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第14話【不明(前編)】

 あの日から真駒と椎葉は、毎日のように取引を続けた。  仕事終わり。人込みを避ける為にサービス残業を続ける真駒が帰宅すると、見計らったかのように椎葉がアパートへやってくる。  優しさも無ければ遠慮も配慮も無い荒々しい性交に、真駒は慣れなかった。毎晩、痛みと苦痛から涙を流す真駒を、椎葉が満足そうに眺める。そんな椎葉の首筋を、真駒が満足そうに口で触れ……二人はお互いの欲求を満たし合った。  椎葉は行為の最中、そして行為が終わった後に必ず真駒へキスをすると『好きだよ』と愛の言葉を囁く。  ――それに対して、真駒は正しい回答を見付けられていない。  椎葉が好きなのは無様に泣き顔を晒す自分自身だと、真駒は知っている。椎葉から伝えられる愛の言葉は、真駒が傷付く姿を待ち望んでいる……一種の、呪いだ。  それなのに……椎葉に好意を伝えられると、真駒の胸はソワソワと妙にざわついた。  真駒が好きなのは、椎葉の首だ。泣き顔に対して好意的な言葉を寄せられても、どうしていいのか分からない。  だから真駒は、椎葉の好意に何も返せない日々を過ごし続けた。  八月も中旬を過ぎ、クールビズ期間の終わりが差し迫ったある日……真駒が自分のデスクに向かうと、隣に座る同僚に声を掛けられる。 「真駒さん、おはようございます!」 「お、はよう……ございます」 「最近、首を引っ掻く癖……治ってきたんじゃないですか?」 「え……?」  椎葉と取引を始めたあの日から真駒は毎日、首に包帯を巻くようになった。同僚はきっと、それのおかげだと思っているのだろう。  実際は……誰かの首を絞めたい衝動を堪える為に、自分の首を引っ掻く必要が無くなったからだが……真駒はぎこちない笑みを浮かべて、誤魔化す。 「そう、ですね。心配してくれて……ありがとう、ございました」 「早く包帯が取れるといいですね」  すると、真駒達の背後に人影が迫った。 「二人共、おはよう」  そう挨拶を投げ掛けてきたのは、椎葉だ。  同僚は笑みを浮かべて、椎葉を振り返る。 「あ、椎葉課長! おはようござ――うわぁ」 「ん? どうかした?」  椎葉を振り返った同僚が、驚愕に満ちた声をあげた。真駒は何があったのかと思い、同僚に倣って椎葉を振り返る。  同僚が見ていたのは、椎葉の首だ。 「今丁度、真駒さんの悪癖が治ったって話をしていたんですけど……椎葉課長の首、ヤバいですね」 「え、そう?」 「ヤバいですよ! 椎葉課長も、包帯巻いた方がいいんじゃないですか?」  椎葉の首は引っ掻き傷や噛み痕が多く残され、痛々しい様になっていた。誰が見ても、椎葉を心配するだろう。  同僚の言葉に、真駒は体を震わせた。  椎葉の首を傷付けたのは、真駒自身だからだ。第三者の正当な反応に、罪悪感を覚えてしまう。  真駒は縋るように、椎葉を見上げる。視線に気付いた椎葉は……真駒の同僚に向かって、笑みを浮かべた。 「そうだね。明日から、包帯でも巻いてこようかな」 「ッ!」  椎葉の言葉に真駒は、目に見えて狼狽える。  周りから見たら、椎葉が浮かべている笑みはいつもの穏やかなものに見えているのだろう。何故なら同僚と椎葉の会話は、日常会話だから。  しかし、真駒にはそう見えない。椎葉の笑みは、真駒を責めたてるような……意地の悪いものに見える。  椎葉には首を、隠して欲しくない。好きで好きで堪らない首を見られないなんて、真駒にとっては死刑宣告のようなものだ。

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