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第6話 sunny day
良くも悪くも恋愛の力というのは、こういうものなのだろう。
俺は蒼汰と体で結ばれて以来、今までより明らかに違うテンションで毎日を過ごしていた。早起きも苦にならず、料理にもいつになく気合が入り、父さんと武虎の前でもよく笑う。面倒なことも進んでやったし、一人の夜でも不安になんてならなかった。
俺には蒼汰がいる。心の支えがある。それを思えば何でも頑張れた。まるで思春期の中学生女子みたいだ。今が楽しくて仕方ない。この幸せが一生涯続くと、根拠もないのについ思い込んでは含み笑いしてしまう。
今までは考えたくなかった自分の将来も、傍に蒼汰がいてくれるかと思うと何もかもが薔薇色に輝き出す。それは妄想に近い想像だけれど、俺を奮い立たせるには充分な力を持っていた。気付けば俺は、あれほど日課としていた深夜の公園へ行かなくなっていたのだ。
「つばさって、変。最近ずーっとニコニコしてる」
「そうかな。でも、ニコニコしてた方が武虎も嬉しいだろ?」
「うん。そう思う」
今日は日曜。天気は良好。たまたま武虎のサッカークラブが休みで、前から行ってみたいと言っていた動物園に来ている。武虎はお気に入りの青いキャップと緑色の小さなリュックを背負っていて、それはもう見るからに愛らしかった。
「ゾウ凄かったな」
「凄かった! リンゴ食べてるとこ初めて見た」
「後は何が良かった?」
「パンダと、白クマ。可愛かった」
色々な種類の猿やリスなども見たし、ヤギに餌もやったし、ウサギも抱いた。今は昼飯の途中だ。作ってきた弁当を広げて芝生に座り、遠目にキリンを眺めている。
「なぐも。キリンって、恐竜から生まれた?」
シャケのおにぎりを齧りながら、武虎が俺を見上げて言った。
「え、何で?」
「キリンみたいな恐竜見たよ、テレビで」
「ブラキオサウルスか。確かに似てるけど、多分違うんじゃないかな」
「ヘビって、どうやって歩いてるの?」
「う、うーん……」
思った疑問をそのまま口にする武虎に、俺は困りっ放しだ。こんなことなら、動物園に行くと決まった昨夜のうちに色々と勉強しておけば良かった。
「お待たせ」
困っているところに、ようやく戻って来た救世主。彼の手には缶ジュースが三本と、首には、園内で人気の動物型バケツに入ったポップコーンがぶら下がっている。
「蒼汰先生!」
「ほら、武虎。お前が好きなトラのバケツを選んできてやったぞ」
「ありがとう! ジュースもありがとう!」
嬉しそうな武虎を真ん中にして、三人で昼食。今日の動物園を提案したのは蒼汰だ。「ハロウィンを手伝ってくれた礼に」という名目で来ているが、武虎も誘ってくれたのは嬉しかった。こんな穏やかで幸せな時間に、ずっと憧れていた。
それはきっと、蒼汰もだ。
「見てみろ、武虎。キリンも飯食ってる」
「食べにくそうだね」
飼育員の人が、恐らくは客を楽しませるために手渡しで餌をやっている。キリンが首を下げて食べている姿は、確かに食べにくそうではあった。
「飲み込んだら、あの長い首の中をごはんが進んでいくの?」
「そりゃそうだろ。途中でつっかえたら大変だな」
「へえ〜。蒼汰先生、ヘビはどうやって歩いてるの?」
「種類によって違うけど、まあ、腹の下にある鱗を動かして進んでんだよ」
よく分かっていない顔の武虎に、蒼汰が続けた。
「武虎は戦車が好きだろ。あれのキャタピラの部分、想像してみろ」
「……ああ、なるほど! すごく分かった」
「武虎、戦車なんか好きだったっけ」
「蒼汰先生に教えてもらったんだ。ヤークトパンター、ロンメル!」
「名前で好きになったのか」
そのロンメルのモデルであるトラは、まだ見に行っていない。猛獣ゾーンは昼飯後のお楽しみとして、たっぷり時間を取って見る予定だからだ。
