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1.何気ない朝
まずは朝食だ。
志郎は頭をわしわしと掻きながら、一階リビングに入った。
「あ、志郎。おはようございます」
朝食を運んでいた光が、振り返りざまに微笑む。
パッと見は女のような色白美人で、腰まである艶やかな黒髪を、首の後ろに括っている。
これで男なのだから、何かもったいない。
母と入れ代わりにこの家へ来て、いらない負い目を感じているのか、家事全般を担当している。
「おはよう、兄さん」
「おはよう」
弟の世流に続いて挨拶した徹が、当然のように朝食を食っていた。
そう言えば、昨日も泊まっていたのだ。
世流と恋仲になってから知ったが、徹は父子家庭で、いつもコンビニ弁当か、自分で作るらしい。
それから、どうせ家に帰っても一人だからと、徹はよく泊まりにくる。
と言うより、世流に呼ばれる事が多い。
「よお。お前ら、昨日もよく励んでたなぁ」
志郎が冷やかしてやると、ブッと吹きかけた徹が、かわいいほど慌てる。
「そっ、そそ、そんな、事は……!」
「汚いぞ、徹」
おどおどする徹の隣で、世流が澄ました顔で味噌汁をすすった。
恋人との関係をちゃかされたところで、さも当然と言う様子だ。
末恐ろしい。
けれど、何でもないような顔をしながら、一度だけその赤い目で睨んでくるところがかわいい。
生まれ付き色素を持たない世流は、雪のように真っ白な髪と、ルビーのような赤い目をしている。
クールな性格と、親譲りの端正な顔立ち、そして特殊な髪や目は女によくモテるらしい。
そんな世流が、前世の昔からずっと愛していたのが、前世のトール神であり現世の徹だ。
そのせいか、世流は意外に独占欲が強い。
以前、徹に資料室整理を頼もうとした父も、世流に睨まれたらしい。
大柄で武骨なトール神を、なぜ前世の世流――ヨルムンガルドが好きになったのか、志郎にはよく分からない。
現世の徹は、いくぶん小柄で、小動物のような反応が面白い。
そのため、後で世流に睨まれると分かっていても、志郎は徹をいじらずにいられないのだ。
普段は感情を面に出さない世流が、徹の事になると様々な反応を見せるのも、面白くて仕方がない。
「けどお前ら、今日は試合だろ? あんな激しくヤって、大丈夫なのか?」
世流と徹は、剣道部で一、二を争うライバルであり、団体戦の要でもある。
それに確か、徹は昨日、風邪気味だったような?
「もう大丈夫だよ。……世流が風邪薬を作ってくれたんだ」
前世が北欧神話の関係者だった者は、神力と呼ばれる力を使う事ができる。
猛毒の大蛇だった世流は、血や唾液などから薬や毒を作れるのだ。
「世流のお陰で、凄く体調が良いよ」
そう言った徹が、軽く腕を曲げて見せた。
「ドーピングとか、されてんじゃないか?」
徹をからかい、志郎がクスクスと笑う。
「そんな犯罪を犯す訳ないでしょう」
「だよなぁ~」
さらりと否定する世流に、徹も馬鹿らしいと言うように笑った。
「俺が徹に注入したのは、風邪薬と痛み止め、ついでに栄養剤だけだ」
「え……風邪薬だけじゃなかったのか?」
知らない内に注入されていた薬の種類に、徹が驚いた顔をする。
話を振った志郎も、淡々と薬の種類を並べる世流に、冷や汗を浮かべた。
「おい、徹……お前、世流を怒らせたら、本当に毒を盛られんじゃないか?」
「………そんな事、する訳ねぇだろ」
一瞬だけ想像したのか、ぎこちなく笑う徹の顔から、血の気が引いている。
意味ありげに目を細めた世流が、ニッと口端を引いて笑う。
「俺の薬は、 100%愛でできている」
ある薬のコマーシャルを捩った言葉だが、世流が言うと冗談にならない。
元ネタは優しい響きがするのに、世流の台詞は淫靡な艶がある。
徹は昨夜の情事を思い出したのか、顔を赤く染めていた。
「朝から色っぽい話をしているねぇ」
そう言ってリビングに入って来たのは、志郎と世流の父、優人だ。
今日は休日だが赤茶色の地毛を丁寧にセットし、赤いポロシャツにジーンズを着用している。
世流と徹の高校で社会科教師をしている優人は、四十歳後半にも関わらず、見た目が若々しい。
自他共に認める容姿端麗、頭脳明晰で、生徒の人気も高い。
もっとも、息子の志郎と世流(ついでに徹)から見れば、ただのキザオヤジである。
「ハックシュン!」
「風邪ですか? 優人」
不思議そうに首を傾げた光は、一旦弁当作りの手を止めて、優人の前に熱いコーヒーを持って行く。
「違うよ。どこかの誰かさんが、僕の悪口を言ってるだけさ」
あながち間違いでもないような……と言う顔で見詰める息子達を、優人がキッと鋭く睨む。
「徹、この家の出入り禁止にしようか?」
優人の脅しに、徹と世流がビクッと反応した。
「……ごめんなさい」
「失礼しました」
素直に謝る二人に、優人が満足そうに頷く。
志郎はこっそり笑った。
さすがイタズラと欺瞞の神の転生。
徹と世流の弱点を良く分かっている。
「はい、これ。世流君と徹君のお弁当です」
「ありがとう」
「俺の分も作ってくれたんだ。ありがとう」
にっこりと微笑んだ光は、二人分の弁当をテーブルの隅に置き、優人の隣に座った。
「そう言えば、一回戦の相手はどこなんだい?」
光が隣に来て機嫌を直した優人は、思い出したように聞く。
「聖ヴァル高校だよ」
「え、聖ヴァルキュリア学院ですか?」
何気無く答えた徹に、反応したのは光だった。
「知ってるんですか?」
世流が不思議そうに首を傾げる。
「聖ヴァルキュリア学院は光の母校だよ」
懐かしそうにそう言い、優人がコーヒーを飲む。
聖ヴァルキュリア学院。
金持ちの紳士淑女が通う私立高校だ。
その高校の品位は、物腰の穏やかな光を見れば良く分かる。
「昔からスポーツに力を入れている学校で、特に剣道と弓道は有名でした」
「ちなみに光は、園芸部に所属していたんだよ」
光と優人の説明に、徹がへぇ~と感心の意を示す。
「それと、国語教師の砂神先生は、私の二年先輩でした」
「あの貴族かぶれが、光と同じ高校だなんて、未だに信じられないよ」
「あれでも、当時は演劇部の花形だったんですよ」
優人のぼやきに、光が苦笑する。
「……なんか、似合う気がする」
「舞台上でシェイクスピアを熱演する姿が、目に浮かぶ……」
げんなりする徹と世流に、志郎が苦笑した。
会った事は無いが、二人の様子を見ているだけで、劇団顔負けの高笑いが聞こえてくるようだ。
ちなみに、砂神先生の出番はこれで終わりである。
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