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第11話 鉄平の実家

 新壱とちゃんと別れて一ヶ月。  仕事場で会う機会が何度もあったが、鉄平が新壱を避けているから目を合わせる事はなかった。  擦れ違う時は社長である新壱に深く頭を下げ、歩く時もそっちを先に歩かせ自分は後から動く。  そんな風に気を遣って働く日々は、鉄平自身の心理を疲れさせ、未練がましいと己を憎む。  前まではあんなにも楽しい仕事場が、今では新壱の顔を見るのが辛く、苦しい。  そんな心理の中、母親からの電話。 『ねぇ、鉄平……』 「何?」 『この間話した事、考えてくれてる?』 「……あぁ。毎日考えてるよ」  その内容は、母親が父親と仲直りをして家に戻る時に鉄平に話して来た内容だった。 「兄貴は旅館を継ぐ気は本当に無いの?」 『うん……奥さんの実家の農業を継ぎたいって』 「そう……」  鉄平には三つ年が上の兄がいた。  兄は鉄平とは違い、無口で勉強ができて、自分の意思をそこまで主張しない人物だった。  だから、老舗旅館を経営している鉄平の実家では、昔から跡取りは兄だと決まっていた。  けれど、そんな兄が嫁の実家の農業を継ぎたいと突然告げて来たらしく、甘笠家にとっては衝撃的な事件が起きてしまった。 「俺、旅館のノウハウとか全く知らないけど……」 『でも、あなた向いてないわけじゃないわよ。愛想はいいから従業員達には人気だし、バイトしてた時もあんたの事気に入ってくれたお客様もたくさんいたじゃない』 「人気だからってやれるかは分かんねーだろ……まぁ、別に嫌ではないけど」  別に心からしたくないわけではない。昔から旅館で勤しむ両親を見て来て、夏休みとか手伝ったりもした事がある。  でも、兄が継ぐとずっと思っていたから、自分が継ぐ姿が未だ想像ができないだけだった。 『なら、継いでよ。お兄ちゃんが初めて自分のしたい事を言って来たのよ……それを叶えてあげて』  そう言われ、鉄平は少し間を置いてからこう返した。 ーーーもう少し考えさせて、と……。  そして、鉄平は静かに電話を切った。 「俺が旅館を継ぐ……か」  そうなったら、会社を辞める事になる。辞めたらもう新壱と会う事は二度と無い。  別れたはずなのに、あんな風に別れたのに、何でだろうか……今、無性に新壱に会いたいと思ってしまうのは。  今まで別れた相手にこんな風になった事が無いからこそ、鉄平には分からない。  でも、このままでは良くはない事は分かっている。自分にとっても、新壱にとっても……。 「腹を括るか……」  それが互いの為だと、鉄平はそう信じるしか無かった。 「は? 辞める?」 「あぁ。実家の旅館継ぐ事にした」 「え? でも、旅館は兄貴がって……」 「兄貴、嫁さんの実家の農業を継ぎたいんだってさ。だから、俺が継ぐ事にした」 「マジかよ……」  透は鉄平にその話しをされ、驚きと寂しさが混じったような顔をしていた。 「嘘だろ……」 「ハハッ。嘘みたいな話しだろ? でも、俺には人事部にいるよりも旅館で働いてる方が合ってる気もするんだよな……。足の怪我は私生活に影響は無いし、裏方の仕事の方が多いから走り回る必要はあまり無い……らしいし」  それは働いてみないと分からない。  バイトの時とは違い、やる事は倍以上になる事は分かっているが、具体的には兄から聞かないと分からない。  でも、兄に電話で自分が旅館を継ぐ事を決めたと話すと、兄は電話越しで泣きながら鉄平に感謝の言葉を何度も言って来た。  それを聞いて、自分が決めた事は間違いでは無かったと、心からそう思った。 「新壱君……いや、社長には言ったのか?」 「新壱? 言うわけねーじゃん。俺達終わってんだから……」 「本当に終わったのか?」  その言葉に鉄平は笑う。 「ハハッ、お前知ってたか? 社長には婚約者がいたって事。しかも、すげー前から……俺、一昨日知った」 「え……? 婚約??」  部長が重役との会話でその話しをしていて、鉄平は聞いてはいけないと思いながらも聞いてしまった。 「アイツ……それを隠しながら俺と付き合ってたんだよ」 「え? いつから?」 「アイツがここに入社した時には決まってたって言ってたな。俺と付き合ったのが入社から一年してからだから……まぁ、結構な間二股? されてたようだ……」 「いや、でも……」 「二股は言い過ぎか。アイツがその人をどう思ってたのかなんて知らねーしな……でも、言ってくれてもいいんじゃねーかなって……思っちまうんだよな」 「鉄平……」  時々、新壱が悩んでいる顔をしている時があって、〝どうした?〟そう聞いた時があった。  でも、新壱は〝大丈夫、何でもないです〟と言って笑って答えていた。  その言葉を信じ、鉄平は深くは追求しなかったけれど、本当はきっととても悩んでいたのに違いない。 「俺達……別れて正解だったんだよ。俺の為じゃなくて……新壱の為には……」  これで新壱はもう鉄平の事で悩まなくなる。そう思うと、何故だろう……悲しみよりもホッとする。 「お前、ほんと好きなんだな……新壱君の事」 「ハァ? 当たり前だろ? 裏切られても殺されても……俺はアイツが好きだよ」  だって、一緒にいた時間は本物だった。嘘や偽り、悩みなんて無かった。  それはきっと、互いに愛し合っている気持ちが強く、同じだったからだと思う。  新壱への想いも、鉄平への想いも、全てが本物だった。だから、鉄平は新壱に何をされても何を言われても、嫌いにはなれない。 「さー、第二の人生。頑張りますか」  ずっと一人で……ーーーそう決めて。

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