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第4話 invitation
当日、金曜日。
「はあぁぁぁ……」
プレートに並んだ焼きたてのクッキーを眺めながら、武虎が四度目の溜息をついた。台所は甘い匂いに包まれ、武虎にとってはまさに天国のような状態になっている。
「つばさ、一個食べてもいい?」
「いいけど一個だけな。皆の分がなくなったら困るから」
「どれにしよう? 迷う」
コウモリ、幽霊、星、月、カボチャ――。このためだけにわざわざクッキーの型を買ってきたのだ。この短期間で、何度あのディスカウントストアに足を運んだだろう。
「あああ、美味しいって、このこと」
サクサクと音を立ててクッキーを頬張りながら、武虎が大袈裟に感想を洩らす。ミイラのツナギを着て明らかにテンションが上がっているらしかった。
「武虎、トイレ大丈夫か?」
「さっきしたから平気」
クッキーを箱に入れ、戸締りを確認し、時計を見る。
「よし、それじゃそろそろ行くか」
「おう!」
ツナギ姿の武虎にセットの包帯帽子を被せて、白い長靴を履かせれば完成だ。
そんな姿の武虎と手を繋いで外を歩いていると、道行く人達が皆振り返る。誰もが一瞬ぎょっとした顔をして、それから「ああ今日はハロウィンか」と納得し、笑顔になる。中には写真を撮らせてほしいと言ってくれた人もいた。武虎は恥ずかしそうにポーズを取っていたが、その顔はやはり嬉しそうだった。
教室が近付くにつれ、仮装した子供達が増えてくる。想像した通りドラキュラや魔女の恰好をした子が多く、白一色の武虎は逆に一番目立っていた。
「武虎、すげえ!」
教室に入るなり、中にいた子供達が声をあげた。
「それ何? 包帯マン?」
「ケガした人みたい」
小さな悪魔や魔女が武虎の元に群がり、あれこれ質問を始める。今の子供達にはあまり馴染みのないモンスターなのか、皆不思議で堪らないといった顔をしていた。
「おれはミイラだよ!」
両手を挙げて全身を見せる武虎だが、子供達は「知らない」「何それ」と顔を見合わせている。何だか少し妙な流れだ。
「変なの!」
誰かが笑いと共に発した言葉に、武虎の顔から得意げな笑みがスッと消えた。
ああ、やばいな。――そう思った俺に、まるでキャバクラのコスプレイベントのような黒猫の恰好をした女の子が腕組みをして言った。
「武虎くんのお兄ちゃん、ちゃんとした衣装作ってあげなかったの? 私のはお母さんが作ってくれたけど、武虎くんのはぼろぼろじゃん」
その生意気なほっぺたを抓ってやりたくなったが、そこは子供の言うことだ。何とかそれを堪えてクッキーの入った箱を見せると、黒猫少女の目がそれこそ猫のようにギラリと輝いた。
「それクッキー? くれるのっ?」
「ああ。でも友達の悪口言う子には、どうしよっかなぁ?」
するとたちまち武虎の周りで「ごめんなさい」の大合唱が始まった。それでも武虎の顔は暗いままだ。一言も発さずに首を振り、俺の手を強く握りしめている。
「皆、揃ったか」
奥の事務室から蒼汰が出てくると、子供達が片手を挙げて「ハロー!」と叫んだ。蒼汰も何かの仮装をするのかと思ったが、シャツとジーンズという普段着のままだ。
「hello everyone,sitdown,please!」
普段の授業と違って今日は机がない。無造作に置かれている椅子に子供達がおのおの腰かけ、武虎も黙ったまま近くの椅子に座った。
「皆すごいな、思ってたよりカッコいいし、可愛い。ドラキュラもウィッチもゴーストも、これだけ揃えば悪いモンスターも逃げるだろうな」
出欠を取った後で、蒼汰が俺を前に呼んだ。
「今日は武虎のお兄さんの翼くんが手伝いに来てくれたんだ。皆にクッキー作ってくれたから、帰る時にもらうように。ちゃんとお礼言うんだぞ。サンキュー、翼」
「サンキューつばさ!」
俺は頭をかいて笑いながら、奥の方で俯いている武虎に目をやった。
まさかこんな展開になるなんて想像もしていなかった。ミイラが否定されるということは、何を置いてもそれを選んだ武虎の個性が否定されたのも同然だ。何とかして元気付けないと、ハロウィンが武虎のトラウマになってしまう。
