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恋人はそこそこ家事が好き1-2
空き教室に巳屋敷を連れ込んだのは俺の赤裸々な本音が漏れないようにするためじゃない。
ゲームに邪魔が入らないようにするためだ。
何度か生徒会室や放課後の教室などの人目につく場所でやっていたが誰もがうるさい。
のめりこんで作業する状態になっていないとスッキリするどころかストレスが溜まる。
集中したいのに集中できない苛立ちはわりと表に出てしまう。
兄のように作業に没頭して寝食忘れるようなタイプではないことが逆に俺の半端さだ。
新たな欠点が日に日に見えてくる自分のことが俺はあまり好きではなくなっていく。
自分を好きではなくなった分だけ珠次に愛されたいと願ってしまったり、愛されていると実感したいと思ってしまう。
余裕がなく絶望的なほどに幼稚だ。
誰にどう思われようとも珠次にこらえ性のない格好悪い奴だと思われたくない。
そのため俺は巳屋敷とゲームをしている。
今日は将棋だ。
俺は将棋や囲碁やチェスなんかのゲームで長考をする。
長く考えすぎて相手を苛立たせたりするので本気を出したことはこれまでなかった。
考えに考えて悩んでやると気持ちが落ち着く。
廊下を歩いていて下を見たときに珠次がいて呼びかけるべきか迷っていたところで振り返ってくれたときなんか幸せだ。
時間が経つにつれてその幸福感が次に顔を合わせたときは味わえないかもしれないというネガティブな感情に変わる。
珠次が俺に嫌気がさして近づいてくるなと言ってきたらどうしようと思えば思うほど、次に珠次と会ったときは発情期の犬になってしまう。
不安感の払拭を性的な満足感でどうにかする癖がついているのが問題かもしれない。
けれど、そこは直すことが出来そうにないのでネガティブな感情を遮断することにした。
不安を捨て去る方法があるならもっと早く試しておくべきかもしれないがこれは最終手段だ。
人を巻き込まなければならない。
機械相手では緊張感がない。
自分がどこにどの駒を動かしたらどうなるのかと巳屋敷の打つ手を考えている時間の中に不安感はない。
兄の行方も珠次が俺のどこを好きなのかという疑問も珠次に嫌われないかという不安もない。
将棋をしている最中は頭の中は将棋のことだけだ。
ぺらぺらな厚紙の駒ではなくちゃんとした盤上で勝負をしたい気もするが、持ち歩きが出来ないので小さく薄っぺらいものを使っている。
静電気で指にくっつかないように気を付けて駒を移動させるのも気分転換にちょうどいい。
俺が考え出すと長いことは巳屋敷だけではなく親衛隊は大体知っている。
とくに長いときは目の前のゲームのことではなく珠次に思考が飛んでいるせいだというのもバレている。
頭の中から不安を追い出すためにゲームの行方だけを考えようとしても珠次にムラムラした気持ちから抜け出せないと次の手が出てこない。
そんなときは挟み将棋や五目並べでお茶を濁す。
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