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嫉心_拾肆
「平八郎」
「伊藤さん」
地面へ倒れ込む平八郎に、将吾と榊が声をあげる。
「磯谷、解ッテイルナ」
どろりと黒い霧が足元に流れ出る。
「だめ……」
自分のせいで将吾がひどい目に合うのは嫌だ。必死で手を伸ばすが、大津の足がその手を踏みつけた。
「いっ」
「今度は蹴りますよ」
大津がにぃと口角を上げる。彼の足元に黒い霧が絡みつく。そう、彼は青木によって幻妖に囚われつつある。
「わかっているから。平八郎に手を出さないでくれ」
熊田が将吾を縛っていた縄をほどく。彼もまた、大津同様に幻妖に囚われている。この成り行きを楽しそうに見ているのだから。
「嫌、将吾ぉ」
「平八郎、巻き込んでしまってすまない」
着流しの帯を外し下穿きに手を伸ばす。それを脱いでしまったら、先に待つのは恐ろしいことだけ。
友人を危険に晒すことしかできない。悔しくて辛くて涙が滲んでぼやける視界の先に見えるのは、髪を鷲掴みされその様子を見させられている榊の姿だった。
「将吾、や、誰か助けて……」
誰も助けなどいない。無理だと解っていても平八郎は声を出さすにはいられなかった。
余計に青木とその配下たちを楽しませることとなっても。
「残念ですが、助けは来ませんよ。外山には榊様以外の者に話をしたら、二人を殺すと言ってありますので」
大津の言葉に、地の底に叩き落された気分だ。もう、這い上がることなどできぬ絶望感。
涙に濡れた目で将吾と榊を見ながら、平八郎は何度も謝罪の言葉を心の中に浮かべた。
「磯谷、やれ」
小刀を大熊が将吾に手渡す。
『榊、ヨク見テオレ』
と榊の顔を覗き込んだ瞬間、粉状な物を青木の目にめがけてまき散らした。
『ナッ』
青木が怯み、榊から手を離す。
その一瞬の隙を逃さず、榊が平八郎の元へと動き、将吾が小刀を手に榊の元へと移動する。
「先生っ」
外に向けて発した言葉に、その人物が荒ら屋の中へと飛び込んでくる。
それは平八郎と将吾が良く見知った相手だった。
「正吉」
二人の声が重なり合う。
「おう、待たせたな。榊様、これを」
榊が刀を受け取るのと、かわりに平八郎の身を正吉へとたくし、将吾は小刀で腕の手拭いを切り取り、
「返すぜ」
と青木の足元へとそれを突き刺した。
『貴様』
「外へ出るぞ」
刀を構えた将吾と榊に護られるように外へと向かうと、ここから逃げよと言われる。
『逃ガスナ。皆、斬リ捨テロ』
と青木が言い、配下が襲いかかる。
「行くぞ、平八郎」
と正吉に手を掴まれて引かれるが、駄目だと引き止めた。
「正純さんが幻妖に囚われている」
「なんだって」
正吉が頭を乱暴に掻く。
「おめぇをさっさと逃がせてぇのに、くそ、それじゃ駄目なんだろ?」
自分はどれだけ優れているかと認められたいという欲望。それを邪魔する同い年で目障りな存在。苦しむ顔を見てやりたい、そんな欲が将吾の榊に向かい襲い掛かるかもしれない。
「このままだと将吾と榊様が危ない。だから俺を刀の元へと連れて行ってくれ」
八重桜は取り上げられ、荒ら屋の中にある。危険は承知だけど渦中を抜けて取りに戻るほかはない。
もう逃げない。大切な人が危険な目にあうのは嫌だから。
「おめぇのことは俺が死ぬ気で守ってやらぁ。行くぜ、平八郎」
覚悟を決めたと、正吉が平八郎の手を強く握りしめる。
「おう」
顔を向い合せて頷く。正吉は平八郎の身を守りつつ、荒ら屋にある八重桜の元へと向かう。
「おい、誰かあいつ等を捕まえろ」
それを目敏く見つけた青木が、配下に奴等を斬れと指示をする。
その声に、二人が戻ってきたことを知り、
「何をしているんだ、さっさと逃げろ」
将吾がこちらへと向かってこようとするが、熊田が行く手を遮り交戦となる。
正吉と平八郎の前には、大津と熊田の御用聞きが迫りくる。
「死ね!!」
と刀を振るい、それを正吉が受ける。
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