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俺とロデオマシーン:1
昔から褒められることが苦手で、恐怖すら感じていた。
失敗を恐れながら、失敗したくてたまらないという自分でも面倒な性格を隠して生きて、そして彼女に出会った。
俺は極度の上がり症だったが、周囲はそれを知らない。気づきもしない。
学生時代の頃から長年悩まされている偏頭痛の理由もこの上がり症が原因だろう。
緊張が緩んだ瞬間に頭痛が襲ってくる。それは、生き地獄だった。
彼女と出会って自分の性癖を解放すると頭痛は消えた。
俺のことを彼女は力の抜きかたが下手、真面目すぎて自分を操れていないと指摘する。
他人から褒められて思うことは「自分はそんな人間じゃない」という自己否定。
これは見た目と雰囲気に責任がある。
身長が平均よりも高いせいか、自信にあふれる出来る男に見えるらしい。
物怖じすることなく堂々としていて立派な人間だと言われるたびに、社交辞令だとしても見る目がないと感じてしまう。
俺の評価と俺を見る周りの評価は違う。
それがまた俺の頭を痛くしていた。
「お父さん素敵ですね。お若いですね。お兄さんかと思っちゃいましたーだってよ」
先程まで会っていた女性を嗤う息子に笑顔で同意したくなってしまう。
再婚なんて考えていないと言っているのに出会いの場としか思えない場所に誘われることがある。
同じ趣味の仲間は彼女以上のパートナーはいないだろうからと放っておいてくれるが、普通はそうじゃない。時には亡くなった彼女よりも良いとか、彼女を忘れるぐらいの女性だと言って着飾った若い女を連れてくる。
彼女と会ってからはなくなっていた頭痛が再び俺を襲い始めていた。
彼女同様に敏い息子は俺が何も言わなくても酒の席以外なら着いてきた。
子連れでの参加に引くどころか、再婚に対して前向きだと受け取った女性からアプローチを受けることもある。息子との方が年齢が近い相手からすら声をかけられる自分に落ち込んでしまう。
近寄ってくる彼女らから、俺という人間はとてもよく出来た存在に見えるんだろう。
「息子に犯されて悦ぶ変態なのにな。……奥さんが亡くなっても息子と頑張る父親? 嘘ばっかりだ」
他人の目に映る自分はとても胡散臭い代物で、褒められるたびに違和感に悩まされる。
期待された分の輝きを見せられなくても呆れられたことはない。けれど、いつも不安で息苦しくて頭が痛くなる。
学生時代はわざと失敗して見せて他人の視線を観察した。
俺の成績が落ちても、足が遅くても、みんな気にしない。
気にせず俺は頭がよく、運動神経もあり、素晴らしい人間だと思い込む。
生きている世界が違うような、俺自身を誰も見ていないような、そういう恐ろしい体験をした。
「息子に頑張らせてる最低の父親だろ」
淡々とぶつけられる息子からの言葉に俺は達した。言い訳の出来ない無様で見苦しい姿を息子は美化することなく「情けねえな」と吐き捨てる。射精後の余韻というよりは、言葉が体に染み込んでいく気持ちよさに震える。自分でも恍惚としている今の表情が気持ち悪いものだと分かる。だからこそ「とろけた顔してんなよ、変態」と罵られることに納得と共に快感に浸る。
息子は事実しか口にしない。自分の目で見た本当の俺の姿を並べ立てて「最低だ」と冷たい視線を向けてくる。軽蔑されても仕方がない恥ずかしいところを見せているので当たり前の反応だ。息子は常識的でこの世で一番正しい。
親が今の俺の姿を見たらきっと何かの間違いだと叫んで見ないふりをしただろう。絶対にこんな見苦しい俺の姿を認めない。俺の真実の姿は殺されてしまう。
「未挿入なのにビクビク痙攣しちゃってなんなんだ? 想像力が豊かなのか、ロデオマシーンってそんな気持ちいいわけ?」
俺の乳首を息子が引っ張ってくる。
裸でロデオマシーンに乗って射精した俺を軽蔑しながら。見ないふりも見捨てることもない。興奮が収まっていない俺の身体を適当にオモチャにして「こんなんがいいの?」と首をかしげる。
ある種の雑さが心地いい。
リビングの片隅にロデオマシーンを置いたのは裸でまたがるためじゃない。
年齢的にジムに行って鍛えないとまずい気がしていたからだ。
ジムに行くことを話したら息子から「男漁りかよ」と完全に引いた顔で言われた。
そんなつもりはなかったが、息子から自分がそんな人間に見えていることに傷つきつつ安心した。
俺の本性を理解している息子は、家でトレーニングするように提案してくれた。それは正解だった。
「乳首につける重りみたいなの、あっただろ? あれつけて、ロデオに乗ると良いかもな」
「……ちく、び、……ちぎれるっ」
「余裕だろ? あ、いま?」
無遠慮に引っ張られた乳首は充血して痛みしかない。
「これでも、気持ちいいのかよ」
引っ張っていた乳首を押しこめてくる息子。
どこか子供の遊びのようなその場その場の思いつきを試されている感じがイイ。
あの小さかった息子から、こんな風に責められるということに興奮してしまう。
興奮と快感は似ているようで違う。
おしりをいじめられるのと言葉でいじめられるのでは、感じる場所が違っている。
「ケツの穴に何も入れなくてもOKなんてレベル高すぎじゃねえ?」
息子の口から「ケツの穴」という単語が出るだけで、おしりがムズムズしてくる。物欲しそうな顔をしていると息子に指摘されながらロデオマシーンからおろされる。フローリングの冷たさに脱力している俺を尻目に汚れたロデオマシーンを綺麗にふいていく息子。
視線に気づいて恥ずかしいのか「こっち見んな」と言いながら俺の頭を踏んでおさえつける。息子の靴下の蒸れた臭いに下半身が熱くなっていく俺は父親失格だ。
「ロデオの縫い目とか、裸でまたがると痛いんじゃねえのとか考えてた俺がバカみてぇ」
俺の頭を足でグイグイ踏みながら息子は消臭剤をふりまく。
「リビングが精液臭くなるから、根本縛って出せなくしとくか」
「……ちんぽ、いたくなっちゃう」
「その痛みで勃起して更に痛いって? 一人遊びじゃん」
軽く顔を足で踏まれる。それが屈辱であるのと同時に嬉しい。
日常的に、当たり前に、こういうあつかいをされることが幸せだ。
こういったことで幸せを感じる俺を見捨てることのない息子にも心はとても満たされる。
「溜まってたら、これで一人で遊んでろ」
そう言い残してキッチンに向かう息子。すこし淋しいと思っていたら「べつに太ったところで変わりねえだろ」と小さな声が聞こえた。
俺が太ったら太ったでデブやブタと罵ってきそうな息子だが、それも含めて出来た良い子だ。
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