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第8話 静かの夜に
雨で濡れた蒼汰の服を洗濯機に入れ、新しいバスタオルと部屋着を脱衣所に用意する。
父さんは蒼汰に謝りっ放しだった。土下座までする勢いだった。
「………」
蒼汰は黙っていた。どこか遠くを見るような目で、謝り続ける父さんをじっと見つめていた。
「ご迷惑おかけしました。何とお詫びしたら良いか……」
「迷惑だなんて思ってないです。武虎が無事で良かった」
「先生、本当にありがとうございました」
俺は蒼汰の横顔を見ていた。
その顔は微かに笑っているのに、何故か寂しそうだった。
「謝るのは、俺の方だから」
寂しそうな表情のまま呟いた蒼汰の言葉に、父さんが顔を上げる。
「俺が、武虎から翼を奪ったんです」
「……蒼汰?」
「武虎が嫉妬するって分かってて、翼に近付きました。武虎から翼との時間を奪うと知ってて、……翼と関係を持ちました」
父さんの目が見開かれる。俺は突然の蒼汰の告白に動揺し、声を発することができなかった。
「この先も武虎を傷付けるかもしれないし、武虎の教育上良くないことも分かっています。だけど俺は、翼から離れるつもりはありません。俺は、翼に惚れてます」
「先生、あなたは……」
「俺は、翼と家族になりたい。……翼の家族の一員に、なりたい」
「………」
見てきた訳じゃないのに、俺の脳裏にはファミレスで一人ぼっちの子供がいた。
五百円でカレーを食べて、アイスもジュースも我慢して、なるだけ時間をかけて食べ終わってもまだ帰っちゃいけなくて、それでも母親に会いたくて。
押入れに閉じ込められて、暗闇の中で耳を塞いで、涙を流して朝を待つ子供。その泣き顔が頭の中で武虎に変わった時、俺は蒼汰が抱えていた寂しさを理解した。
大好きなはずの母親とは思い出がなく、自分を守ってくれるはずの父親は顔も見たことがない。無条件で愛情を注いでくれるはずの両親がいない、それは武虎も蒼汰も同じだった。
手を差し伸べてやりたい。抱きしめて、安心させてやりたい。俺が武虎にしているように。幼い頃の蒼汰を、何の罪もないのに傷付けられていた天使を、無条件で愛してやりたい――。
「父さん」
「………」
「俺も、蒼汰のことが好きだ。蒼汰と、ずっと一緒にいたいと思ってる」
「………」
「父さんと、武虎とも。ずっと一緒にいたい。時間がかかってもいいから、俺達のこと許してほしい。……お願いします」
床に手をつき、黙ったままの父さんに頭を下げる。拳が飛んできてもいい。勘当されてもいい。俺のこの気持ちは、変えようがなかった。
「悔しいが、……息子の育て方を間違えたとも、蒼汰君が翼を唆したとも、思えないんだよなあ」
床の一点を見つめる俺の耳に、父さんの声が優しく浸透してゆく。
「俺と母さんもそんな感じだったからかな。周囲の反対を押し切って、駆け落ち同然で一緒になった。苦労はしたが、後悔はしていない。……お前達も、あの時の俺と同じ気持ちなんだろうな」
顔を上げて見れば、父さんは困ったように笑っていた。
「正直、複雑だが。お前達が思うようにやればいいと思う。俺と母さんの倍は苦労するだろうけどな。覚悟はしてるんだろ、蒼汰君」
「勿論です」
間髪入れずに答えた蒼汰の凛々しい表情に、父さんも真剣な目付きで念を押す。
「任せていいんだな。翼が傷付くようなことになったら、俺はお前を一生怨むぞ」
声には出さず、蒼汰が力強く頷いた。
途端に、父さんが笑顔になる。
「息子がもう一人増えた気分だ」
*
トラの子ロンメルには、家族がいませんでした。お父さんとお母さんは、悪い人間に鉄砲でうたれてしまったからです。
悲しい気持ちでロンメルが歩いていると、リスの子が泣いていました。
「せっかく集めたごはんを、いじわるな鳥が狙っているんだ」
ロンメルは空に向かって吠え、意地悪な鳥を追い払ってあげました。
また歩いていると、カメの子が泣いていました。
「僕は早く走ったことがないから、みんなが笑うんだ」