俺も楽しみだった。生で猛獣を見るのは小学二年の遠足以来で、しかも殆ど記憶に残っていない。
「あっ、ペンギンが散歩してる」
人だかりの方を指した武虎に釣られて顔を向けると、三羽のペンギンが飼育員の隣をぺたぺたと歩いていた。
「可愛いなあ」
「可愛い」
武虎と二人で目を細めていると、唐揚げを頬張った蒼汰に笑われた。
「お前ら、本当にそっくり」
そうして充分に休憩を取ってから、俺達はいよいよ猛獣が待つ園の奥へと向かって行った。
流石に人気があるためか、中々の人だかりだ。
「ライオン、寝てるぞ」
「ほんとだ。ネコみたいで可愛い」
「見えない! つばさ、全然見えない!」
仕方なく武虎を抱き上げる。
「見えたか?」
「見えた見えた。タテガミかっこいい……」
「ほ、他に何が見える」
「ええと、小さいライオンがお母さんのところにいる。それで、二匹で遊んでる」
小さいライオン。俺も見たい。
それにしても腕が攣りそうだ。前までは楽々で抱っこできていたのに、一体いつの間にこんな重くなったのか。
「つばさ、下ろしたら見えなくなっちゃう。もっともっと高く」
「む、無茶言うなっ」
限界を感じて武虎を下ろそうとした時、正面から伸びてきた逞しい腕が俺から武虎を颯爽と取り上げた。
「わ、……!」
「どうだ、この方が高いだろ」
「すげえ!」
蒼汰が両腕をぐんと上げ、そのまま自分の肩に武虎を担ぎ上げる。
「蒼汰、大丈夫なのか?」
「ああ、武虎くらいなら全然。よく見えるだろ、どうだ武虎」
「すげえ、先生、高い!」
お陰で俺も仔ライオンを見ることができた。それからヒョウ、黒ヒョウ。ゴリラ、ツキノワグマ、オオカミ。憧れの大型動物はやはり逞しくかっこよく、美しかった。
時間も忘れて動物に見入っていると、突然、
「トラーッ!」
武虎が悲鳴にも似た歓声をあげ、蒼汰の上で片手を振り回した。
「トラいた、あっち、先生、早く!」
「わ、分かったから上で暴れるな。危ない、落ちるぞ」
蒼汰が武虎を担ぎ直し、慎重な足取りでそちらへ向かう。俺もひやひやしながらその後に付いて行った。
運良く、なのか。それとも武虎の情熱が功を成したのか。とにかく俺達は周りの人々の間を進むうちに、トラの檻の最前列まで来ることができたのだ。
ようやく武虎を下ろした蒼汰が、心底からの安堵の息をつく。
「大丈夫?」
「大丈夫。かなり運動不足解消になった……」
「ロンメルー!」
手摺りを掴んで、武虎が叫んだ。好きな歌手のライブに来たファンみたいだ。
「ロンメルじゃない。名前は……メスはミルで、オスの方はタイガだって」
「た、タイガー! おれ知ってる! タイガーってトラじゃん!」
興奮し過ぎて失神するのではと思うほど、武虎のテンションは上がり切っていた。肝心の二頭のトラは木陰でじっとしていて、こちらを見向きもしてくれないのに。
「ベンガルトラって、トラの中でもかなりでかい方なんだよな。デザインもかっこいいし、食物連鎖の頂点だし」
何気ない蒼汰の呟きに、俺も呟きで返す。
「へえ……ライオンより強いんだろうか」
「場合によるけど、かなり強いだろうな。ジャングルなら負けなし。サバンナではどうだろ」
「蒼汰って動物に詳しかったりする?」
「全然。テレビで見たぐらい」
俺達の間で、武虎は跳ねたり手を振ったりと大忙しだ。何とかトラの気を惹こうとしているが、当然ながら全て無視されている。
「蒼汰先生。どうすれば起きてくれる?」
ついに万策尽きた武虎が、頼みの綱である蒼汰の袖を引っ張った。
「諦めろって。武虎も眠い時に無理矢理起こされるの嫌だろ?」
言ったのは俺だ。「そうだけど」と俯いた武虎の頭に、蒼汰が軽く手を置いて笑う。
「まあ、大丈夫だ。もう少ししたら起きるって」
「ほんとに?」
「絶対」
いやに自信ありげな蒼汰。適当なことを言っているのかと思ったら、蒼汰が武虎に気付かれないよう俺に目配せしてきた。
「……ん」
