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兄と幼馴染_伍
気を紛らわすために向かったのは晋が通う道場であった。
今日は休館日で、門下生は誰もいない。
「すまぬ、休館日だというのに」
「構わないよ」
と、この道場の息子である羽生忠義 は嫌な顔を見せること無く晋の相手をしてくれた。
身体を動かせばきっと心もすっきりとするだろう。そう思い忠義に向かって木刀を振るう。
いつもの様に素早い動きで攻めていくのだが、心の中のモヤモヤとした気持ちは晋の腕を鈍らせる。
何度か打ち合った後に忠義の表情が厳しくなり、珍しく怒りを含んだ目を晋へとぶつけてきた。
「なッ」
木刀が弾き飛ばされ床へと落ち、それを拾おうと手を伸ばせば奪うように忠義が木刀を拾い上げた。
「……やめよう、晋さん。理由はわかるな?」
やんわりと言われ、理由が解っているだけに黙り込む。
忠義が怒るのも無理はない。休館日にまで押し寄せて手合せをしてもらった挙句に怒りのはけ口にされよいとしていたのだから。
「どうなされた。悩み事でもあるのか?」
俺でよければ話を聞くぞと肩に手を置く忠義に、大丈夫だと言おうとしてやめた。
「すまぬ。お詫びに酒を奢るよ」
話してしまった方が気持ちが楽になるかもしれない。それに酔ってしまえばその間は嫌な気持ちはどこかへ飛んでいく。
それに忠義はかなりの酒好きだ。お詫びをするなら酒を奢るに限る。
「酒か。よし、丁度土産で良い酒を頂いたからな。持ってくる」
「え、いや、俺が誘ったのだから奢るぞ」
そう忠義を引き止めれば、
「良いから。俺の部屋で待っていてくれ」
と部屋の方へと体を向けられ、そして背中を軽く叩く。
「すまぬな。ではその言葉に甘えよう」
忠義の部屋の前には大きな桜の木がある。
美しい花を咲かせる時期に平八郎と共に忠義の部屋で花見をした。
そういえばこの頃は共に出かけることも少なく、気が付けば正吉と共にいる。
まるで自分のモノだとばかりに平八郎の髪を撫でた正吉。そしてそれを幸せだと感じている平八郎。二人の姿を思いだし、胸が苦しくて前襟を強く握る。
正吉に平八郎をやるつもりはない。アレハ自分ノモノ……。
ハっと我に返る。今、何を考えていた。
従弟だとしても平八郎は家族であり弟なのだ。傍で見守る、それが兄としての役目。
「晋さん?」
酒とつまみを手に戻ってきた忠義に声を掛けられ我にかえる。
「なんでもない。さぁ、今日は飲むぞ」
無理やり気持ちを切り替えて、晋は忠義から酒を受け取った。
足にくるまで酒を飲むなんて滅多にない。晋を送ろうと肩を掴む忠義を大丈夫だと押しのける。
「じゃぁ、また明日」
そう手を上げて歩き出す。
どうせなら酔いつぶれるまで飲めばよかった。どうしても平八郎のことを考えてしまうからだ。
家の近く、門から平八郎が出てくる。もしや晋が戻らぬことを心配して待っているのだろうか、と一瞬思ってしまったが、そうではない。
提灯のあかりが、うっすらともう一人を照らす。
「あ奴、まだいたのか」
正吉だ。平八郎と何かを話し、そして見たくもないものをみてしまった。
晋は踵を返し走る。だが途中で気分が悪くなり吐いた。
「はぁ、くそ、くそっ」
まさか平八郎と正吉は口吸いをする仲だったとは。
「正吉ぃぃ」
許せない。大切にしてきたものが汚された。
そうだ、どうせ汚れてしまったのなら、何をしてもかまわないのではないだろうか。
近くでけたたましく鴉が鳴いた。腹が立っていたこともあり、八つ当たりをするように石を投げると一斉に木から飛び立った。ただ、一匹を残して。
それが気にくわず、石を拾い投げようとするが、その目が真っ赤に光る。
「なっ」
幻妖。話を輝定から聞いていたから、それが頭をよぎる。
「モノノ怪め、成敗してくれよう」
刀を抜き向かうが、それは晋めがけて飛んできて、咄嗟に刀を振るうが感触はなく、身体が急に重くなった。
「くっ」
なんだ、これは。
どろどろとした感情。平八郎と正吉が仲睦まじく手を取り合ってほほ笑んでいる。
『憎イ……』
晋は平八郎の腕を取り自分の方へ引き寄せると、正吉に斬りかかった。
真っ赤な血が飛び散り、そして晋はくつくつと笑い声をあげた。
『オ主ハ我ノモノ。ソノ身体ハ我ノ……』
平八郎の唇を奪い、そして二人は黒いものに包まれた。
そうだ。欲しければ無理やりにでも自分のものにしてしまえばいい。
その考えがとてもよいものに思えて、晋はニィと口角をあげて笑う。
晋の周りには真っ黒い霧が覆い、口から中へと入り込んで同化した。
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