ロンメルは背中にカメの子を乗せて、風を切るような速さで走ってあげました。
また歩いていると、キリンの子が泣いていました。
「おいしそうな木の実があるのに、僕の首じゃあ届かないんだ」
ロンメルは木に体当たりをして、たくさんの木の実を落としてあげました。
また歩いていると、ロンメルと同じトラの女の子が泣いていました。
「怖い人間が、お父さんとお母さんを鉄砲でうってしまったの」
ロンメルは一晩中、じっと女の子のそばに寄り添ってあげました。
お父さんとお母さんに会いたいと思いました。ロンメルは一人ぼっちで、とても寂しい思いをしていました。寂しくて悲しくて、眠りながらずっとずっと泣き続けました。
次の日になって目を覚ましたロンメルの体には、葉っぱの布団がかぶせてありました。
周りにはおいしそうなごはんがたくさんあって、リスの子と、カメの子と、キリンの子もいました。
ロンメルと同じトラの女の子が、ニコニコ顔で言いました。
「みんな、きみのことが大好きよ。きみが寂しくないように、みんなで一緒に暮らそうね」
ロンメルは一人ぼっちじゃなくなりました。それからみんなと一緒に、ずっとずっと幸せに暮らしました。
*
「優しい世界だな」
感想は遠慮すると言ったのに、画用紙でできた絵本を閉じた蒼汰が小さく笑った。
「捕食種と被食種が共存する話は基本的に好きだし、このヘタクソな絵も味があっていい」
「う、うるさいな……。蒼汰だって絵ヘタなくせに」
午前一時。父さんも武虎も、とっくに夢の中だ。
今日は泊まって行くことになった蒼汰が、俺のベッドに腰掛けて大きく溜息をついた。
「……正直言うとさ。俺、始めは翼に良い印象持ってなかったんだ。たまにいるんだ、教室を託児所代わりにしてなかなか迎えに来ない親が。……あの日翼が武虎を迎えに来なかったのも、それと同じような理由だと思ってた」
「そ、それは、……ごめん」
「それに加えて、生徒から聞いた話もあってさ。『武虎の兄ちゃんが夜中に公園で遊んでる』って、どんな不良なんだって思ってた」
蒼汰が噴き出し、俺も釣られて笑う。
「もしかして、それで真相を確かめにあの夜公園に来たのか?」
「ひょっとしたら公園でウリでもやってんのかなって。カマかけたら意外にも乗ってきたから、ますますお前への不信感が募ってった」
「……う、うん」
「だけど、違った。お前は自分の生活を犠牲にしてまで武虎のことに一生懸命だったよ。普通なら遊び呆けて家族のことなんか構ってられない年齢だろうに、お前はいつだって武虎のことを第一に想ってた」
伸びてきた蒼汰の手が、俺の頭に乗せられる。
「家族の絆なんて綺麗事だと思ってた俺に、お前は身を持って教えてくれた」
「そ、蒼汰だって、俺に色々教えてくれた。バイクに乗ったのも生まれて初めてだったし、夜中に出掛けたのも楽しかったし、俺が出来ないやり方で武虎を喜ばせてくれたじゃん。俺ほんとに嬉しかったんだよ。ハロウィンの日に教室で、武虎のミイラを褒めてくれた時」
蒼汰への気持ちが確かなものになったのはあの時だと、今でははっきりと分かる。褒められた武虎は勿論嬉しかっただろうが、俺だって相当に嬉しかったのだ。
意地悪だと思っていた蒼汰が持っていた何気ない優しさ。それに触れることができて、胸が高鳴るほどに嬉しかった。
「俺達、互いに探り合いから始まって、最高の形で分かり合えた」
絡んだ指先が、しっかりと繋がれて結ばれてゆく。見つめ合っていた瞳が閉じられ、ゆっくりと唇が近付いてゆく。触れるだけのキスは、まるで結婚式で男女がする誓いのキスのようだった。
「好きだぜ、翼」
「俺も」
照れ臭さを笑いで誤魔化し、赤くなった顔が見えないよう蒼汰に抱き付く。
「俺も、蒼汰が好き」
耳元で小さく囁くと、蒼汰が俺の背中に両手を回して強く抱きしめ返してくれた。今日一日色々なことがあったけれど、こうして蒼汰と抱き合えることに俺はこれ以上ないほどの幸せを感じていた。
