12 / 17
11.悲しい決断
「シロオオオォォォ!」
剣治が悲鳴を上げた。
突如飛来した雷が、力無く横たわる志郎に直撃し、まばゆい光りを放つ。
しかしなぜか、その光りは弱まる気配が無い。
『な、なんだ? 何が起こったんだ!?』
小人族のブロックも、この雷の異様さが分かったのだろう。
急に困惑し始めたブロックが、戸惑い喚く。
普通の雷ではあり得ない閃光が、球体のような型で志郎を包んでいる。
誰かの魔力が宿ったその雷光は、まるで白い卵のようだ。
アオオオォォォ――ン!
勇ましい咆哮が上がり、光りの卵の中に狼の姿が映し出される。
そして突然、卵型の光りが霧散していき、中から一人の男が立ち上がった。
月光のように輝く銀灰色の長髪がなびき、その頭から狼のように尖った耳が突き出している。
「志郎!」
真っ先に駆け出した剣治が、すっかり変貌した志郎を強く抱き締めた。
「無事で良かった……」
安堵して目尻に涙を浮かべた剣治を、志郎は静かに抱き止め、優しくその頭を撫でてやる。
「剣治……お前こそ、無事で良かった」
志郎の足元で、引きちぎられた鎖の残骸が、その魔力の輝きを失っていく。
『な……なぜだ!! なぜただの人間に、我らのグレイプニルがちぎれる!』
志郎が不敵な顔でニヤリと笑う。
「さあな。これが神の思し召しってヤツだろ?」
剣治がワイルドな志郎に見惚れている間、ブロックは悔しげにキーッと喚いていた。
フンと鼻で笑った志郎は、優しく剣治を下がらせ、上空を見上げる。
内で雷を光らせる黒雲は、成り行きを見守るように、上空でとどまっていた。
志郎は軽く深呼吸すると、静かに目を閉じ、大気の流れを探る。
湿気を帯びた木の葉の匂いに、酸性のツンとくる臭いと、錆びた鉄の臭い……
様々な臭いが交錯する中、志郎の鼻が異質な臭いを捕らえた。
――見付けた!
志郎の神力が一気に高まる。
「ワイルドファング!」
志郎の飛ばした神力が、咆哮を上げる狼の形を取り、大銀杏の陰に踊り掛かって行く。
ずっと姿を隠していたブロックが、志郎の攻撃を食らい絶叫した。
吹っ飛ばされたブロックが、志郎の前にドサッと落ちる。
「後は任せたぜ、親父」
「はいはい」
何事も無かったように志郎の隣に来た優人が、指先で空中に様々な記号を書き連ねる。
魔法の力を持つルーン文字だ。
『なっ、ロ、ロキ!? いつの間に!!』
「それは秘密♪」
キザにウインクを決めた優人が、一瞬でブロックをルーンの鎖で縛り上げる。
「冥界よりの脱獄者よ! ニヴルヘルへ堕ちろ!」
優人が命令すると、地面に黒い穴が口を開け、悪態ついて喚くブロックをパックリと呑み込む。
その穴が消えると同時に、空を覆っていた黒雲も消え去り、薄紫に染まる空には宵の明星が光っている。
優人が軽く息をつく。
「まったく、なんて休日なんだ」
全員ほっとしていると、髪が黒く戻った剣治は、急にドサッと膝をついた。
「剣治!?」
「ごめん……なんか急に、力が……」
志郎が荒く呼吸する剣治を支える。
見るからにグッタリした剣治は、だんだん顔色も青くなっていく。
志郎の傍らに膝をついた優人が、そっと剣治の額に触れた。
「親父……剣治は、大丈夫なのか?」
「かなり危険な状態だね。覚醒する前に、無理やり神力を引き出されていたから、体に負担がかかったらしい」
「……しろ……」
目を開けている事も辛くなってきた剣治が、そっと志郎の手を握る。
「剣治……」
「光はまだ学校にいるから、応急措置に僕の神力を注ぎ込もう」
そう言って優人が、軽く剣治を上向かせ、唇に口を寄せた。
それを志郎が止める。
「待った、親父。――俺がやる」
「志郎? けどお前だって疲れているんだろう?」
「俺なら、大丈夫だ」
がんとして譲らない志郎に、優人は肩をすくめた。
「仕方がないね。志郎、深呼吸をするように、ゆっくりと息を吹き込むんだ。いいね?」
しっかりと頷いた志郎は、片手で剣治を支えたまま軽く上向かせ、静かに唇を唇でふさいだ。
そして深呼吸をするように、そっと息を吹き込む。
(剣治……)
剣治が目覚める事を願いながら、志郎は鼻で息を吸い、何度も息と神力を吹き込んだ。
「ん……んぅ……」
不意に剣治が身動ぎ、志郎はそっと唇を離す。
「剣治……?」
志郎が呼びかけると、剣治のまぶたが震え、ぼんやりと目を開けた。
「し……ろ……?」
「剣治! 大丈夫か?」
小さく頷いた剣治が、穏やかに微笑む。
さっきよりは、呼吸も楽になっているらしい。
その時――
「優人!」
学校にいるはずの光が、慌てて公園の中に駆け込んできた。
「光!? 丁度良かった。彼を治してあげてくれ」
急に優人から頼まれ、光は心配顔で皆の顔を見回して頷く。
そして優人に代わって志郎の傍らに膝をつき、剣治の顔を見て、ハッと息を呑んだ。
「お兄様……!?」
剣治がぼんやりと光を見上げ、パチクリとまばたきをする。
「バルドル……? お前、本当にバルドルかい?」
「はい、お兄様。お懐かしい……」
これには世流と、志郎も驚いた。
優人が肩をすくめる。
