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2.運命の邂逅

徹と世流が試合前の練習に行き、光と優人が連れ立って出掛ける。 学校で用事のある光を送って行き、その後一緒に映画に行くらしい。 大学が休みの志郎は、特に予定も無く、リビングでソファーにもたれていた。 夢見が悪かったせいか、何もする気が起きない。 世流から携帯に電話があったのは、ちょうどそんな時だった。 「はぁ? 忘れ物?」 正確には世流の携帯を借りた、徹からである。 忘れ物をしたから、届けて欲しいと言うのだ。 「わぁったよ。すぐに届けてやるから、15分後に入口で待ってろ」 電話を切った志郎は、徹の忘れ物をひっ掴み、ヘルメット片手に家を出た。 戸締まりをした志郎は、一度天を仰ぎ、空気の臭いを嗅ぐ。 天候は薄曇りだが、雨の臭いはしない。 この分なら、今日は降られなくて済むだろう。 前世が狼だった恩恵か、志郎は犬並みに鼻が良く、天気予報はまずはずした事がない。 ブロロロ……とバイクを唸らせた志郎は、徹の待つ武道館へと走らせた。 そこで、過去と未来が交わる運命の出会いが、志郎を待ち受けているとは知らずに――   ☆  ★  ☆ (さて、どうしたものかなぁ……) 何事も無く徹に忘れ物を渡し、志郎は気だるげに息を吐いた。 特にする事も無し、ついでだから世流と徹の試合でも見て行こうかと、観覧席へ向かう。 選手の保護者か顧問の先生か、休日と言う事もあり、武道館内はそれなりに人が多い。 市内で一番大きいこの武道館は、試合会場を上から見るため、吹き抜けとなった二階部分に客席がある。 世流達の団体が良く見える席へ行くため、志郎は何気無く廊下を進んでいた。 もしこの時、席にこだわらず、すぐ上の階へ行っていれば―― 正直な所、志郎は誰と擦れ違ったかなど、気にも止めていなかった。 他人に関心するほど、志郎は人間が好きではない。 大学でも、特定の友達はいるが、できるだけ一人でいる方が楽だ。 途中で対戦校の一団と擦れ違おうと、志郎は無関心だった。 あの懐かしい気配を感じるまでは…… 「……ッ……!!」 ハッと息を止めた志郎は、今擦れ違った一団を振り返る。 顧問の先生だろうか、試合を前にした生徒達を鼓舞し、そのまま志郎と反対の方へ歩き出した。 「ッ! ――まッ、待ってくれ!」 とっさに呼び止めようとした志郎が、その男の右腕を掴んだ。 その途端―― 「ギャアアアアアァァァァ――ッッッ!!」 その男は急に叫び出し、左手で頭を鷲掴んで、激しく首を振る。 「先生!」 「どうしたんですか!? 先生!」 慌てる生徒達の声も耳に入らず、半狂乱になった男は声の限りに悲鳴を上げ続けた。 「おい! ――しっかりしろ!」 とっさに男の肩を掴んだ志郎は、無理矢理振り向かせ、その男の頬を思いっきり平手で打つ。 男が一瞬息を止めた所に、もう一度、反対の頬を強く叩いた。 茫然と見開かれていた男の目が、ゆっくりと焦点を取り戻していく。 「あ……」 深く息を吐いた男を、志郎は真っ直ぐに見詰める。 はっきり男と目が合った瞬間、志郎の胸に愛しさが込み上げてきた。 『フェンリル……』 間違いない。 この男はあの―― 「……あ、あの、すみませんでした。ご迷惑をおかけして――」 青い顔をした男に声を掛けられ、志郎はハッと我に返った。 「あ、いや――大丈夫か? お前……」 男が弱々しく頷く。 「……もう、大丈夫で……ッ!」 それだけ言った男は、志郎から離れようとして、その場で膝から崩れ落ちた。 「危ねぇ!」 倒れそうになる男を支え、志郎はそっと腕を回し、静かに肩を抱く。 男はまだ青い顔をして、荒い呼吸を繰り返す度に、薄い胸が上下に揺れる。 「すみません……少し、めまいが……」 最近眠れなくて、と言う男を支え、志郎は医務室に連れて行く。 本当は、すぐにでも病院に連れて行かなければと、頭では分かっている。 分かってはいるが―― 「救急車は、呼ばないで、ください……他の生徒達まで、動揺させて、しまいますから……」 息も切れ切れで、自分の方が辛いだろうに、男は必死になって志郎に訴えた。 「少し、休めば……大丈夫……ですから……お願いします――」 強い意志が宿るその瞳が、前世でもっとも信頼していた青年に重なる。 震える手で、強く志郎の腕を掴んでくる男を、無下にする事ができない。 志郎は渋々頷き、医務室のベッドに寝かせた。 「しばらく休んで、それでも具合が悪い時は、俺が責任を持って病院に連れて行く」 ベッドの近くにパイプ椅子を持って来た志郎は、それにゆったりと座って、静かに眠る男を見守る。 その間、志郎の胸に込み上げて来るのは、前世の記憶による懐かしさと、それ以上の愛しさ。 そして、苦い罪悪感だった……。   ☆  ★  ☆   志郎が男を医務室で寝かせている頃。 試合会場では―― 「なぁ、世流。……あれ、どう思う?」 徹の示す方を見た世流は、怪訝に眉をしかめた。 そこには、初戦の相手である聖ヴァルの生徒達が集まっている。 主将の姿は見えないが、道着を着ている所を見ると、みんな剣道部員らしい。 