武虎も、父さんも、俺も――蒼汰も。今日だけで色んなことを考えたし、学んだ。四人のうち誰か一人でも欠けていたら、今日という日は無かった。幾つもの偶然が重なって作られたこの瞬間が、今はただ愛おしい。
「大丈夫か? 重くない?」
抱き合ったままベッドに倒れ込み、上から蒼汰の体に覆い被さる恰好となってしまった。
「丁度いい感じだな。抱き心地もいいし、風呂上りの匂いもいい」
俺の体を抱き枕にして、蒼汰が全身でしがみついてくる。密着した胸元から鼓動が伝わってしまうようだ。恥ずかしさと心地好さで上気する頬を蒼汰の首筋に押し付けながら、俺は小さく息をついた。
「まさか父さんにあんなこと言うなんて思ってなかったから、驚いたよ」
「……突発的に言っちまったんだ。武虎が無事でホッとしたのと、親父さんの行動見てたらさ。俺もこんな家で育ってたら……って思ったら、止まんなかった。悪い」
蒼汰の指が俺の髪に絡み、額に口付けられる。
「いつ言っても父さんなら許してくれてたよ。そういう人だもん」
「武虎から翼を奪った男だぞ?」
「……武虎だって、蒼汰のこと嫌いになった訳じゃない。ただどうしようもない複雑な感情が膨らんで、それこそ突発的だったんだと思うよ」
蒼汰のことも俺のことも大好きなのに、どっちとも一緒にいたいのに、置いて行かれてしまう気がしたんだろう。
……たぶん武虎は、動物園の帰りの電車の中で話していた俺達の会話を聞いていたんだ。
つばさが先生の所に行っちゃう。先生はおれよりもつばさのことが好きなのかもしれない。
形容し難い気持ちはどこにも吐き出すことができなくて、誰にも言えなくて、寂しくて、だけど解決法なんて思いつかなくて……自分への無価値感から消えてしまいたくなったんだ。
見つけることができて良かった。これからきっとまたやり直せる。
「ありがとう、蒼汰」
俺は呟き、静かに目を閉じた。
「蒼汰に会えて良かった。武虎だけじゃない、俺も蒼汰にたくさん救われた。蒼汰がいてくれて本当に良かったよ」
「……褒められ慣れてねえと、こういう時の対応が困るな」
噴き出し、俺は伸ばした手で蒼汰の頭を撫でた。
「よく頑張りました」
「……翼もな」
見つめ合えば距離が縮まり、唇が触れ合う。堪らなくなって蒼汰に抱き付くと、蒼汰が珍しく慌てた様子で俺の肩を引き剥がした。
「駄目だろ、武虎も親父さんもいる」
「寝てるよ、静かにすれば大丈夫」
「でもな」
「……蒼汰とセックスしたいよ」
ぐ、っと息を飲んだ蒼汰の手が俺の頬に触れ、焦らすようにゆっくりと撫でられた。
「俺のせいで、翼くんが不良になっちまったな」
「したいと思ったことを素直に言っただけ」
身を起こし、音を立てないようにシャツを脱ぐ。蒼汰の上に跨ったままで今度は蒼汰のシャツを脱がし、その柔らかな筋肉に手のひらを滑らせた。
好きな人とセックスがしたくなる気持ちって、多分、男も女も関係ない。
「ん、……ん」
「すげえいい眺め」
それは単純に快楽を求めている訳じゃなくて、心の奥底から湧き上がってくる「好き」の気持ちを、体で伝え合いたいからだ。
裸で抱き合って、恥ずかしいところを見られて、触れ合って、口付ける。そんなことがしたいと思えるのは、心から好きになった相手だけだ。
蒼汰だから、こんな気持ちになるんだ。
「は、あぁっ……、あ、ん……」
「翼、声」
「んっ、ん……出ちゃ、……」
蒼汰の上で脚を開き、屹立したそれを扱かれる。甘い刺激が体中に広がり、声を我慢する代わりに涙が零れた。
「そう、た……」
「どうした。イきそうか?」
ふるふると頭を横に振り、唇を噛む。
「この状態でイッたら俺の顔に全部かかりそうだな。せっかく風呂入ったけど」
「やっ、……」
急に腕を引かれて抱き寄せられ、ぐるりと体勢が入れ替わる。蒼汰が上から俺の目を間近に覗き込み、何度も頬や口元にキスを繰り返した。弾くような、啄むような優しいキス。それは蒼汰の愛を感じられる柔らかなキスだった。
「蒼汰、……」
お返しに俺も蒼汰の唇に軽く口付け、じれったそうに俺の体を押している蒼汰の男の証に指を絡ませた。