「俊介がドラキュラで、莉々菜が黒猫で、……お、武虎はミイラか。かっこいいじゃん」
教壇に手をついて身を乗り出し、蒼汰が言った。
「皆、ミイラがどういうモンスターなのか知ってるか?」
「ケガして死んだ人!」
「はずれ」
「体中から血が出て、包帯巻いてる人!」
「それもはずれ」
蒼汰が首を振り、腕を組んで笑う。
「正解は、昔の外国の偉い王様だ。その国ではな、死んだ人に包帯を巻いて寝かせることで、死んだ後もまた生き返るっていう伝説があったんだ。ただし生き返らせることができるのは王様だけで、ミイラになれるのは、本当に偉い特別な王様だけだったんだぞ」
へえ、と子供達が目を丸くさせ、武虎を振り返った。武虎の頬も赤くなっている。
「だから先生は武虎の服、すごいカッコいいと思う。武虎は伝説通り蘇った王様だな」
たちまち子供達が――取り分け男の子達が目を輝かせ、武虎に向かって「すげえ!」「カッコいい!」と称賛の言葉を浴びせ始めた。武虎の顔がみるみる嬉しそうになる。武虎自身、知らなかったのだ。自分の衣装が王様を表しているなどということは。
「でも、死んだ王様なんて怖い」
先ほどの生意気な黒猫少女が、腕組みをしてツンとそっぽを向く。蒼汰はそんな彼女を見てにこにこと笑いながら、背後に用意していた「アレ」を取り出した。
「本当に怖いモンスターっていうのはな、……こういうのを言うんだっ!」
瞬間、教室中が悲鳴と絶叫に包まれた。ゾンビのマスクを被った蒼汰に、子供達は我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ回る。黒猫少女が焦って転ぶ。蒼汰が慌てて駆け寄る。耳をつんざく悲鳴。絶叫。阿鼻叫喚。
「そ、蒼汰! やりすぎだ、馬鹿!」
我に返った俺は蒼汰の顔からマスクを脱がし、涙でぐしゃぐしゃになった黒猫少女の顔をティッシュで拭いてやった。
「悪い悪い。莉々菜、大丈夫か? 怪我してないか」
「蒼汰先生のバカ! アホ!」
「ごめん、ごめんって。痛いよ、グーで腹を殴るな」
「今度やったら、もう先生のお嫁さんにならないからね!」
「マジか」
子供達の歓声の中、俺はホッとした想いで蒼汰に囁いた。
「ありがとう。武虎、本気で泣きそうになってたから助かった。ほんとありがとう」
「一つ貸しな。後で覚悟しとけ」
「………」
不敵に笑って囁く蒼汰に、思わず前言撤回したくなる。顔を顰めて露骨に呆れた表情を作ると、蒼汰もまた露骨に邪悪な笑顔を浮かべて応戦してきた。
「オッケー。それじゃあ椅子を丸く並べて、フルーツバスケットの準備!」
わあっ、と子供達が叫び、椅子を持ってあちこち走り回る。武虎の顔も輝いていて、他の子と一緒に笑い合っている。
もしも俺が蒼汰と「そこまでの関係」になっていなかったら。俺がここに来ることはなかったし、蒼汰も武虎の性格を知ることはなかった。武虎は他の子にからかわれて沈んだままでパーティーに参加し、場合によっては泣いていたかもしれない。
今だけ――この瞬間だけ、俺はあの夜蒼汰と知り合ったことを感謝した。
その後は英単語を使ったいくつかのゲームをし、英語の歌を歌い、蒼汰が子供達にお菓子を配り、皆でそれを食べながら教室を暗くして蒼汰の怪談に聞き入った。
怖がりながらも、皆楽しそうだ。武虎は友達のバットマンと寄り添って震えているし、例の黒猫少女はここぞとばかりに蒼汰の腕にしがみついている。俺も魔女と妖精に両側から腕を組まれていたが、子供達と一緒になって怪談に震え上がるのは楽しかった。
「………」
正直言って、蒼汰は格好良かった。
ハロウィンについて語る楽しそうな笑顔も、友達同士みたいに子供とじゃれ合っているのも、低い声で発せられる流暢な英語も。
密かに生徒全員分のハロウィンカードを作っていたことも、それとなく引っ込み思案な子の隣に行って笑わせてやっているところも、絵が下手だと子供達にからかわれて照れ臭そうにしているところも。
「先生、先生。まだ帰りたくないよ」
