う小言が多く、謝っても機嫌を直す事が難しくなっていた。それに鉄平も疲れていた。 「もう、あの時の私じゃない。ちゃんと、大人になったんだよ。これからは、鉄平の事を待てる女になる。だから……」 「やり直さないか、って?」 「……うん」  その言葉に鉄平は嘘だろと思った。別れてから暫く経っているのに、またここに戻って来る神経が鉄平には分からなかった。 「友達から、鉄平が怪我をして引退したって聞いたんだ。ソガさん、覚えてる?」 「曽我? あぁ、前に一緒に飯食った人だろ? スポーツ関係の記者してるって人」 「そう。その曽我さんに聞いて、私、居ても立っても居られなかった……。心配で心配で……これからはちゃんと鉄平を支えたいっ。そう強く思ったんだ」 「真知……」 「鉄平にはこれから前みたいに好きになって貰えるように私頑張る。他に付き合ってる子がいても負けないっ……鉄平に選んで貰えるように頑張る……」  そう言って、真知が鉄平の手をギュッと握り締めて来た。その手は汗ばみ、少し震えて体温も低くなっていた。 「でも、俺は……」  自分に対して自信満々だったあの真知が、こんな風に緊張して鉄平の事を繋ぎ止めようと必死になっている。  それは真知の性格を知っているからこそ、鉄平は簡単にその言葉を無下にできなくて困ってしまった。でも、鉄平の中で真知との未来は想像できない。 「鉄平が私を選んでくれたら、一生後悔なんかさせない。支えて行くから」 「真知……」  でも、真知と一緒になれば全てが良い方向に向く。両親だって真知を受け入れてくれるだろう。  家族が円満になる未来は確実だ。  けれど、鉄平は新壱と一緒にいる未来をどうしても描きたい。  未練タラタラで、ありえないはずなのに、一緒にいたいとどうしても思ってしまう。 「俺は……」  そんな時、玄関からチャイムが鳴った。  鉄平は真知との視線を逸らし、そっと箸を置いてからチャイムが鳴った玄関へと向かい、扉を開ける。 「か、母さん!?」  それはタイミング悪く母親だった。 「もー、雨が降って来て困っちゃったー! あれ? お客さん?」  母親は玄関に女物の靴があるのを知り、誰のだろうかと鉄平に聞いて来る。 「鉄平、誰か来てるの?」  母親は鉄平が女の子を家に招いているとは思いもしていなくて、真知が顔を出した瞬間驚いていた。 「あっ! もしかして、鉄平君のお母様! 初めまして、私小川真知と言います」 「真知……? 真知ちゃん? え? 受付嬢をしてるって? でも、別れたって……」  混乱した母親は、鉄平の顔と真知の顔を交互に見て説明を求めていた。  別れたはずなのによりを戻した雰囲気に、喜んでいるみたいだ。  でもそれは、鉄平の勝手な思い違いだった。 「え? また付き合い出したの? 新壱君は?」 「……アイツとは終わった」 「え? なんで? は? え?」 「なんで、って……母さんが駄目だって言ったんだろ? あの後からアイツとはまともに話してねーんだよ……」 「話してない? 嘘でしょ?」 「時々会話する事はあっても、アイツは社長になっちまったし……それでよかったんだよ」 「それでよかったって……あんた……」 「まぁ、俺が入院してた時も見舞いにも来なかったし、それくらいの相手だったんだよ俺は……」  別れて正解。そうだろ? そう告げて、鉄平は奥歯を噛む。  本当はこんな事言いたくはない。  新壱が社長になった事。見舞いに来なかった事。そんなの別にどうだって良い。  でも、反対していた母親の顔を見たら、そんな悪態を吐いてしまう。  たぶん、別れた原因を何処かで母親のせいだと思っている自分がいるから、そんな事を言ってしまうのだろう。 「あんた……馬鹿なの?」 「は? 馬鹿? うっ、イッテッ!?」  バチーッンと平手が鉄平の左頬に飛んで来た。その衝撃と痛みに、鉄平の身体は静止してしまう。 「あんたって子は馬鹿よッ! 新壱君はあんたが寝てる間に何度も何度も来てくれてたのよッ! そっと扉を少しだけ開けて、一瞬でも、一分だけでも毎日、毎日毎日……」 「は……なんだそれ?」  そんなの知らない。新壱が毎日来ていた? そんなの嘘だ。 「彼が会社を継ぐ決意をしたのだって……あんたがこのままだと会社に残れないからって……それで」 「! ハァ!? 何だよその話し!」  そんな話しも聞いていない。  鉄平の為に会社を継いだ。そんな、嘘だろ。 「私が聞いたの! 実業団の選手は怪我をしたら会社を辞めなきゃいけないんでしょ? 残れる方法なんか無いんでしょ、って……そしたら彼が大丈夫です。俺がそんな事をさせませんからって……そう言って……」  新壱が社長になった理由。それが、鉄平が会社に残れるようにする為って、そんなまさか……。 「最終的には会社を辞めさせてしまったけど……私はあんたと新壱君の仲をもう否定したりはしない。パパにもお兄ちゃんにも新壱君の事を話してる」 「え……? 親父達にも?」 「そうよ。最初は驚いた顔をしてたけど、新壱君がどれだけいい子で、あんたの事を大好きかを伝えたら、みんな、彼があんたと一緒に旅館で働いてくれたらいいなって……そう言ってくれたのよ」  そう言って泣き出す母親は、ほんと、あんたは大馬鹿者だと、鉄平の胸を何度も叩いて何度も言った。 「あんたみたいな馬鹿をなんであんないい子が好きになったのか……私には理解できないわっ……。私だってあんたに言えた人間じゃないのは分かってる。彼の事を傷付けてしまったもの……でも、もうあの子は私の息子よ……あんたの事をあんだけ愛してくれる子を受け入れないなんて、母親として絶対にしてはいけないわ」  母親はそう言うと鉄平の手を握る。 「早く彼に謝りなさい。きっと、彼もあんたと一緒にいたいはずよ。そうじゃなければ、家出までして嫌だった家業を継ぐ決意なんかしていないはずだもの」  それを聞き、そうかと鉄平は思った。  新壱がどうして実家を出てここに来たのか。  そして、怪我をして引退した人間が移動という形で足に負担が無いデスク業務に就けたのか。  それも全て新壱が鉄平が会社に残れるようにする為、身を犠牲にしてやってくれていたのだと今知る。 「なんで言わねーんだよ……くそ新壱ッ」  言わなきゃ分かんねーだろ。  鉄平の為に、そうしたいのならこれは間違っている。間違ってる新壱。 「ほら、早く行きなさい! 真知ちゃんには私が謝っておくから」 「いや、俺が言う……真知」 「な、なに……?」  鉄平は、一部始終の会話を聞いていた真知に近付き、ちゃんと自分の気持ちを打ち明けた。 「俺はお前とやり直すつもりは全く無い。どんなに俺の事を好きでいてくれたとしても、俺は今の恋人しか頭に無い」 「今の恋人……」 「そいつとは、一生共にしたいって心から思ってる。だから、ごめんっ」  そう言って鉄平は真知に頭を下げた。  こんな駄目な自分をまた愛してくれた彼女には感謝しかない。でも、その気持ちを受け止める気持ちは少しも無い。  だからこそ、中途半端にするのはよくないと鉄平は思った。 「……そっか」  真知はそう震える声で告げると、ごめんね、そう言って鉄平に鍵を返してくれた。それを受け取った鉄平は、そのまま勢い良くマンションを出て電話を掛ける。 ーーー出てくれ、出てくれ新壱!  そう心の中で叫びながら。  

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