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第8話

その夜は大盛り上がりだった。 まずクラウリーが魔術で全員の服装を着物に変えた。 それだけでもうディーンはテンションMAXだ。 それにクラウリーの着物では運転しづらいだろうと言う意見で、四人はスイートルームから花見小路に瞬間移動した。 そしてクラウリーの粋な計らいで、お座敷のある料亭より100メートル手前に四人は現れ、夜の街をほんの少しだが歩いたのだ。 ディーンは「スゲー!」を連発しているし、サムもスマホで写真を撮りまくっていた。 履きなれない草履が日本に来たんだと実感させてくれる。 そして料亭に着くとクラウリーが全て仕切ってくれた。 「こんな豪勢なお座敷はなかなかありませんなあ」と料亭のおかみが言う通り、舞妓が五人、芸妓が五人、総勢十人揃っていたのだ。 料理も懐石料理で、舞妓や芸妓にお酌をされて日本酒を飲み、話も弾む。 カスティエルでさえ舞妓や芸妓の簪や着物の質問をして感心している。 ディーンは言わずもがなで楽しんでいるし、お堅いサムでさえも可憐で清楚な舞妓や大人の魅力たっぷりの芸妓にハートを鷲掴みにされている。 そんな三人をクラウリーは満足気に見て、お気に入りだという芸妓と良い雰囲気だ。 そしてディーンとサムを決定的に舞妓と芸妓に夢中にさせたのは演舞だ。 地方の演奏で舞妓と芸妓が舞い踊る。 初めての体験にクラクラしているところに、舞妓や芸妓が親しげに接してくれて二人は舞い上がっていた。 そうして祇園ならではのお座敷遊びが始まる。 『とらとら』に始まり『金毘羅船船』『投扇興』などなど。 ディーンやサムは大騒ぎだ。 そしてカスティエルと言えば。 クラウリーに写真を撮っていいのかと確認すると、勿論許可は取ってあるし、プロのカメラマンも用意しているという返事だったので、それではとディーンをスマホで撮りまくっていた。 「おい、キャス! プロのカメラマンがいるだろう。 写真は彼に任せろ!」 クラウリーが注意してもカスティエルは「それはディーンだけではないだろう?私は自分が撮ったディーンの画像が欲しいんだ」と言い放ち聞く耳を持たない。 そんなことを言われるとクラウリーだってディーンの画像が欲しくなる。 スマホの画像ファイルに入っている二人で旅をした時の画像は、クラウリーの大のお気に入りだ。 そしてカスティエルとクラウリーの戦いが始まる。 「ディーン、こっちを向け!」の言い合いだ。 ディーンは既に酔っぱらい状態なので、二人に声をかけられると、嫌がりもせず声のした方に向いてくれる。 時にはウィンクをしたり、わざと馬鹿面をしたり。 その度に二つのスマホのシャッターが連写される。 普通、舞妓や芸妓は1時間半から2時間お座敷に出ているが、今夜はクラウリーが貸し切りにしていたので深夜までお座敷遊びは続いた。 そして最後は皆で記念写真をプロのカメラマンが撮り、宴会は終わった。 クラウリーは表に松の葉と書かれているポチ袋を舞妓と芸妓に配り終えると、カスティエルを呼んだ。 「何だ?」 「お前は当たり前だが殆ど酔ってないな。 そこでだ。 ディーンを連れて先にホテルに帰れ。 ディーンの大馬鹿め! これからもお楽しみがあるっていうのに潰れてしまった。 私はサムと大人の夜を満喫してくる」 「分かった。 どうやって帰る?」 「料亭を出たら人目につかない所でホテルのスイートルームまで飛べばいい。 ディーンを頼んだぞ」 「勿論だ」 そしてカスティエルは畳の上ですやすやと寝息を立てて転がっているディーンを支えて起こすと、何とか料亭を出て人目につかない所を瞬時に探し出し、消えた。 カスティエルはディーンが選んだ部屋のダブルベッドにディーンをそっと横にした。 そして冷蔵庫から500ミリリットルのミネラルウォーターのペットボトルをサイドテーブルに置くと、着物を脱がせてやるべきか悩んでいた。 着物で寝るのは寝苦しいとカスティエルにもそれくらいは分かる。 するとディーンが薄く瞼を開けた。 「……キャス…?」 「そうだ。 ディーン、具合いはどうだ?」 「……ん…のど…かわいた…」 カスティエルが枕をクッション代わりにしてディーンを抱き起こすと、用意しておいたミネラルウォーターのペットボトルを渡す。 するとディーンがじっとペットボトルを上から見て「…ん…」と言うと、カスティエルの手にペットボトルを押し付ける。 「ディーン?」 「……ふた…あけろ…」 思わずカスティエルは「蓋!?」と訊いてしまった。 ディーンは瓶ビールの蓋さえ指で開けてしまうのに、ペットボトルなんて簡単過ぎるくらいだからだ。 だがディーンは上目遣いでじっとカスティエルを睨み、また「……ふた…」と言った。 ディーンのヘイゼルグリーンの大きな瞳は潤み、長い睫毛もしっとりと濡れたように瞳の周りを縁どり、目尻がほんのり赤く染まっている。 