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嫉心_拾貮

「大人しくしてくださいよぉ、平八郎さん」 「なっ、何故」 「青木様が、連れておいでって。さ、行きましょう」  そのまま中へと連れて行かれる。 「平八郎っ!」 「おや、これは伊藤家の」  平八郎を見た瞬間、将吾と青木の言葉が重なる。 「将吾、正純さん」 「ようこそ、平八郎さん」  にぃ、と笑う青木に、ぞくぞくと悪寒が走る。 「大津、こ奴を縛っておけ」  先ほど平八郎の腕をひねり上げた男は大津といい、将吾と同じ黒羽織を着ていることから同心だとわかる。  手足を縄で縛られて身動きを封じられる。 「こんなことをして、ただでは済みませぬぞ」  将吾の言葉に、青木は鼻で笑う。 「自分たちに置かれた立場をお考えなさい、平八郎さん」  脅しはしたが、今の所、二人に手を出すつもりはないようだ。 「何が目的なのですか?」 「貴殿らは榊を呼ぶための餌だ」  将吾を捕らえ榊をここに呼び出す。外山は伝言役だ。怪我を負わせたのは、青木が本気だと言うことが伝わるからだろう。 「伊藤家の、貴方まで捕らえることが出来たのは運がいい」  ニタリ。弓なりに細められた目が、平八郎を見る。  自分という存在が将吾と榊を不利にさせ、青木を有利にさせてしまった。  弱い自分を恥じる。あそこで捕まらずに南町奉行所まで行けていたら、囚われた青木を解放し、罪を償わせられたというのに。  悔しい。剣術をしっかりと学んでおけばよかった。  怖いからと逃げてばかりで、自分は弱虫で甘えん坊だ。  思い浮かぶのは後悔ばかりで、拳を強く握りしめ、身体を震わせる。 「平八郎、でぇ丈夫だ」  その言葉にハッとなる。  将吾が平八郎を安心させようと笑って見せる。 「将吾」  いつもは使わない訛りをつかい、まるでそこに正吉がいるようにと。 「何を話している?」  先ほど、平八郎を捕まえた男が、刀の柄で頭を小突いてくる。 「大津」  将吾が睨みつけると、両手を上げて怖い怖いと茶化す。 「磯谷、榊を前に、男の証を自分で斬りとれ」  なんと恐ろしいことを口にするのだろう。平八郎は震えながらも声を張り上げる。 「青木殿、お主はよくもそんなことをっ」  男の大切な一部を失うということは、精神的にも肉体的にも苦痛を伴うだろう。 「できなければ、解っているだろうな?」  と青木が平八郎の髪を掴んで引っ張った。 「くっ、あぁぁ……!」  あまりの痛さに我慢できず声を上げてしまう。その声を聞きながら楽しそうな表情を見せる青木だ。 「平八郎、くそっ」  平八郎を助けようと、身を捩り、縄から抜け出そうとするが、青木はその身を蹴り飛ばし、大津に押さえつけるように言う。 「こ奴がどうなっても良いのか?」  平八郎の喉元に刀が押し付けられて将吾が息を飲み、抵抗する気はもう無いと力を抜く。  その姿を見て喉元に押し付けられていた刀が離れ、将吾の傍に突き飛ばされる。  足元あたりに崩れるように倒れ込む平八郎に、将吾が大丈夫かと声を掛けてよこす。  それに頷いてから青木を見上げて懇願する。 「お願いですからやめてください。北と南と分かれていても、町奉行で働く者同士ではありませぬか」 「同士だと? 南と……、榊とは敵だ」  愉快だとばかりに、青木とその配下が笑う。  そんなむごいことを平気でしようだなんて、もう、彼らを人とは思えなかった。

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