6 / 17

5.変わらぬ過去

「夕飯できたぞ~」 キッチンから出た志郎は、剣治の待つテーブルに皿を運んだ。 メニューはふっくらハンバーグに、マッシュポテトとコーンスープ。 「おいしそうですね……志郎さんは、料理が得意なんですか?」 「いや、得意ってほどじゃねぇよ。ただ、大学出たら一人暮らしすっから、少しは作れねぇとな」 軽く胸を張る志郎に、剣治はにっこりと笑った。 「志郎さんは偉いですね。今から将来の事を、ちゃんと見据えていて……」 「えっ……べ、別に、偉くはねぇよ……」 誉められ慣れてない志郎は、カアッと顔を赤くして、剣治から目を背ける。 剣治はクスクスと笑っていた。 「――いただきます」 軽く手を合わせた剣治が、左手を器用に使い、箸でハンバーグを切り分ける。 「……左手も普通に使えるんだな? 両利き?」 「一応は……けど、やっぱり右手の方が使い易いですね」 剣治がハンバーグの欠片を口に運ぶ。 一応フォークとスプーンも用意したが、必要なかったらしい。 モグモグと咀嚼(ソシャク)した剣治は、太陽のように暖かく笑った。 「美味しい……」 「そりゃ良かった」 口に合ってホッとした志郎も、続いて食べ始める。 穏やかな時間だった。 何気ない世間話をしながらハンバーグをつつき、笑ってコーンスープを飲む。 その内、話題は剣治の見る夢の話になった。 「暗い世界で……目の前には、山のように大きな狼がいるんです。その狼が遠吠えを上げて、気付くと僕の右腕が、狼の口に入っていて、突然ガブリと――」 夢の光景を思い出したのか、剣治の体がブルリと震える。 志郎も、待合室で見た夢を思い出し、息が詰まるようだった。 剣治の夢の内容は、おそらく前世の記憶だ。 確証がある訳ではないが、志郎の勘がしっかりと断言している。 しかし前世の記憶ならば、その腕を食いちぎった犯人である魔狼に――志郎に何ができるだろう。 志郎が深く考え込んでいると、不意に剣治がフフフと笑い出した。 恐怖に狂った訳ではなく、本当に幸せそうな、優しい笑い方をしている。 「急にどうした?」 怪訝……と言うよりも、呆気に取られた顔で、志郎は剣治を見詰めた。 「すみません……」 少しだけ恥ずかしそうに謝った剣治が、晴れ晴れとした顔で微笑む。 「実は今日、医務室で寝ていた時に、凄く良い夢を見たんですよ」 「――へぇ、どんな?」 何気ない風を装って志郎が聞くと、夢の内容を思い出したのか、剣治はまた嬉しそうに笑った。 「今までの悪夢に出てきた狼だとは、思うんですけどね? その狼が、今日の夢では、僕に凄く懐いてくれてたんですよ」 その言葉に、志郎はハッと息を止める。 その狼はきっと、賭けをする前の―― 志郎の胸が、またドキドキと鳴った。 それに気付かず、剣治は楽しそうに話を続ける。 「とても凛々しい狼で、僕が毛並みを撫でてあげると、嬉しそうにグルグルと喉を鳴らして……」 遠くを見る剣治が、うっとりと目を細めた。 「食事の時は、剣の先に肉を刺して、その狼にあげていました」 間違いない。 それは前世の――チュールの記憶だ。 少し目を細めた志郎は、イタズラを思い付いた子供のように、ニヤッと口の端で微笑む。 「へぇ、剣で肉を刺してねぇ……どんな風に?」 「えっと、この箸が剣だとして……」 剣治は箸をナイフのように握り、切り分けたハンバーグの欠片に、ズブリと突き刺した。 「それを、あ~ん……って……っ!」 良く見えるようにと持ち上げたハンバーグに、志郎は素早く身を乗り出し、パクッと口に咥えた。 驚きに呆然とする剣治に、ハンバーグを飲み込んだ志郎がニッコリと笑う。 「ご馳走さん」 ハッとした剣治は、急に恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして口をパクパクした。 まるで、餌をねだる金魚のようだ。 クスクスと笑った志郎は、自分のハンバーグを小さく切り分けた。 