「私も、ハロウィンの歌また歌いたい」
「蒼汰先生、もっと遊んで」
小さなモンスター達が蒼汰に群がっているのを見て、俺は苦笑した。体によじ登られるのを阻止したり女の子に腕を引っ張られて大袈裟に痛がったりする蒼汰は、あの夜、俺の体に触れていた蒼汰とは別人のようだった。
俺だって楽しいのだ、子供達はもっと楽しいだろう。蒼汰が慕われている理由がよく分かった。
……そして、俺自身が蒼汰に惹かれ始めていることも。
「つばさ、楽しいね!」
「良かったな、武虎」
最後にもう一度歌を歌ってから、午後六時、いつもより遅い時間にパーティーはお開きとなった。写真も沢山撮ったし、大量に作った俺のクッキーも全て捌けた。
「それじゃあ、また来週。暗いから気を付けて帰るんだぞ」
「蒼汰先生、バイバイ!」
「楽しかった、先生バイバイ! つばさもバイバイ!」
迎えに来た保護者の人達が、それぞれの我が子と手を繋いで教室を出て行く。蒼汰は若い母親からの熱っぽい視線を受けながら教室の出口で一人一人と握手をし、最後の生徒を見送った後で大きく溜息をついた。
「はあ、疲れた。けど問題なく終わって良かった。協力ありがとうな翼、お疲れ様」
「お疲れ。武虎も良かったな、楽しかっただろ」
「楽しかった! 蒼汰先生の話と、歌とゲームと、つばさがいてくれたのが楽しかった。あと、先生のゾンビかっこよかった!」
「武虎も翼も、最後まで残ってくれてありがとうな。何かお礼しないとな」
その言葉に俺は、武虎のミイラを褒めてくれた蒼汰の言葉を思い出した。
「お礼したいのは俺の方だよ。本当に助かった、ありがとう」
「先生、おれもありがとう!」
「いいって」
「あのさ、良かったらでいいんだけど……」
もしかしたら迷惑かもしれないと思いながらも、俺は意を決して蒼汰に訊いてみることにした。
「良かったら、うちで夕飯一緒にどうかな」
「え?」
「蒼汰先生、うちに来るの? やった!」
飛び跳ねる武虎の横で、俺は恥ずかしさに赤面する。感謝の気持ちを表したいのは事実だけど、これではまるで蒼汰を「誘っている」みたいだ。
「お邪魔しちゃっていいのかな」
案の定、蒼汰がどこか意味ありげな笑みを俺に向ける。
「戸締りもしたし、飾りの片付けは明日ゆっくりやればいいか」
「やったぁ! 蒼汰先生、早く! 早く!」
そうして武虎が右手に俺の手を、左手に蒼汰の手をしっかりと握りしめる。俺は陽の落ちた十月最後の金曜日の空を、どこか落ち着かない気持ちで見上げた。
蒼汰が家にいる。武虎の隣で、俺の作ったシチューを食べている。蒼汰の目の前には俺と、それから、父さん。いつもの三人が今日は四人というだけなのに、それはとても妙な光景だった。
「武虎が迷惑かけてませんか。この齢の子供が一番ヤンチャでうるさいでしょう」
武虎の先生とはいっても、俺が「友達」を連れてきたことに父さんは上機嫌だった。普段は夕食時に飲まないはずのビールも開けて、蒼汰に酌までしている。
「いえ、武虎は生徒の中でもしっかりしてると思いますよ。多分、お兄さんがしっかりしてるからでしょうね」
父さんの前では流石に蒼汰も意味ありげな行動はとらない。大人そのものの受け答えをしていて、普段とはまるで別人だ。父さんはそんな蒼汰をすっかり気に入った様子だった。英会話教室の講師という職業も、始めから高ポイントになっている。
「ところで蒼汰先生、ご実家は」
「実家、……は、四国の、香川県なんですけど」
「香川ですか、遠いな。頻繁に帰省できなくてご両親も寂しいんじゃないですか」
「そうですね、実際何年も帰ってないんですよ。早くに一人暮らしして留学したり旅したり、色々してたもので」
「偉いなぁ、まだ若いのに。……武虎だけでなく翼とも仲良くしてくれてるそうで、ありがとうございます」
「いえ、世話になってるのは俺の方ですし」
「翼にこんないい友達ができて、嬉しいですわ。息子には負担かけっ放しでずっと家にいるから、そのうちストレスで不良連中と付き合うようにならないか心配だったんですよ」
「大丈夫? 父さん、泣きそうだよ」
