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第4話
「良かった、逃げないでくれて」
思ったよりも早くやってきた日野は、俺を見るなりそんなことを言って笑った。
改めて真正面から見た日野は、いかにも女の子が好きそうな気だるい感じのイケメンで、今日もとてもラフな格好だけどそれがオシャレに見えるタイプで。何事もそれなりにうまくこなせる、一生女に困りそうにないだろう感じが俺の苦手な人種そのものだった。それこそ大学の時もいかにもこういう奴がいたけれど、存在しているグループが違うからあまり関わり合いになることはなかった。
大人になってこういうタイプと否が応でも付き合わなくちゃいけなくなって、慣れたつもりだったけれど日野が若いからコンプレックスが刺激されるんだろうか。
いやだな。若さに嫉妬しだしたら俺もいよいよおっさんだ。
「……なにじろじろ見てんの」
ベンチに座ったままの俺に上から下まで視線をやって、再び下から目線を持ち上げられたらつっこまずにはいられない。普段は自分の身長が高いせいでほとんどの人の目線が下にあるから、目の前に突っ立ったままの日野に見下ろされる感覚はどうにも落ち着かない。
視線のぶしつけさにぐったりとしたまま警戒心全開で聞く俺に、日野は悪びれもせずにやけたような笑みを浮かべて見せる。
「卯月さんって、弱ってる顔なんか可愛いですね」
「……なに言ってんの?」
大学生の男が、年上のいい年した男に向かって「可愛い」はないだろう。しかも「可愛い」と「弱ってる顔」を結びつける発想が恐い。
そりゃもちろん弱っている。当たり前だ。あんな目覚め方をしたんだから。だけどその原因の一端である男がその様子を見て「可愛い」なんて感想を漏らすんだから人生は難しい。
そして断りもせず俺の隣に、しかも膝がくっつくほどの距離で座った日野は、ワイドパンツの深いポケットに手を突っ込んだ。
「とりあえず、これ」
「ん。って、おい」
そこから無造作に取り出されたのは俺のネクタイと時計。それを手渡されることに若干の気恥ずかしさは覚えたけれど、気にせず受け取ろうとして、……急に取り上げられて手が空を切る。
「いや、素直に渡したいところなんですけど、これ渡したら卯月さん帰っちゃいそうなんで、話してからにしてください」
「話すってなにを」
「朝、慌てて帰った理由とか」
見事に手をスカらせたことが微妙に恥ずかしくて、手を握ったり開いたりしながら日野を見た。するとデリケートな部分にストレートな問いかけを投げつけられて喉が詰まる。
それによってできた沈黙の間に、ほのぼのとした公園の環境音が挟まった。こんなにのどかな日向ぼっこ日和の昼に、男二人で一体なんの話をしているんだろう。
そう思わず遠くを見てしまうけれど、このまま黙っていても仕方がないし、咳払いをしてから声を絞り出した。
「忘れよう、あれは。酔っ払ってのことだから。ノーカウントだ」
「忘れませんよ、なに言ってんすか」
こういう時ぐらい大人ぶって簡素に話を済まそうとしたのに、真っ向から否定されて面食らってしまった。なに言ってるとまで言われた。とはいえここで引き下がれない。
「いや、俺は忘れた。だから君も忘れてくれ。というか実際覚えてないからなかったことにしてほしい。一回の過ちってことで、お互い気にしないことで平和にいこう」
そういうことで、と華麗に立ち去ろうにも残念ながら俺の大事な時計はまだ日野の手の中だ。しかもその日野は、俺の言葉にそれこそ面食らった顔をしていた。
「え、マジで覚えてないんすか? なんにも?」
「俺の記憶はバーで終わってる」
その言い方だと、どうやら日野は昨日の夜のことをちゃんと覚えているらしい。あんなとんでもない状況を覚えてなくて焦ってるのは、俺だけというわけだ。むしろ覚えている方が焦ってもいいだろうに、なんだろうこの不公平な立場は。
「え、じゃあ俺とセックスしたの覚えてないってこと?」
「はっきりとした声でとんでもないこと言うのやめてもらえないかな」
意外と大きい噴水の音に紛れて誰にも聞かれていないことを祈りつつ、ぶしつけというかなんにも飾ってくれない言葉の破壊力に、背中を流れる汗が止まらない。
驚きに目を丸めた少々子供っぽい顔で、なんてセリフを吐いてくれてるんだ。もっとふんわりと優しく匂わせる程度にしてくれないと、俺の心臓が持たない。
……そうか。俺の勘違いであってほしかったのに、やっぱりその事実はあったのか。
本当にしたんだ。日野と。
「……一応言っときますけど、合意の上ですからね。俺はちゃんと了解取りましたから」
「合意……了解……」
仕事の時に聞けたら嬉しいはずの言葉が、どうしてこうも別物のように響くのだろう。いや、実際別物だからか。
まったく覚えがないせいで、その言葉が上滑りして消えていく。
どうしてそんなことになっているんだろうか。俺の記憶がないのをいいことに、盛大なドッキリでも仕掛けられているんじゃないかと思いたい。ただ、それはそれで悪質すぎるけれど。
いっそのこと無理やり襲いましたごめんなさいとでも言ってくれれば、気にしてないからと許してそれで終われたのに。
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