その欠片を箸で摘まみ、剣治の前に突き出す。 「お返し」 動揺していた剣治は、自分に向けられるハンバーグと、志郎の顔を何度も交互に見る。 「ほら、あ~ん」 志郎に促された剣治は、口元に持って来られたハンバーグを見詰め、恐る恐る口に咥えた。 耳まで真っ赤にテレた顔をして、モグモグとハンバーグを食べる剣治が、なんだか可愛らしい。 「なんだか良いな。こういうの」 「えっ……!?」 小さく呟いた志郎に、剣治が面白いほど慌てて顔を上げた。 クスリと笑った志郎は、くすぐったそうに目を細め、穏やかに剣治を眺める。 「俺ンち、親が早くに離婚してっから、母親にこうやって……甘えるっツゥのかな? 初めてなんだ」 「あ……」 思いがけず聞かされた事情に、剣治は何と言って良いか、分からなかった。 志郎が、子供に戻ったようにニコッと笑う。 「なぁ、もう一回やって? ……さっきの、あ~んってやつ」 楽しそうな志郎の様子に剣治が少し笑い、今度はハンバーグを箸で摘まんで、志郎に差し出す。 「はい、あ~ん」 「あ~ん」 パクリとハンバーグを食べた志郎が、嬉しそうに「うまい」と言って笑う。 「今度は俺の番」 そう言って志郎の差し出すハンバーグに、剣治はまだ少しテレながら、顔を寄せる。 しかしハンバーグを咥えようとした瞬間、志郎がひょいっと箸をずらして、剣治は空を噛んでしまった。 「な……志郎さん!?」 恥ずかくなって怒鳴る剣治に、志郎は声を上げて笑った。 「悪い、悪い。……ほら、あ~ん」 「……もういいですよ」 「あれ、怒った? ……ごめん」 シュンとする志郎に、剣治はプッと吹き出す。 「僕は怒ってなんかいませんよ。そんな顔、しないでください」 剣治が笑い掛けると、志郎もホッとした顔をして、また嬉しそうに微笑んだ。 少しふざけながらの楽しい夕飯と共に、ゆっくりと日が沈んで行く。   ☆  ★  ☆ 「ただいま……」 「お邪魔しま~す」 帰宅した世流に続き、家で着替えを済ませてきた徹も、神野家に上がり込む。 当然、今日も泊まりだ。 「お帰り~」 「二人ともお帰りなさい。夕ご飯、もう少しでできますから、待っててくださいね」 リビングでくつろぐ優人と、白いエプロン姿の光が、世流達を出迎える。 見覚えのない真新しいエプロンは、きっと今日、二人で買って来たのだろう。 もしくは、優人が光にプレゼントしたのかも知れない。 デザインはシンプルだが、新品のエプロンを付けて、心なしか光の足取りが弾んでいた。 着替えのために世流は部屋へ行き、徹は先にテーブルへ着く。 見ると、すでにいくつかの料理が並んでいる。 ――今日は少しばかりご馳走だ。 私服の世流が席に着く頃、丁度良く光は味噌汁を運び、それぞれに配る。 「あれ……志郎のは?」 「志郎は今日、お友達の家に泊まるそうですよ」 徹が首を傾げると、丁寧にエプロンを外した光が、自分の席に座った。 「兄さんが? 珍しいですね」 世流も不思議そうに首を傾げる。 「志郎って、一匹狼のイメージだったけど、友達なんかいたんだ?」 「……徹、言い過ぎ」 世流よりも明け透けに言う徹を、優人が苦笑混じりにたしなめた。 本人は今頃、クシャミをしているかも知れない。 「私も少し気になって、志郎に聞いてみたんですよ。そしたら……『昔世話になった、大切な人』だそうです」 志郎からの電話を取ったらしい光に、他の三人が物珍しそうに「へぇ……」と呟く。 なんだかんだ言って、みんな興味津々である。 「……そう言えば俺、志郎の前世の事、全く覚えてねぇや」 徹が「あれ?」と言うように、宙を見上げて首を傾げた。 志郎の前世とは、当然フェンリルの事である。 「実は僕達も、前世でフェンリルがどんな生活をしていたのか、ほとんど知らないんだ」 「兄様はずっと、アースガルドの遠い島に隔離されていたからな」 前世でも父親のロキだった優人と、同じく前世でも弟のヨルムンガルドだった世流が、一様に困った顔をする。 