「バルドルとチュールは、腹違いだけれど、二人共オーディンの息子だよ」
懐かしさに微笑む剣治と光は、時を越えた再会に手を握りあう。
「バルドル……どうしてお前は、ロキと一緒にいるんだい?」
「その話は、また後で……まずはお兄様を回復させますね」
しっかりと剣治の手を離した光は、首から下げる十字架のペンダントを握り、空いている手を剣治の胸に置いた。
光の髪が一瞬で黒から白に変わり、体からほとばしる神力に揺れ躍る。
剣治はゆっくりと流れ込んでくる神力に、軽く息を吐いた。
顔色も次第に良くなっていき、志郎はホッと安堵の息をつく。
そして、ほどなくして回復した剣治は、光と懐かしそうに語りながら神野家に向かった。
光が(例え前世で兄弟だったとしても)他の男と話しているのが気に入らない優人は、何かにつけて間に入ろうとする。
「そう言えば、光。どうしてここに来たんだい? まだ学校で仕事しているはずだろう?」
「保健室に運ばれて来た門神君が、教えてくれたんですよ。――『公園で狼の大切な人が苦しんでいる』って」
それで光は、優人か世流に何かあったのではと思い、すぐに学校を飛び出してきたらしい。
「あぁ、俺達も。門神先輩が、志郎の危機を教えてくれたんだよな?」
「そうだな。門神先輩に言われて駆け付けたら、父さんは縛られているし、兄さんは刺されそうになっているし……本当に驚きましたよ」
世流は肩をすくめる。
「そう言えば……僕が操られていた時、ハンマーを投げて剣を弾き飛ばしたのは、徹君だよね? あの時は本当にありがとう」
「いや~、上手く剣に当たって良かった……。世流に言われて取り敢えず投げたけど、良くあんな遠くで当たったな?」
徹が不思議そうに首を傾げ、呆れた世流は軽くため息をつく。
「それがミョルニルの力だろうが」
狙った物に飛んで行き、必ず対象に当たって、手元に戻ってくる。
それがミョルニルハンマーの特性だ。
これがレプリカのためか、徹が未熟なだけか――
本来なら、戻ってくるはずのミョルニルハンマーは、すぐに小さなペンダントトップに戻ってしまった。
「――そんでさぁ、駆け付けてみたら、志郎と優人が鎖で縛られててよ。志郎は自力で鎖外してたけど、優人のが外れなくてさ」
「それで、どうしたんですか?」
いつの間にか、徹と光は事件の事を話している。
志郎と剣治が対峙していた時、優人達が何をしていたのか――
「俺が自販機で水を買って来て、強い酸に変えたんですよ。それを鎖にかけて、少しずつ溶かしました」
「あ、優人の手にも少しかかったみたいだから、後で治療してやってな?」
戦いの最中に「熱い」とか言っていたのは、手に酸が付いたせいか。
格好付けて「秘密」とか言っていたが、実際には、いたって地道な作業をしていたらしい。
剣治と光達が和気あいあいと話すのを後ろから眺め、志郎はさりげなく優人を引き止めた。
「急にどうしたんだい? 志郎」
うつむいた志郎の様子を察して、優人が小さな声で尋ねる。
志郎は剣治と出会ってからの事を、掻い摘まんで優人に話した。
そして秘めた決断を――
「……剣治の前世の記憶と、神力を、剣治の中から消し去ってくれ」
優人は厳しい目で志郎を睨む。
「……記憶を消す事はできないが、封印する事はできる。神力の方も、別の器に移せば、彼の中からは消える。けど、本当に良いのかい?」
志郎は重々しく頷いた。
「俺はもう、剣治を巻き込みたくない」
決意は変わらない。
誰にも志郎の決断を変える事はできない。
優人はしぶしぶ頷いた。
☆ ★ ☆
自室の扉を開けると、剣治はベッドに腰かけ、志郎を待っていた。
神野家で夕食を取った剣治を、話しがあるからと引き止めたのだ。
「あ、志郎。話しって何だい?」
あの事件があって、もう一週間になる。
あれ以来、剣治は志郎に敬語を使わなくなった。
それは心を許してくれて嬉しい反面、これからしようとしている事を思うと、どうしても辛い。
なんと話して良いか分からない志郎は、剣治の後ろに歩み寄り、そっと抱き締める。
「志郎?」
「……ずっと、こうしたかった……」
「え? あぁ……っ!」
志郎が目の前の首筋を舐めると、剣治の身体がピクンと震えた。
「剣治を……抱きたい」
ビクッと震えた剣治は、黙って志郎の腕を握る。
剣治が今、どんな顔をしているのか、志郎からは見えない。
志郎は剣治から顔を背け、そそくさと離れた。
剣治に背中を向けたまま、乾いた笑いを漏らす。
「やっぱ、男同士は駄目か? ……ごめんな、変な事で呼び出して」
「……志郎」
剣治に呼び掛けられ、志郎はおそるおそる振り返って見る。
剣治は穏やかな微笑みを浮かべて、志郎にそっと手を差し出した。
「おいで……志郎」
その言葉に驚き、志郎は目を見張る。
「良い……のか?」
ためらう様子の志郎に、剣治は静かに頷く。
「志郎なら……良いよ? ……志郎のためにできる事なら、何でもする」
言葉を失った志郎は、ゆっくりと手を伸ばし、壊れ物のように優しく剣治を抱き締めた。
☆
★
☆
ともだちにシェアしよう!