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5.変わらぬ過去
「夕飯できたぞ~」
キッチンから出た志郎は、剣治の待つテーブルに皿を運んだ。
メニューはふっくらハンバーグに、マッシュポテトとコーンスープ。
「おいしそうですね……志郎さんは、料理が得意なんですか?」
「いや、得意ってほどじゃねぇよ。ただ、大学出たら一人暮らしすっから、少しは作れねぇとな」
軽く胸を張る志郎に、剣治はにっこりと笑った。
「志郎さんは偉いですね。今から将来の事を、ちゃんと見据えていて……」
「えっ……べ、別に、偉くはねぇよ……」
誉められ慣れてない志郎は、カアッと顔を赤くして、剣治から目を背ける。
剣治はクスクスと笑っていた。
「――いただきます」
軽く手を合わせた剣治が、左手を器用に使い、箸でハンバーグを切り分ける。
「……左手も普通に使えるんだな? 両利き?」
「一応は……けど、やっぱり右手の方が使い易いですね」
剣治がハンバーグの欠片を口に運ぶ。
一応フォークとスプーンも用意したが、必要なかったらしい。
モグモグと咀嚼(ソシャク)した剣治は、太陽のように暖かく笑った。
「美味しい……」
「そりゃ良かった」
口に合ってホッとした志郎も、続いて食べ始める。
穏やかな時間だった。
何気ない世間話をしながらハンバーグをつつき、笑ってコーンスープを飲む。
その内、話題は剣治の見る夢の話になった。
「暗い世界で……目の前には、山のように大きな狼がいるんです。その狼が遠吠えを上げて、気付くと僕の右腕が、狼の口に入っていて、突然ガブリと――」
夢の光景を思い出したのか、剣治の体がブルリと震える。
志郎も、待合室で見た夢を思い出し、息が詰まるようだった。
剣治の夢の内容は、おそらく前世の記憶だ。
確証がある訳ではないが、志郎の勘がしっかりと断言している。
しかし前世の記憶ならば、その腕を食いちぎった犯人である魔狼に――志郎に何ができるだろう。
志郎が深く考え込んでいると、不意に剣治がフフフと笑い出した。
恐怖に狂った訳ではなく、本当に幸せそうな、優しい笑い方をしている。
「急にどうした?」
怪訝……と言うよりも、呆気に取られた顔で、志郎は剣治を見詰めた。
「すみません……」
少しだけ恥ずかしそうに謝った剣治が、晴れ晴れとした顔で微笑む。
「実は今日、医務室で寝ていた時に、凄く良い夢を見たんですよ」
「――へぇ、どんな?」
何気ない風を装って志郎が聞くと、夢の内容を思い出したのか、剣治はまた嬉しそうに笑った。
「今までの悪夢に出てきた狼だとは、思うんですけどね? その狼が、今日の夢では、僕に凄く懐いてくれてたんですよ」
その言葉に、志郎はハッと息を止める。
その狼はきっと、賭けをする前の――
志郎の胸が、またドキドキと鳴った。
それに気付かず、剣治は楽しそうに話を続ける。
「とても凛々しい狼で、僕が毛並みを撫でてあげると、嬉しそうにグルグルと喉を鳴らして……」
遠くを見る剣治が、うっとりと目を細めた。
「食事の時は、剣の先に肉を刺して、その狼にあげていました」
間違いない。
それは前世の――チュールの記憶だ。
少し目を細めた志郎は、イタズラを思い付いた子供のように、ニヤッと口の端で微笑む。
「へぇ、剣で肉を刺してねぇ……どんな風に?」
「えっと、この箸が剣だとして……」
剣治は箸をナイフのように握り、切り分けたハンバーグの欠片に、ズブリと突き刺した。
「それを、あ~ん……って……っ!」
良く見えるようにと持ち上げたハンバーグに、志郎は素早く身を乗り出し、パクッと口に咥えた。
驚きに呆然とする剣治に、ハンバーグを飲み込んだ志郎がニッコリと笑う。
「ご馳走さん」
ハッとした剣治は、急に恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして口をパクパクした。
まるで、餌をねだる金魚のようだ。
