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恋人はきっと俺が好き?1-5

 足を引きずりながら転入生とのことを思い出す。    事故だと言い訳は引っ張られた跡のあるネクタイによって否定できる。  転入生が意図的に俺にキスをしてきた。  階段から落ちた衝撃をやわらげようとしていた俺は避けられなかった。  唇が合わさったことは浮気なんだろうか。  見ていた周りの生徒たちに転入生の今後を考え言い訳をしなかったことは浮気なんだろうか。    浮気とはなんなのかという考えと俺の行動が浮気だったということで珠次に嫌われる可能性を考えて吐き気がした。  地面がぐにゃぐにゃだ。  しっかりと立っている気がしない。  地に足がつかないまま俺は珠次の待つ自分の部屋に帰宅した。    珠次と顔を合わせて諸々の感情をリセットしようと思っていた。  ついていない日もある。  珠次がいるだけで幸運だと思えるので身体が痛くてもなんてことない。そう思っていた。  自分は珠次といられる幸せ者だとそう思っていたのに世界はモノクロに変わった。  急速に色あせた世界の理由は珠次ではなく自分自身にある。  俺は珠次を見て気づいてしまった。    今まで隙あれば首にキスしていたせいで勘違いしていた。  何度となく身体を重ね、珠次の身体を唇や舌先で味わった。    それなのに俺は珠次と唇を合わせていない。  一般的なキスをまったくしていなかった。    キスしまくっていると思って自重していた俺にまさかの落とし穴だ。    セフレと副会長に言われても仕方がないのかもしれない。  俺が恋人同士だと勘違いしていただけで珠次も副会長のように俺との関係をセフレだと思っているのかもしれない。  聞くのが怖すぎて俺は寝室に引きこもった。  珠次が心配そうに「にゃーにゃー」鳴いている声を聞きながら俺は泣いた。    珠次が俺のことを恋人だと思ってくれているなら自分としていない唇同士の触れあいを転入生相手にしていると知ったら傷つくに決まっている。自分に置き換えればわかる。俺は珠次が知らないところで誰かとキスしていたら深く落ち込む。理由があっても悲しいに決まっている、    涙をぬぐって「浮気をした」とメッセージを送る。  珠次が扉の向こうから何か声をかけてくれることを期待したが何も聞こえなかった。  寝室から出ると部屋はモノクロで静まり返っている。  電気は消えていて初めて見るような部屋だと思った。    珠次がいつも俺が起きるよりも先に目覚めてリビングなどの電気をつけてくれる。  抱き潰した日はベッドの中で珠次が動き出すまで俺も動かない。  どうやって謝ろうとか、罵り文句のひとつでも飛んでくるかと不安になりながら珠次の目覚めを待っていた。  そして、俺は今まで一度も珠次に怒られたり冷たい目で見られたりしたことがない。  しつこいというニュアンスの「にゃー」はたびたび耳にしたし、もう終わりだと告げるように背中や二の腕を軽く叩かれたことはある。  それは決して嫌悪感を前面に出したものではなく、じゃれあいであり、前のめりになっている俺を落ち着かせるための合図だ。    俺のことを嫌いになっていたら、だるい体を起き上がらせて朝食を作ってくれるはずがない。  珠次はそうするのが当たり前という顔で俺にご飯を作るし俺を部屋で待っていてくれる。  それが珠次の愛情表現であったなら部屋から出て行ったのは愛想をつかされたことを意味するのかもしれない。  暗い部屋で鳩時計の愛嬌のある音が響く。  寝室に引きこもってから思った以上に時間が過ぎていた。    珠次から「何度目?」とメッセージが来ていて一瞬、混乱した。  自分が「浮気をした」と書いたことを忘れて「一度もない」と返信する。  言いたいことはいっぱいある。  気持ちはないし事故だと叫びたい。  あれは浮気なんかじゃないと弁解したいが、それは男らしくない気がした。  本当は散々な目にあったと珠次に吐き出したい。  自分は何も悪くないと言いたい。  それでも、言わない。言えない。    格好をつけているのではなく俺が珠次の首ばかりにキスをして唇をないがしろにしていたのは事実だ。  珠次の唇に魅力がないわけじゃない。  ただ、うなじや喉仏を舐めまわすことばかりに俺は熱心だった。  転入生がどうとかいう問題ではなく俺は自分のキス事情に衝撃を受けていた。  珠次は何も言わなかったが唇が触れあわないことに疑問を抱いただろう。  本当に謝るべきは転入生とキスをしたことよりも珠次とのキスが少なかったことだ。    俺の考えを吉武は嘲笑った。    珠次は俺のことを好きじゃないから嫉妬もしないし傷つかないと言う。  そして、結局俺も珠次が好きではなく行方不明中の兄や兄の友人の影を珠次に求めているだけだと指摘する。  吉武がそう判断した理由が分からない。  珠次はマイペースではあるが兄たちのように俺を放置して自分の世界に没頭することはない。  時計を見上げて延々と時間をつぶせる珠次だが俺が触れたら時計より俺を見てくれる。  兄はダメだ。  作業に没頭していたら一区切りがつくまで絶対に俺を見ない。  同じ部屋にいても違う世界にいるようで淋しくてたまらない。    珠次と居て淋しさや不安を感じたことがない。  珠次が居なくなることだけが怖かった。    俺が上手い立ち回りが出来ないせいか不安は現実のものとなってしまう。  珠次の口から「別れましょうか」と聞きたくなかった言葉が出てきた。    悪夢のような転入生がキスをしたから責任を取って自分と付き合うべきだと言い出す非常識さを聞き流したのが悪かったのか、吉武が好きでもない相手と付き合うのは失礼だと誰宛かわからないことを言っていたせいで、珠次のくもった表情に気づけなかった。    顔を合わせてまずは全てのことに対する謝罪をするべきなのに全部が手遅れになっている。  珠次は俺を好きなんだと思いたいのは別れたくない俺の都合なんだろうか。  情緒不安定なときはあれほど珠次は俺が嫌になったかもしれないと想像したのに、いざ別れを切り出されると珠次は俺を好きなはずだと考える。  どこまで俺は勝手なんだろう。    珠次が居なくなったら世界はモノクロだ。  それなら不安も想像もどれが現実か白黒はっきりするべきかもしれない。

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