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第12話

 それから、さすがに手は外させ、微妙な距離と沈黙を保ちながら家へと日野を招いた。  ほんの少し前までなら絶対に家に上げさせるような相手じゃないのに、時の流れというのは恐いものだ。 「なんか飲む? と言っても、大したもんはないけど」 「卯月さん、それよりも」  とりあえず乾いた喉を潤そうじゃないかとジャケットを脱ぎつつ冷蔵庫を開ける俺を、日野は強い調子で遮った。大声ではないけれど、有無を言わせぬ迫力がある。 「さっきの続き」 「続きって」 「まだ途中でした。だから続き」  どれだけ必死なのか、真剣な目で続きを促され、仕方ないなぁと苦笑いしてその前に座る。なんだろう。イケメンが必死という状況に可愛さを覚えてしまう。  向かい合わせになった俺の頬に手を滑らせ、妙に慎重に唇を合わせてきた日野は、だけどすぐにさっきの調子に戻って深いキスを仕掛けてきた。  しかも今度はすぐに背中に手が回って、そのまま体重をかけて押し倒される。一応支えるつもりはあったらしいけど、思った以上に勢いがついてしまったのかフローリングの床に思いきり倒れてしまって、ゴンッと鈍い音が響いた。 「いったぁ……」 「あ、す、すいませんっ。でも、卯月さん、俺……」 「待った。日野」  こんなことでコブなんか出来なきゃいいけど、と頭をさすりつつ、もう片方の手で覆い被さろうとする日野を止める。このまま流れで先に進まれちゃ、たまったもんじゃない。覚えてないけれど、それでもあの日の二の舞はごめんだ。 「その『待った』って、どっちの意味っすか」 「顔が恐いよ。待ったは待った。ちょっとどいて」 「嫌です。卯月さん。俺、本当に卯月さんのこと好きなんです。だから」  なんとなくイケメン大学生という印象からいつでも余裕ぶっている気がしていたけれど、こういう時はちゃんと必死になるらしい。  ……そしてたぶん、その必死さにほだされたんだろう。  なんのためであれ、頑張る奴は好きだ。そして俺の持論としては、努力は報われるべきだと思う。  貞操の危機を覚えて二人きりになるのは避けてきたけれど、その頑張りは見てきた。だからその頑張りには応えたい。 「焦んなって。とりあえず、こうしよう」 「こうって?」  だいぶ切羽詰まっているらしく、レスポンスが速い。それをなんとかなだめるように、俺はことさら冷静に言葉を重ねた。 「一旦仕切り直すけど、ひとまず今してみるってことで」 「…………え?」  自分で強引にしようとしていたくせに、俺から切り出されるとは思わなかったのか、日野が呆けたように俺を見下ろしてくる。 「そ、それってあの、するって、俺の思ってること?」 「今、日野がしようとしたこと」  むしろ押し倒されているこの状態で、他になにがあるというのか。  にわかにうろたえ出した日野は、今の勢いはどこへやら、視線を揺らがせて戸惑いの声で俺に問いかけた。 「し、素面で?」 「ははっ、なんだよそれ」  ほら退いて、とひとまず日野を上から退かして起き上がると、改めて向かい合ってから逸らせないように日野の目を見つめた。 「実際どういう感じなのか、試そう。それでどうしてもダメだったら、本当に終わり。いつまでもダラダラとこういうのを続けていても仕方ないし、どうせ行き着くところはそこなんだから。さっさと結果を出そう。それでいい?」 「あ、は、はい」  急にかしこまって正座をし出す日野。素直に頷いたことに満足して、俺はそんな日野の髪をくしゃっと掻き回してから立ち上がった。 「そうと決まったら、早いとこしよう。風呂入ってくる」  さすがにこのままってわけにはいかない。シャワー浴びてくる、とネクタイを外して浴室に向かった。  とは言っても軽く汗を流すのと気持ちの切り替えをするために入っただけだから、大して長居することもなくすぐに上がると、なぜか膝を抱えて座っていた日野に声をかける。 「日野はどうする?」 「あ、は、入ってきます、俺も」  なにをいまさら緊張してんだよ、と肩をぶつけてやると、日野はぎくしゃくとシャワーを浴びに向かった。まるで童貞みたいだ。遊んでいるのが似合っているような見た目をしているのに、その反応が面白い。そうか。面白いってこういう感覚か。  そんな日野がシャワーを浴びている間、やっぱり素面はキツイ気がして、缶一本分だけアルコールを入れておいた。当然それくらいじゃ酔いはしないけど、気分が沈むのだけは防げた。  しばらくして腰にバスタオルを巻いて出てきた日野が「キスしていいですか」とか改めて聞いてきたから、ベッドの上に場所を移し再びそこからスタートする。  どうやらまだ緊張しているようだけど、それでもしっかりとヤる気にはなっているらしく、今回は比較的早めに押し倒されて首筋に噛みつかれた。それと同時に片手でシャツをめくられ、思わずため息を洩らしてしまう。 「やだなぁ、この年で初体験とか」 「いや、この前してますけど」 「俺の意識的には初体験なんだよ」 「あ、そうっすね。じゃあ、優しくします」  いつの間にか本当の初体験は終わっていたらしいし自分で言い出した手前逃げやしないけど、やっぱりもう少し飲んでおけば良かったとは思った。  その憂鬱っぷりが顔に出ていたのか、体を起こした日野が窺うように俺を見下ろしてくる。 「……本当にいいんですか」  それこそ今さらの話を神妙な顔でする日野が、ここでやめられるとは思えないけど、それでも相手を気遣う気持ちがあるのはいいことだと思う。だから、俺の方も余裕が出た。 「それがどんなものだとしても、チャンスはなにがなんでも掴んでおかないと、後悔するのは自分だよ」 「じゃあチャンス掴みます。あと、卯月さんの心も掴みます」 「生意気」  形ばかりのデコピンをかまして、俺は自分でシャツを脱ぎ捨てた。  それを見て日野が小さく喉を鳴らしたのが目に入り、少しだけ笑えたからだいぶリラックスは出来た。……まあ、男に興奮する男を見て引かなかったかと言えば、嘘になるけど。  あとは、とりあえず、お任せで。

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