クスクスと笑った志郎は、自分のハンバーグを小さく切り分けた。
その欠片を箸で摘まみ、剣治の前に突き出す。
「お返し」
動揺していた剣治は、自分に向けられるハンバーグと、志郎の顔を何度も交互に見る。
「ほら、あ~ん」
志郎に促された剣治は、口元に持って来られたハンバーグを見詰め、恐る恐る口に咥えた。
耳まで真っ赤にテレた顔をして、モグモグとハンバーグを食べる剣治が、なんだか可愛らしい。
「なんだか良いな。こういうの」
「えっ……!?」
小さく呟いた志郎に、剣治が面白いほど慌てて顔を上げた。
クスリと笑った志郎は、くすぐったそうに目を細め、穏やかに剣治を眺める。
「俺ンち、親が早くに離婚してっから、母親にこうやって……甘えるっツゥのかな? 初めてなんだ」
「あ……」
思いがけず聞かされた事情に、剣治は何と言って良いか、分からなかった。
志郎が、子供に戻ったようにニコッと笑う。
「なぁ、もう一回やって? ……さっきの、あ~んってやつ」
楽しそうな志郎の様子に剣治が少し笑い、今度はハンバーグを箸で摘まんで、志郎に差し出す。
「はい、あ~ん」
「あ~ん」
パクリとハンバーグを食べた志郎が、嬉しそうに「うまい」と言って笑う。
「今度は俺の番」
そう言って志郎の差し出すハンバーグに、剣治はまだ少しテレながら、顔を寄せる。
しかしハンバーグを咥えようとした瞬間、志郎がひょいっと箸をずらして、剣治は空を噛んでしまった。
「な……志郎さん!?」
恥ずかくなって怒鳴る剣治に、志郎は声を上げて笑った。
「悪い、悪い。……ほら、あ~ん」
「……もういいですよ」
「あれ、怒った? ……ごめん」
シュンとする志郎に、剣治はプッと吹き出す。
「僕は怒ってなんかいませんよ。そんな顔、しないでください」
剣治が笑い掛けると、志郎もホッとした顔をして、また嬉しそうに微笑んだ。
少しふざけながらの楽しい夕飯と共に、ゆっくりと日が沈んで行く。
☆ ★ ☆
「ただいま……」
「お邪魔しま~す」
帰宅した世流に続き、家で着替えを済ませてきた徹も、神野家に上がり込む。
当然、今日も泊まりだ。
「お帰り~」
「二人ともお帰りなさい。夕ご飯、もう少しでできますから、待っててくださいね」
リビングでくつろぐ優人と、白いエプロン姿の光が、世流達を出迎える。
見覚えのない真新しいエプロンは、きっと今日、二人で買って来たのだろう。
もしくは、優人が光にプレゼントしたのかも知れない。
デザインはシンプルだが、新品のエプロンを付けて、心なしか光の足取りが弾んでいた。
着替えのために世流は部屋へ行き、徹は先にテーブルへ着く。
見ると、すでにいくつかの料理が並んでいる。
――今日は少しばかりご馳走だ。
私服の世流が席に着く頃、丁度良く光は味噌汁を運び、それぞれに配る。
「あれ……志郎のは?」
「志郎は今日、お友達の家に泊まるそうですよ」
徹が首を傾げると、丁寧にエプロンを外した光が、自分の席に座った。
「兄さんが? 珍しいですね」
世流も不思議そうに首を傾げる。
「志郎って、一匹狼のイメージだったけど、友達なんかいたんだ?」
「……徹、言い過ぎ」
世流よりも明け透けに言う徹を、優人が苦笑混じりにたしなめた。
本人は今頃、クシャミをしているかも知れない。
「私も少し気になって、志郎に聞いてみたんですよ。そしたら……『昔世話になった、大切な人』だそうです」
志郎からの電話を取ったらしい光に、他の三人が物珍しそうに「へぇ……」と呟く。
なんだかんだ言って、みんな興味津々である。
「……そう言えば俺、志郎の前世の事、全く覚えてねぇや」
徹が「あれ?」と言うように、宙を見上げて首を傾げた。
志郎の前世とは、当然フェンリルの事である。
「実は僕達も、前世でフェンリルがどんな生活をしていたのか、ほとんど知らないんだ」
「兄様はずっと、アースガルドの遠い島に隔離されていたからな」
前世でも父親のロキだった優人と、同じく前世でも弟のヨルムンガルドだった世流が、一様に困った顔をする。