「……翼、エロい子になっちまって」
「そ、そういうこと言うなってば」
「でも凄げえ嬉しい。翼がしてくれることなら何でも嬉しいぜ」
そう言って、蒼汰もまた俺を握りしめた。
「あっ……」
お互い握り合った手の中のそれを愛撫し合い、見つめ合って息を弾ませる。場所が場所だけに、初めて蒼汰とホテルに行った時よりも俺の胸は高鳴っていた。だけどあの時とはまた違って、ゆっくりと、少しずつ確かめ合うように触れ合うことが出来るのは嬉しかった。
「あぁっ、……蒼汰、……」
「ん」
昂って声が出てしまう度、蒼汰が俺の唇を軽いキスで塞いでくれた。しばらくそんなことを繰り返した後で離れた蒼汰の手が、俺の内腿をゆっくりと押し上げる――
「翼、息吐いて」
「う、ん……」
蒼汰が目を伏せ、開いた俺のそこへと腰を入れてきた。蒼汰自身の体液を入口へ直接塗り付けられる。無理矢理に押し広げられる圧迫感は、初めての時よりダイレクトに伝わってくるようだった。
あの時は余裕が無かったから蒼汰に任せきりだったけど、今はほんの少しだけ……力を抜いて受け入れる準備に集中することが出来る。
「ん、あ……、はぁ……」
口から変な声が漏れ、思わず手で塞いだ。蒼汰はまだ俺を貫こうとせず、ゆっくり、ゆっくりと俺の中を押し進んでいる。
「そう、た……」
「っ……」
声が、体が震える。蒼汰の眉間に皺が寄る。
蒼汰と繋がれる悦び。心地好くて切なくて、……蒼汰が好きで堪らない。
「あ……」
腹の中をグッと押される感覚に触れた瞬間、俺の頬を大粒の涙が伝った。
「翼、……」
耳元で低く囁かれ、体の芯が熱くなった。
「翼。……翼、……」
「蒼汰っ……」
俺の体と音に気を遣っているからか、蒼汰の動きは初めての夜と比べたら酷くスローなもので、何だか無理をさせているのではと申し訳なく感じるほどだった。
だけどスローでも激しくても、確かに俺達は繋がっている。この瞬間互いに最高の愛情を伝え合い、囁き合っている。それは何にも代え難い悦びで、これ以上ないほどの感動だった。
「気持ち、いいっ……蒼汰。……俺、気持ちいいよ……」
切れ切れに耳元で吐き出すと、蒼汰が俺の頭を強く撫でながら何度も額にキスをしてくれた。
ゆっくりと奥深くを探られ、またゆっくりと引き抜かれ――ある意味じれったい動きだったけれど。蒼汰が力強く俺の中を擦り抉るから、それはそれで刺激的だった。
「あっ、あぁ……」
「小さく喘ぐの、凄げぇそそる」
「ば、馬鹿――あっ……」
蒼汰の逞しい背中をかき抱き、俺の中に閉じ込めるように腰にも両脚を絡ませる。
「ん、ぅ……。あぁ、っん……」
零れる涙の上にキスをされ、更に奥を抉られる。
嬉しくて幸せで温かくて、この時間がいつまでも続けばいいとさえ思ってしまった。
「愛してるぜ、翼」
「うっ、や、……あぁっ……」
こんな状況でその台詞は、ずるい。
「あ、あ……! もう、駄目、かも……俺っ……」
「いいよ。無理すんな、吐き出せ」
深く繋がると同時に屹立したままのそれを扱かれ、俺は全身で蒼汰にしがみつきながらぎゅっと目を瞑り、じわじわとせり上がってくる快感に身を任せた。
「――あぁっ!」
「……、翼っ……」
蒼汰もまた険しい顔で俺を強く抱き、少しだけ腰のスピードを速める。手のひらで触れた背中にじわりと汗が滲んだ瞬間、俺の中で蒼汰が激しく脈打った。セックスの最中もそうだけど、この瞬間もまた幸せだ。気だるさと充実感と心地好さがまったりと交じり合い、泣けるほど愛おしくて自然と笑みが零れる。
二人で呼吸を荒くさせながら至近距離で視線を合わせ、どちらともなく口付けた。
「俺も愛してる、蒼汰」
覚えている限り、初めての恋だと思う。
「大事にするよ、翼」
そして俺にとって初めての愛。
「………」
「翼のことも武虎のことも、俺が守る」
それも、これ以上ないほど大きな愛だ。
俺には無縁と思っていた、大切な大切な人としての感情だ。
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