「俺はお前に、ミッドガルドの海に落とされたし」 「いやぁ……ハハ……ごめん」 世流に横目で睨まれた徹は、冷や汗を垂らしながら謝った。 とにかく――比喩ではなく、ヨルムンガルドとフェンリルは、本当に天と地ほども離れて生活していたのだ。 世流と徹の様子に苦笑しつつ、光が話を始める。 「北欧神話によれば……フェンリルは『主神オーディンを呑み込む』と予言されて、それを恐れた神々によって足枷を付けられたんですよ」 山のように大きなフェンリルを恐れた神々は、与えられるだけの食べ物を用意すると約束し、アースガルドの外庭に連れ出した。 近付く事さえ怖がった神々の中、勇敢な剣士だったチュールが、毎日フェンリルの所に食べ物を運んだ。 けれどフェンリルが日増しに大きくなり、神々は特別な鎖で縛る事を決めた。 それでも、アースガルドで作られた鎖『レージング』と『ドミロ』では縛る事ができず、フェンリルに引きちぎられてしまう。 「困った神々は、魔法の道具を作る事ができる小人に、魔法の鎖『グレイプニル』を作らせました」 見た目は絹糸のように柔らかい鎖を手に入れ、神々はアースガルドから遠く離れた島に、フェンリルを誘い出した。 そしてフェンリルを騙し、鎖で縛ったのだ。 「その時……食べ物を運んでいたチュールが、怪しむフェンリルを信用させるために、自分の右腕を噛ませたんです」 「えっ――それじゃ!」 驚愕に顔色を変えた徹が、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。 光は静かに頷いた。 「フェンリルに食いちぎられ……チュールは、右腕を失いました」 息を呑み呆然とする徹を、世流がゆっくりと元の椅子に座らせる。 誰も――何も言う事が、できなかった。   ☆  ★  ☆ 「そんな……僕は……」 左手で顔を覆った剣治が、志郎から顔を背ける。 志郎がニヤリと笑う。 「どうした、剣治? 今さら、そんな顔をしても、もう遅いぞ」 志郎が一歩、剣治に歩み寄る。 同時に、剣治は一歩、後ろへ下がった。 「けど、やっぱり僕は」 剣治はイヤイヤと言うように首を振る。 「往生際が悪いぞ」 ため息をついた志郎が、ゆっくりと剣治の左手を掴む。 「片腕で何ができる?」 「それは……で、ですが……」 うつむく剣治に、志郎がクッと口端を上げる。 「まるで子供だな……」 志郎の言葉に閉口し、剣治は視線をさ迷わせた。 「志郎さん、もう、許してください……」 「駄目だ」 懇願する剣治に、志郎はもう一度ため息をつく。 「まったく……一緒に風呂入るだけで、そんなガタガタ言ってんなよ」 あんまり時間が経つと、せっかくの風呂がぬるくなってしまう。 剣治は耳まで真っ赤にした顔を、必死に振る。 「こんな歳で、誰かと一緒にお風呂に入るなんて――やっぱり、そんな恥ずかしい事はできません!」 志郎は半ばイライラして、自分の頭を掻き回した。 この問答を初めて、もう小一時間くらい経つ。 「寝汗で気持ち悪いっツったのは、あんただろ? いい加減、腹括れよ」 「ですが、ウチのお風呂は狭いですし……そうだ、銭湯に行きましょう!」 剣治が名案とでも言うように、顔をパッと明るくさせる。 「……この歳になって、誰かに髪や体を洗われるのを見られる方が、ずっと恥ずかしいと思うぞ?」 「うっ……!」 その場面を想像したのか、小さく呻いた剣治が、ビシッと音を立てて固まってしまった。 志郎は何度目かのため息をつく。 「男同士で、そんな恥ずかしがるような事もないだろう?」 「うぅ……で、ですが、あの……」 「いいから、もう入ろうぜ~」 このままではらちが明ないと悟った志郎は、素早く剣治の肩を抱き、ヒョイっと抱え上げた。 「えっ、ちょっと、これは……」 いわゆるお姫様抱っこである。 「よし。風呂行くぞ~」 剣治は悲鳴を上げた。   ☆   ★   ☆

ともだちにシェアしよう!