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二、六月二日

 その夜は急患も特に来ず、快眠して朝五時には目を覚ました。ご老人方の朝は早い。よって俺の朝も早い。目を覚ましてトイレに向かっていると、大体縁側にお爺さんが腰かけている。初めのうちはビックリしたものだが、今では慣れっこだ。  廊下を歩きながら、窓から外の様子を見る。今日は曇っているが、今は雨は降っていないようだ。雲もあまり厚くないから、降らないかもしれない。そしてやっぱり、縁側にお爺さんが腰かけている。  長谷川のお爺ちゃんだ。下の名前は確か源郎太とかそんな格好いい名前だったが、「長谷川のお爺ちゃん」以外の名前で呼ぶと機嫌を悪くするのでそう呼んでいる。  今年で九二歳。寝てるんだか起きてるんだか判らないぐらい目も細く、総白髪で、腰もやや曲がり気味だ。けれど、細い身体は杖をつかなくても歩いている。年の割には健康そのもの、ではあるが、少々ボケかかってはきているかもしれない。同じ話を何十回聞かされたか判らない。まぁ、そういう話を聞くのも、嫌いではないからいいんだけど。  お爺ちゃんは毎朝一番にやって来て、縁側で待っている。雨の日や雪の日なんかも平気で来る。かと思えば、時々、来ない日が有る。そういう時は、何か有ったのかと心配になって、家を訪ねたり電話をかけてみたりするけど、何の事は無い、「今日はテレビが面白くて」とかそんな理由だったりする。朝の五時にどんな面白いテレビを見ているのか、俺には見当もつかない。  まあでも、この人にはよくしてもらっている。余所者の俺に、色々と土地の事を教えてくれる。ありがたい話だ。俺もいそいそと準備をして、朝食は後に回し、診療所を開く。すると長谷川のお爺ちゃんも、嬉しそうに中に入って来るのだ。 「た……た……田村先生、おはようございますじゃ」 「おはようございます、私は橘ですよ」  そうそう、このお爺ちゃんの特徴として、一向に俺の名前を覚えてくれないっていうのが有る。 「おお、そうじゃったそうじゃった。橘先生、どうですかな、体調の方は」 「ええ、私はすこぶる良いですよ。長谷川のお爺ちゃんはどうですか?」 「ワシもすこぶるええですわ」  よく判らない会話だが、いつもこんな風に始まる。今日もお爺ちゃんは元気そうだ。病院に来なくても平気そうだが、ここに来る事が日課になっているようだから、俺もそれに付き合っている。どうやら血圧を測るのが楽しみのようだから、早速測ってみた。いや、毎回の事だが、全く正常だ。素晴らしい健康体。田舎のお年寄りは逞しい。元は大工の棟梁だったというし、流石だ。感心していると、お爺ちゃんはいつもの昔話をする――のだが。  今日は少し違った。 「しかしなんですな、先生。ついにこの季節が来ましたなあ」 「え? ああ、梅雨ですか?」 「ああ、そうじゃの、先生は知りませんな。この村にはしきたりが有っての、村長は魔法使いが決めた御子によって選ばれるんですじゃ。その時期が来たというわけですわ」  ぶっ、と吹き出しそうになった。昨夜のキツネと同じ事を言う。まさかキツネの正体はこの人か? と思ったが、それにしては声が違い過ぎるし、いかにこの人が健康でも、あんなにのたうつ演技をするのはなかなか難しいだろう。 「な? 何ですって、長谷川のお爺ちゃん」 「んぁ?」 「いや、んぁじゃなくて、今の話の続きですよ!」 「はて、何の話をしていましたか」  あとお爺ちゃんは、突然それまでの流れを忘れる。 「いやいや、だから、魔法使いがどうとかって」 「ああーー、そうじゃそうじゃ、魔法使い、魔法使いじゃよ。この村には昔からおりましてな」 「それで、その人が村長を……」 「そうそう、魔法使いは龍神様に代わって、村長を選ぶでの。まあなんじゃ、少し過激なんじゃがの、若いモンには」 「過激って、具体的には……」  キツネと同じ事を言うのか、確認しようと踏み込んでいたら、お爺ちゃんはいぶかしげな顔で俺を見つめて来た。 「なんじゃあ、先生、妙に食い付きなさるのぉ」  一瞬焦った。しまった、と思ったが、なんとか表情には出さずに、言い訳を考える。それはその、この村の事なら俺も知りたいと思いますし、と言ってみると、お爺ちゃんはしばらくして、「ほっほ」と笑った。 「こんな田舎じゃ、若い娘も居らんし、先生も刺激に飢えておられるんじゃろう」 「あ、いや、」 「いやいや、仕方なし、仕方なし。