武虎が口の周りをシチューで白くさせながら、不安げに父さんを見上げる。俺は苦笑いで父さんの近くにあったビールをさり気なく遠ざけた。
「上出来な家族なんだな……」
「……?」
呟いた蒼汰は、父さんを見ていなかった。武虎のことも、俺のことも。
それから午後八時半。三人で蒼汰を見送ってから、俺はテレビに夢中になっている武虎に気付かれないよう、父さんに耳打ちした。
「父さん。申し訳ないけど、今夜武虎のこと見ててくれるかな」
「何だ急に、改まって。これからどこか行くのか?」
蒼汰には外で待っててもらっている。その旨を伝えると、父さんは快く承諾してくれた。
「お前にもやっと友達ができたんだもんな」
決して悪気がある訳ではない父さんの言葉。俺は今更のように友達がいないことを実感し、仕方なく笑った。
「たまには息抜きも必要だ。武虎は俺が風呂に入れて寝かせるから、ゆっくり遊んでこい」
「あ、ありがとう」
「……つばさ、どっか遊びに行くの? おれも行きたい」
既に重くなっている目蓋を擦りながら、武虎が台所に入って来た。小脇にはロンメルを抱えている。相当眠い証拠だ。
「翼な、友達と約束してたんだって。最近全然遊んでないから、たまには友達と遊ばせてやろう」
「おれも行きたい」
「武虎は今日いっぱい楽しんだだろ」
「やだ、今日つばさと一緒におれも行くっ」
「武虎」
父さんに抱き上げられた途端、武虎が甲高い悲鳴のような声をあげて泣き始めた。遊びに行けない悔しさ、置いて行かれる寂しさ、それからどうしようもない眠気とで、本人もどうしたら良いのか分からないのだ。
「おれも、つばさと、遊びたいのにっ……」
しゃくりあげながら父さんの肩に顔を埋める武虎。その背中をポンポンと叩きながら、父さんが目で俺に「早く行け」と合図する。
「父さんのバカ……つばさのバカ」
徐々に武虎の声が小さくなってゆく。父さんが安堵の溜息を吐き、俺に向かって苦笑した。
「普段は滅多にぐずらないから、こういう時の対応が困るな。今日は風呂も着替えも諦めて、このまま寝かせとくか」
「ごめん、任せちゃって」
「大丈夫だから行って来い。帰る時間も気にしなくていいからな」
俺は笑ってジャケットを羽織り、もう一度父さんに礼を言ってから玄関へ向かった。時刻は九時。こんな時間に外出するなんて本当に久し振りだ。
「そうだ翼。帰る時、武虎にアイスか何か買って来てやってくれ」
そう言って父さんが俺に一万円を差し出した。アイスを買うには充分すぎる金額だ。父さんの心遣いに感謝して、俺は晴れやかな気持ちで十月の夜空を見上げた。
そして――
「翼くん」
「あ、……」
それこそカボチャのような満月の下、あの大型スクーターを押しながら蒼汰がやってきた。放り投げられたメットを抱えて頷き、肩を並べて夜の道を歩き始める。
「どこ行くんだ?」
「いいとこ連れてってやるよ。お前が喜びそうなとこ」
住宅街を歩いて抜け、やがて駅が見えてきた。夜といってもまだまだ駅前は人が多い。それは恐らくハロウィンだからじゃない。俺が武虎を寝かしつけて静かな一人の夜を過ごしている時も、駅前には毎晩多くの人が行き交っていたのだ。
毎晩、毎晩、俺とさほど年齢の変わらない若者達が、これからが夜の始まりだと言わんばかりの笑顔で街に繰り出していたのだ。
敢えて知ろうとしなかった現実が、今、目の前に広がっている。
「乗れ」
そんな街を、人々の中を、蒼汰のマジェスティが走り出す。独特の低いエンジン音を轟かせながら、色とりどりのネオンや笑い声を置き去りにして走り続ける。
「翼!」
強烈な風に目を細める俺に、蒼汰が叫んだ。
「気持ち良いだろ、夜中に走ってると頭の中がトランス状態になる」
「で、でも怖い!」
ほんの少しでも蒼汰の腰に回した腕を緩めれば、その瞬間に俺はあの世行きだ。紛れもない死、良くて重体。残された父さんは、武虎は……。
「大丈夫だ、しっかり掴まってろ」
空間を切るような風の音。地面を削るタイヤの音、光、闇……その全て。蒼汰の声は決して大きくなかったが、周りのどんな音よりもクリアに俺の耳に届いた。
