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「水嶋さん」
名前を呼ばれ、水嶋は怖々と風見に視線を向ける。
薄暗い街灯の下、ぼんやり浮かんだ風見の表情は酷く冷めていた。冷たい眼差しで見つめられ、水嶋の背筋に悪寒が走る。
「いつになったら、本当のこと話してくれるんですか?」
「……なんのことだ?」
心臓がバクバクとうち、喉が干上がったような乾きに唾を飲み込む。
「結婚してないですよね」
核心を突かれ、水嶋は咄嗟に隠すように右手で左手を覆う。
「あのお弁当、自分で作っているんですよね? 社内や接待で家庭の話を振られた時は、奥さんがいる体で話されているみたいですけど。本当は水嶋さんには奥さんどころか、恋人すらいない」
風見の指摘に水嶋は項垂れる。
これ以上は隠し通せそうもなかった。潮時だと、水嶋は小さく嘆息した。可愛がっていた部下に知られてしまったのはショックだったが、元はと言えば自分が蒔いた種だ。
「別にバラしたければ、バラせばいいよ。僕だって、いつかはバレるって分かっていたんだ」
水嶋は右手で指輪を弄り、諦めたように言葉を紡ぐ。
「耐えられなかったんだ。周囲からの圧力にね。結婚しないのはどうしてなのかとか、独身は気楽でいいなって――」
三年ほど前から水嶋は結婚していると、明言はしないまでも匂わせていた。
上司や取引先からのお節介や嫌味。それは歳を重ねて出世すると更に圧は強くなっていた。
無理なものをやれと言われるほど辛いことはない。
男しか好きになれない水嶋にとって、それは想像以上に精神を蝕んでいた。
世間体を気にし、女性と結婚する人もいると聞く。だが、女性を裏切り続けることになると罪悪感から出来なかった。
「嘘をついているという罪悪感がなかったわけじゃない。ただ、辛かったんだ。魔が差してつい、結婚しているようなことを言った。そしたら周りの態度が一気に変わった」
長丁場になりがちな接待も、奥さんが待っているだろうからと早く帰ることが出来るようになった。誰かを紹介しようとする余計な世話を焼かれることもない。なにより、結婚しない理由を聞かれなくなったのが一番だった。
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