顔見知りもいる事から、間違いはないだろう。 しかし…… 「……もうすぐ試合だと言うのに、どうしてあんなに覇気が無いんだ?」 「やっぱり世流も、そう思うだろ?」 これから始まる試合に意気込み、緊張してピリピリとした剣道部員は多い。 しかしその中で、彼らだけはなぜか気落ちして、ため息までついている。 彼らをじっと見詰めていた徹は、何事かを一人で納得して頷き、真っ直ぐに歩き出した。 こうなるだろうと思っていた世流は、一つため息をついて、すぐに徹の後を追っていく。 お人好しで、困っている人を放っておけない徹は、落ち込んでいる誰かを見捨てたりしない。 それが例え、ライバル校の生徒であっても―― 「よう。お前ら、聖ヴァルの生徒だろ?」 「あ、ホクオウの、荒神徹と神野世流」 ホクオウとは、徹と世流の通う北王陣学園の事だ。 初めは普通に『キタオウ』だったらしいが、いつの頃からか、北の字を読み変えて『ホクオウ』になったらしい。 一年生で試合に出る――しかも初めての試合で、中堅と副将を任される徹と世流は、当然だが他校でも有名なようだ。 「さっきから落ち込んでっけど、何かあったのか? 俺で良かったら、力になるぜ?」 穏やかだが力強い徹の言葉に、聖ヴァルの生徒達はみんな思案顔で、互いの顔を見合わせる。 それも、当然と言えば、当然だ。 他校の生徒に、それもこれから対戦するライバル校の選手に、弱みなど見せられる訳がない。 (仕方ないな……) 世流はこっそりとため息をついた。 「そんな顔をしていては、僕達も試合に集中できません。差し支えない程度で良いので、何があったのか、話してくれませんか?」 誰もが見惚れる極上の笑みを浮かべ、世流がいかにも誠実そうに声を掛ける。 学校でもそうだが、世流は徹や家族以外には、真面目な仮面を被るのだ。 この好青年な姿が、男女共に人気の理由である。 聖ヴァルの生徒達も、世流の爽やかさにほだされ、素直に頷く。 「実は……さっき、俺達の顧問の神代(カミシロ)先生が、急に倒れちゃったんだ」 「さっきまでは普通で、俺達を力強く励ましてくれたのに……」 聖ヴァルの生徒達が、盛大にため息をつく。 話を聞いている徹も、自分の事のように深刻な顔をしていた。 「……その先生は?」 「神代先生に声を掛けてきた男の人が、医務室に連れて行ってくれたよ」 「そっか」 心配した徹も、深くため息をつく。 「うん。大学生……かな? ライオンみたいな髪で、黒いジャケットを着た人だった」 「ライオンのような髪型の大学生?」 男の特徴を反芻した世流が、少し眉をしかめる。 「その男、もしかして牙型のペンダントをしていませんでしたか?」 「あぁ、そう言えばしてたな」 それを聞いた徹と世流は、ほっと胸を撫で下ろす。 「それなら、少しは安心だな」 「そうですね」 頷き合う徹と世流に、聖ヴァルの生徒達が「え?」と首を傾げる。 「きっとその男は、僕の兄さんです」 「神野の兄さん? そう言えばあの人、少し神野に似てたような?」 聖ヴァルの生徒達が、一様に世流の顔を凝視する。 まぁ、白髪赤目の世流と、黒髪黒目の志郎では、結び付きにくいだろう。 「もしその先生に何かあっても、きっと志郎がなんとかしてくれるよ」 「あれでも、意外と頼りになります。兄さんを信用してください」 志郎の太鼓判を押す徹と世流に、聖ヴァルの生徒達は少しだけ安心した。 「ありがとう、二人共」 お礼を言われ、徹がニヒッと笑う。 「よし。その先生に胸を張って報告できるように、みんな頑張れよ!」 「おぉ――!」 徹が聖ヴァルの生徒達に活を入れ、世流は呆れたようにため息をついた。 「敵を応援してどうするんだ……」 「いいんだよ。正々堂々、全力で試合できないと、意味ねぇからな」 威勢良く胸を張る徹に、もう一度ため息をつき、フッと微笑んだ世流が頷く。 「まぁ、確かに。それは同意だな」 不意に一人の聖ヴァル生徒が「プッ」と吹き出し、他の生徒達も連鎖反応のように、少し声を漏らして笑い出した。 「神野と荒神って、本当に仲が良いんだなぁ」 「てか、神野。荒神と話す時、敬語が取れてるし」 一度顔を見合せた徹と世流は、急にテレくさくなり、ほんのり赤く染まった顔を背ける。 「ありがとうな、荒神。神野」 「オウ」 お礼を言われた徹が、ニカッと笑う。 世流も、満足そうな徹の顔に、満足して微笑む。 「神代先生のためにも、俺達は勝つぜ」 「お前らには、手加減してやってもいいぞ?」 不敵に宣言する聖ヴァル生徒達を、徹が鼻で笑う。 「いらねぇよ。せっかく元気付けてやったのに、手を抜かれたんじゃ、ホンマテンコウじゃねぇか」 「それを言うなら『本末転倒』だ、このバカ……お前は、いつから関西人になったんだ」 どうどうと間違える徹に、世流は忌々しげな顔を片手で隠す。 聖ヴァルの生徒達はますますおかしくなって、腹を抱えて笑った。 「そろそろ時間だな」 「良い試合をしようぜ」 さっきと違って闘志を燃やす聖ヴァル生徒達に、徹も「オウ」と明るく元気に返した。     ☆   ★   ☆

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