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嫉心_拾陸
黒い霧に覆われた時、すさまじい嫉妬の念を感じて胸が締め付けられて衿をつかむ。
これが幻妖なのだろうか。
空玄から話は聞いていたし、平八郎の意思も知った。
だが、実際にどんなものかは知らず、簡単に協力するなどと口にした自分の認識が甘かった。
きっとこれは青木が榊に抱く嫉妬。それが伝染するかのように将吾を苦しめた。
早くここから抜け出したくて霧を払うように刀を振るうけれどそれはただの無駄でしかなく、黒い霧は将吾の口から体の中へと入り込もうとする。
このまま狂ってしまうのは嫌だ。自分にはまだやりたことがたくさんある。
平八郎と正吉の顔が浮かんで消えた後、榊が自分をからかう時に見せる笑顔が浮かんだ。
はじめの頃は上辺だけだったものが、今では本当の笑顔を見せる。もう一度見たい、そう思うのに胸の苦しみがいっそう強くなり、衿を掴み耐えるように体を縮めた。
黒い霧が口の中へと入り込み、もう駄目かもしれないと思ったその時、一気に黒い霧が晴れて視界が開け。
視線の先には青木の心の臓を貫く平八郎の姿があり。舞う桜の花びらが如く、淡い桜色の光が舞い散って消えた。
これが平八郎の意思なのだろう。
今まで怖いことがあると正吉の背中に隠れていた平八郎が自ら立ち向うなんて。知らぬ間に強くなっていたことに驚く。
そして美しいその光景に目を奪われた。
榊も同様に惚けた顔をしていたが、我に返ったように崩れ落ちる様に倒れた青木の元へと向かう。
その刀は囚われた者は傷つけること無く幻妖のみを消滅させるものだと平八郎から聞いてはいたが、心の臓を貫いた姿を目の当たりにしてしまうと確かめずにはいられなかった。
「なんと、心の臓を貫いたというのに傷口が無い」
何度も貫いた箇所を調べるが、傷ついた様子もなく血も流れてはいない。
「えっと、黒い霧が幻妖で、それが八重桜の力ってことだよな。で、青木様は幻妖に囚われていた、と」
平八郎から聞いた話を思いだしながら一つずつ確認する。
将吾の言葉に頷きながらそうだと答える平八郎に、今度は榊がどういうことだと尋ねる。
平八郎は幻妖のこと、刀のことを話し、榊はそうかと頷いた。
身を持って体験したのだから幻妖という存在を信じるほかない。
「さて、この方たちはどうしますか?」
人数だけに連れてはいけないのでこのまま放置するとして、縄で縛るのかどうするのか。
「青木以外は放置する。これから先どうするかはおいおい決める」
それよりもと榊が将吾の方へと顔を向けた。
「磯谷、私の前で脱ぎだした時には驚いたぞ。まさか一人でいたすところを見せようとしていたのか?」
帯の解かれた着流しがはだけ、分厚い胸板と割れた腹筋そして下穿きが見える。戦うことに夢中であったため恰好など気にしていなかった。
「お見苦しいものを」
手で着流しの前を合わせる。
「ほら、将吾」
落ちていた帯を平八郎が手渡してくれてそれを急いで腰に巻いた。
ふと、表情が真剣なものへと変わり、真っ直ぐに将吾を見る。
「それで、何があったんだ。あの時、伊藤さんの助けを呼ぶ声が悲痛なものだったからな」
榊の言葉に平八郎が肩を震わせ、気が付いた正吉がその肩を抱く。
「そのことは後でお話します」
ここでは話したくないということを将吾の表情で読み取ってくれたようで、榊がわかったと返事する。
青木を担ぎ上げようとしていた榊に、自分が担ぐと言い帰ろうと平八郎と正吉を促す。
「そうだな。いくぞ、平八郎」
正吉の手が落ち込む平八郎の手を握りしめて引く。
今は慰めの言葉も謝罪の言葉も平八郎を辛くさせるだけだろう。後のことは正吉に任せておけばよい。
何も言わなくても気持ちを理解してくれる幼馴染に感謝しつつ、隣を歩く榊へと目を向けた。
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