カスティエルの心臓がドキドキと音を立てる。 このままでは不味いとカスティエルが悟る。 さっさと蓋を開けてやり、ディーンにペットボトルを突き返す。 ディーンはまた「……ん…」と言うとペットボトルに口を付けた。 だが水はディーンの唇を伝い、喉から着物へと流れていってしまう。 それでも少しは飲み込んでいるのか、ディーンの白い喉が上下する。 日本酒をしこたま飲んだせいで、赤く染まった唇。 そこから零れ落ちる透明な水。 白い喉を伝い着物を濡らす。 ただそれだけなのに、カスティエルはディーンから目が離せない。 舞妓も芸妓も美しいと思ったが、そんな思いも吹き飛んでしまう。 ディーンがペットボトルから口を離すと「……びちょびちょ…きもちわるい…」とたどたどしく言って、まだミネラルウォーターが入っているペットボトルを投げ捨てようとするのを、カスティエルが掴み取る。 そんなカスティエルを、またディーンが上目遣いでじっと見てくる。 「…ディ、ディーン…? 新しいミネラルウォーターを持ってこようか?」 ディーンがふるふると頭を横に振り、「……びちょびちょ…きもちわるい…」と繰り返す。 そこでカスティエルはやっと気が付いた。 ディーンは酔っ払っているのだ、カスティエルが思っていたよりも物凄く。 ディーンの瞳がじわじわと潤みを増し、とうとう一粒涙が零れる。 「……キャス…びちょびちょ…きもちわるい…キャス…」 キャス…キャス… 甘ったるい声は二人で抱きあっている時と同じだ。 カスティエルはこれ以上ここに居たらディーンとの約束を破ってしまうと思い、少々乱暴になってしまったが素早くディーンの帯を解き着物を脱がすとタオルで濡れた顔と首筋を拭いてやった。 そしてディーンを横にし、掛け布団をしっかりと首までかけてやった。 ディーンは下着一枚しか身に付けていないが、このスイートルームの空調は完璧だし、風邪などは引かないだろう。 カスティエルは一仕事終えた気分でそそくさとディーンの部屋から出ようとした。 その時。 ディーンの「……キャス…!」という叫び声と共にパサリと何かが落ちる音がした。 カスティエルが振り返る。 ディーンがベッドから出ようとして足元がもつれる。 カスティエルは走ってディーンの元に戻っていた。 瞬間移動できるのに、なぜ私は走っているんだ? カスティエルは自分でも疑問に思いながら、必死に走り、ディーンを抱きとめる。 カスティエルは安堵の息を吐くと、「ディーン、君は泥酔している。急に起きては危険だ。さあ寝て」と言ってディーンをベッドに戻そうとすると、ディーンがカスティエルにしがみついてきた。 「ディーン?」 「……やだ…」 小さな呟き。 「え?」 「……キャス…なんで…いっちまうんだよ…」 そう言うディーンの声は涙を含んでいて、カスティエルは焦った。 ディーンを抱き上げると膝に乗せ、慌ててベッドに座る。 「ディーン? 一体どうしたんだ? 苦しいのか?」 ディーンが顔を上げる。 ディーンは瞳からポロポロと涙を零していた。 「……おれの…そばに、いろ…」 「ディーン…?」 「……おれが…きらい…?」 「ディーン!」 カスティエルは堪らずディーンの頭の後ろを掴み、自分の肩に引き寄せた。 ディーンの泣き顔なんて見ていられない。 「…君は何でそんなことを言うんだ?」 「……おれが…きらい…?」 「ディーン、頼むから!」 カスティエルがディーンを強く抱きしめる。 ディーンの白い肌にカスティエルの指が食い込む。 「私を試すな…!」 一瞬の間の後、ディーンがポツリと呟く。 「……キャス…ためす…なにを…?」 そしてしゃくり上げる。 「…ディーン」 「……そばに…いろ…キャス…」 「…このままじゃ君を襲ってしまう。 いつものように。 君は酷く酔っている。 もう寝るんだ」 カスティエルがディーンを腕から解き、ベッドに寝かせる。 ディーンとカスティエルの目と目が合う。 ディーンはまだ子供のように泣いていた。 「…キャス…」 カスティエルの胸がズキンと痛む。 「さあ、目を閉じるんだディーン」 カスティエルが涙で濡れた頬を手で拭いてやると、ディーンがその手を掴んだ。 「……どこにも、いくな…キャス…」 「……」 「……おれが…きらい、じゃ…ないなら…」 カスティエルはもう限界だった。 ディーンの両手首をディーンの顔の横に掴んで固定し、鼻先が触れる距離で囁く。 「ディーン、愛してる。 どれだけ愛すれば君に伝わるんだ?」 「……あいしてる…?」 「そうだ」 「……それなら…いつもみたく…しろ…」 カスティエルの瞳が見開かれ、そしてディーンを見据える。 「約束を破ったのは君だ。 後悔するな」 ディーンが瞳を閉じる。 長い睫毛から、またひとつ、涙が零れる。 カスティエルが噛み付くようなキスをしたと同時に。

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