視線の先には、さっき俺が見たベンガルトラの名前などが描かれている看板。体重や特徴などの説明の下には、こんな素っ気ない一文が添えられていた。
おやつタイム・三時。――もうすぐだ。
「なるほど」
俺も楽しみになってきて、武虎と二人、手摺りに齧り付くようにしてその時を待った。
「つばさ、本当にタイガ、起きるかな?」
「起きる、起きる」
その証拠に、時間が近付くにつれて檻の向こうの二頭がそわそわとしだした。
「ほら、起きた」
「本当だ!」
そうこうしているうちに飼育員がやって来て、最前列にいた俺達に、というよりも武虎や他の子供達に、優しく笑いながら言った。
「トラにおやつをあげてみたいですか?」
「はいっ、おれやります!」
真っ先に武虎が手を挙げ、他の子供達もそれに釣られてハイハイハイと手を挙げる。どさくさに紛れて俺と蒼汰も挙手し、どうにか餌やり権をゲットすることができた。と言っても子供優先のためか、俺と蒼汰は二人で一回、という括りだ。
「檻の中には絶対に手や指を入れないようにしてください。この棒の先に好物の肉がついてますので、好きな角度から餌やりができます」
枝切り鋏のように長い棒を持ち、武虎が頬を上気させて飼育員に尋ねる。
「タイガは、どっちですか?」
「タイガは左にいる方だよ」
二頭のトラが寄って来て、各々檻の隙間から差し出された肉に食らいついている。すごい迫力だ。
「タイガ、おれのも!」
恐々差し入れた武虎の肉も、あっという間にがぶりと食べられてしまった。間近で大きな顔や牙を見ることができて、武虎は放心しながらも笑っている。
「蒼汰、俺達も」
「よっしゃ」
蒼汰が握った棒を高々と上げて、なるだけ上の方から差し入れる。俺も背伸びをしつつ必死に棒を握った。
「うおぉ……!」
唸ったのはトラでなく、蒼汰だ。
メスのミルが柵に爪をたて、その巨体を持ち上げて肉に食らいつく。迫力満点の光景に怖気づいた俺はすぐ棒を離してしまったが、周りからは歓声が上がっていた。
「すげえ!」
大喜びの武虎に、満足そうな蒼汰。俺も嬉しくて楽しくて、意味もなく笑い続けた。
それからトラと一緒に三人で記念撮影をして、ショップでトラのキーホルダーを買って、父さんへのお土産にお菓子とTシャツを買って、アイスを食べてまた写真を撮って。
歩きながら右手で俺と、左手で蒼汰と手を繋いだ武虎が、思い切りジャンプをして足を宙に浮かせる。普段は遊園地でもここまではしゃがないのに、やはり大好きな蒼汰がいるからか。
無邪気に甘えて蒼汰に抱き付ける武虎を少し羨ましく思い、俺は仕方なく苦笑した。
「今日はありがとう、蒼汰。本当に楽しかった」
……帰りの電車の中、俺の膝枕で寝てしまった武虎を起こさないよう小声で礼を言う。
すっかり遅くなってしまった。夕食までご馳走になって、お土産までもらって、ずっと武虎のおもりをしてもらって、蒼汰は相当疲れているだろうと思う。
「いいって。俺も楽しかったし、また今度三人で行こう」
「うん。武虎も喜ぶよ」
「それから、平日に二人でデートもしないとな」
「………」
恥ずかしさに赤くなった顔は隠しようがなくて、俺は膝枕で寝ている武虎に視線を落とした。
「翼、どっか行きたい場所あるか?」
「す、すぐには思い付かない。行きたい場所があり過ぎて」
「ゆっくり考えてくれよ。どこでも連れてってやるからさ」
「……ありがとう。嬉しい」
蒼汰の手が、さり気なく俺の手を取った。握りしめた手のひらから、全身にとろけるような熱が伝わって行く。恥ずかしくて堪らないのに、この手を放したくない。
「翼くん」
「……なに?」
「顔、真っ赤」
「う、うるさい」
暑いのは車内の暖房のせいではないだろうなと、俺は体内の熱を吐き出すように深呼吸を繰り返した。
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