「恐怖も、緊張も焦りも、その先にあるのは皆同じだ」
「蒼汰――」
「ある一線を越えれば、それは全て快感に変わる」
耳に直接吹き付ける疾風とエンジンの爆音が、蒼汰の声にかき消される。腰にしがみつかせた腕に力が入り、俺はしっかりと目を開けて蒼汰の肩越しに飛び込んでくる恐怖を受け入れようとした。
「っ、……あ」
依然として不安は消えない。それでも少しずつ、ほんの少しずつ視界が開けてくるのを感じた。
蒼汰に任せていれば大丈夫。
そんな漠然とした思いが、俺の恐怖を払拭してゆく。
「どうだ、大したことなかっただろ」
「結構ボロボロ……」
乱れに乱れた髪を手で整えながら、俺は蒼汰の隣をふらつく足で歩き続けた。連れて来られたのは三駅先の、例のディスカウントストアがある街だった。通りは仮装をした人達で賑わい、普段は八時頃に閉まってしまう店も空いている。
メインストリートはハロウィン一色。巨大なカボチャのオブジェを背景に写真を撮る人達もいれば、名前も知らない人々に駄菓子を配っている集団もいた。あちこちで歓声が沸き上がり、カラフルなネオンとカメラのフラッシュで目がちかちかする。
「翼くん、何か食うか。クレープにチュロスに、ポップコーンもあるってよ」
「な、何か凄い。遊園地に来たみたいだ」
「はぐれないように気を付けろ。あと、痴漢にもな」
人混みの中、蒼汰の手が一瞬だけ俺の手を握った。すぐに離したのは俺が「クレープ食べたい」と屋台を指したからだ。お祭り騒ぎの中とはいえ、蒼汰と手を繋いで歩くなんてできなかった。そんなことをしたら多分俺は、余裕が持てなくなる。
「クレープか、いいな。チョコチップ入りのカスタードと生クリーム、それからバニラアイスにたっぷりチョコソースかけて食おう」
「蒼汰って意外に甘党なんだな……」
笑いながら、蒼汰がクレープ屋のワゴンへと俺を引っ張って行く。俺も彼に負けず劣らず甘い物好きだが、流石に夕飯を食べてきたせいか、蒼汰と同じものを食べることはできなかった。
それにしても混んでいる。ハロウィンの何がそこまでさせるのか、男も女も派手な仮装でビール片手に歓声をあげ、抱き合ったり歌ったり写真を撮ったりと大騒ぎだ。英会話教室でのパーティーが霞んでしまうほど、人も街も皆ハロウィンに熱狂していた。
クレープは美味しかった。イルミネーションも綺麗だった。俺が憧れていた「夜の街」はどこまでも輝き、生き生きしていて、……楽しかった。
「ゲーセンでも行くか? 混んでそうだけど」
「蒼汰、今日はありがとうな。色々と」
「何だ、もう帰るつもりかよ」
「武虎のこととかさ。俺をここに連れて来てくれたのも、前に俺が全然遊んでないとか、友達いないって言ったの、覚えてたからだろ」
蒼汰はポップコーンを頬張りながら俺を見つめている。
「初めは最悪だって思ってたけど、蒼汰って実は良い奴なんだな」
「別に俺は、……」
蒼汰の呟きは喧騒にかき消されてしまったが、その横顔はほんの少し笑っているようにも見えた。
子供の直感は正しいのかもしれない。あれだけ子供達から好かれている蒼汰なのだ、きっと良い奴なんだろう。
初めて会ったあの夜だって、今思えば正体を隠したまま最後まですることもできたのだ。だけど蒼汰はしなかった。その後も普通に接してくれていた。
裏と表の顔があるなんて、社会で働いているなら当前のことじゃないか。……蒼汰は多分、始めから良い奴だったんだ。
「少しは見直したか?」
「まあね。正直、見直した」
「そうか」
人混みの中、今度こそ蒼汰が俺の手を握った。
「じゃあ、今日は一晩中付き合えよ」
「………」
それが何を意味しているのか、そのくらい俺にでも分かる。こんなことになるなんて予想していなかったけれど、幻想的なイルミネーションと巨大なカボチャのオブジェを見つめているうちに、俺は頷いていたらしい。
「……マジか」
蒼汰が俺の手を放し、「俺の株もだいぶ上がったな」と頭をかきながら冗談ぽく笑った。
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