「俺はお前に、ミッドガルドの海に落とされたし」
「いやぁ……ハハ……ごめん」
世流に横目で睨まれた徹は、冷や汗を垂らしながら謝った。
とにかく――比喩ではなく、ヨルムンガルドとフェンリルは、本当に天と地ほども離れて生活していたのだ。
世流と徹の様子に苦笑しつつ、光が話を始める。
「北欧神話によれば……フェンリルは『主神オーディンを呑み込む』と予言されて、それを恐れた神々によって足枷を付けられたんですよ」
山のように大きなフェンリルを恐れた神々は、与えられるだけの食べ物を用意すると約束し、アースガルドの外庭に連れ出した。
近付く事さえ怖がった神々の中、勇敢な剣士だったチュールが、毎日フェンリルの所に食べ物を運んだ。
けれどフェンリルが日増しに大きくなり、神々は特別な鎖で縛る事を決めた。
それでも、アースガルドで作られた鎖『レージング』と『ドミロ』では縛る事ができず、フェンリルに引きちぎられてしまう。
「困った神々は、魔法の道具を作る事ができる小人に、魔法の鎖『グレイプニル』を作らせました」
見た目は絹糸のように柔らかい鎖を手に入れ、神々はアースガルドから遠く離れた島に、フェンリルを誘い出した。
そしてフェンリルを騙し、鎖で縛ったのだ。
「その時……食べ物を運んでいたチュールが、怪しむフェンリルを信用させるために、自分の右腕を噛ませたんです」
「えっ――それじゃ!」
驚愕に顔色を変えた徹が、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
光は静かに頷いた。
「フェンリルに食いちぎられ……チュールは、右腕を失いました」
息を呑み呆然とする徹を、世流がゆっくりと元の椅子に座らせる。
誰も――何も言う事が、できなかった。
☆ ★ ☆
「そんな……僕は……」
左手で顔を覆った剣治が、志郎から顔を背ける。
志郎がニヤリと笑う。
「どうした、剣治? 今さら、そんな顔をしても、もう遅いぞ」
志郎が一歩、剣治に歩み寄る。
同時に、剣治は一歩、後ろへ下がった。
「けど、やっぱり僕は」
剣治はイヤイヤと言うように首を振る。
「往生際が悪いぞ」
ため息をついた志郎が、ゆっくりと剣治の左手を掴む。
「片腕で何ができる?」
「それは……で、ですが……」
うつむく剣治に、志郎がクッと口端を上げる。
「まるで子供だな……」
志郎の言葉に閉口し、剣治は視線をさ迷わせた。
「志郎さん、もう、許してください……」
「駄目だ」
懇願する剣治に、志郎はもう一度ため息をつく。
「まったく……一緒に風呂入るだけで、そんなガタガタ言ってんなよ」
あんまり時間が経つと、せっかくの風呂がぬるくなってしまう。
剣治は耳まで真っ赤にした顔を、必死に振る。
「こんな歳で、誰かと一緒にお風呂に入るなんて――やっぱり、そんな恥ずかしい事はできません!」
志郎は半ばイライラして、自分の頭を掻き回した。
この問答を初めて、もう小一時間くらい経つ。
「寝汗で気持ち悪いっツったのは、あんただろ? いい加減、腹括れよ」
「ですが、ウチのお風呂は狭いですし……そうだ、銭湯に行きましょう!」
剣治が名案とでも言うように、顔をパッと明るくさせる。
「……この歳になって、誰かに髪や体を洗われるのを見られる方が、ずっと恥ずかしいと思うぞ?」
「うっ……!」
その場面を想像したのか、小さく呻いた剣治が、ビシッと音を立てて固まってしまった。
志郎は何度目かのため息をつく。
「男同士で、そんな恥ずかしがるような事もないだろう?」
「うぅ……で、ですが、あの……」
「いいから、もう入ろうぜ~」
このままではらちが明ないと悟った志郎は、素早く剣治の肩を抱き、ヒョイっと抱え上げた。
「えっ、ちょっと、これは……」
いわゆるお姫様抱っこである。
「よし。風呂行くぞ~」
剣治は悲鳴を上げた。
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