ワシも若い頃は、一度に二人も三人もに迫られて、難儀しましてなぁ、アレはいつだったか、トモヨさんとおゆきさんが、ワシの両手を奪い合って……」 「お爺ちゃん、それ飼ってたインコの名前ですよ!」 「そうともさね、そりゃあもう激しかったもんじゃよ、エサをせっついてせっついて……」  長谷川のお爺ちゃんの特徴の一つとして、よく会話が迷子になる。普段ならそっとしているところだけど、今日は事情が違う。なんとかして話を本筋に戻さないと、俺の貞操が危ない。 「いや、インコの話はさておき、ですよ。何です、過激な方法って」 「なんですかな、先生もお好きですな」  お爺ちゃんが面白そうに笑う。こちらとしては笑い事じゃないのだが、表情は笑顔をキープした。俺は頑張ったと思う。お爺ちゃんの話にこれまでイライラした事はあまりなかったが、今日は仕方ないはずだ。 「えーとなんでしたかな、そう、過激なんですじゃな、何しろ、男が男を掘るんですわ」 「……男同士で、ですか……」 「男が男を抱くなんて、余程の覚悟が有るか、元々そういう趣味かのどちらかぐらいですからのう。つまりですじゃ、龍神様が選んだ、御子という男と、身体の関係を持てば、その相手が次の村長、なんですじゃ。まあ、今の時代どうか判りませんが、村長になりたがるのなんて、男ばかりでしてなあ。掘られる方もタダでは掘らせまいと、あの手この手で逃げたり取引したり、ワシの若い頃は何かと、すりるとさすぺんすが溢れておったもんですじゃ」 「……な、なんというか、その……アグレッシブな村だったんですね、ここ」 「そうそう、あぐれっしぶじゃったんじゃよ。まぁ、昔の話じゃ、昔の話。今はもっともっと話は早くなっておりましてな。三日も有れば次の村長は決まって終わりじゃろうて」 「え、それはどうしてです?」 「そりゃあ、色々理由はありますがの、一番は、やっぱり今の村長とキツネが……」 「え?」  キツネが? 気になったが、長谷川のお爺ちゃんはその時、時計を見て「あっ」と声を上げた。 「いやいや先生、時代劇の時間じゃ! ワシはお暇する事にしますて」 「え、あ、お、おじいちゃん、キツネがどうしたっていうんですか!」 「こんこんキツネの話はまた今度ですじゃ先生。今日は予告が面白そうじゃったんですぞ、江戸でラーメン屋台を始めるとか言うて……」  お爺ちゃんはそう言い残して、いそいそと帰宅してしまった。確かに江戸でラーメン屋台を始める時代劇、かなり気にはなるが、俺としてはそれどころじゃない。キツネと言えば、俺に指輪をくれたり、どちらかと言えば村長選びを静観する、みたいな立場のようだった。  だけどお爺ちゃんは、「今の村長とキツネが」と言い残した。何か関係が有るんだろう。話の流れからして、協力してるから、とかになりそうだ。何しろ、本来は一か月の期間が有って、あの手この手で取引したりしてたハズの行事が、三日もあれば終わるというんだから。  つまり、キツネは味方じゃないのかもしれない。むむむ……と、唸って、それからふいに、我に帰った。  こんな科学全盛の時代に、魔法使いだなんて馬鹿馬鹿しい。やっぱりこれは手の込んだドッキリなんじゃないか。お爺ちゃんも俺にちょっとしたサプライズのつもりで話に乗って、口裏を合わせてるだけじゃないか。きっと俺をからかってるんだ、そうに違いない、そう思った方が気が楽だ、だってじゃないと、俺は村中の男に尻を狙われるって事になるじゃないか……。  改めて、もし、事実だったら、と考えると寒気がした。ブルブル頭を振って、いやいや、きっとこれはやっぱり事実なんかじゃない、と言い聞かせる。  そうだこんな時は心を落ち着かせよう。診療所の窓から、空を見上げた。都会と違って済んだ青空が見える。ここに来たばかりの頃、その青さに感動したものだ。自然に囲まれた静かで穏やかな農村。それが俺の、この柳瀬村への最初のイメージだった。それがこんなセクハラまがいの習慣がある村だなんて、信じたくない。ああ、信じたくない。  そうだ、朝食を摂ろう。ふいにそう思って、いつも通りの朝ご飯を作る。白ご飯に、味噌汁、漬物に昨日の夜に焼いた魚を少々。ニュース番組を見ながら食べれば、なんだかいつも通りの日常に戻れた気がする。魔法使いなんて知らない、村長選びなんて知らない。そんな気分になった。  が、まあ何もしない時間が過ぎ始めると、やはり考えてしまう。診療所に戻って、ぼうっと空を見上げていると、あれこれ考えてしまった。そういうわけで、来客に全く気付いていなかった。 「セーンセ」 「わっ!」  すぐ側で声をかけられて、俺は飛び上がった。見ると、すぐ側に一人の青年が立っている。由良洋介(ゆらようすけ)君だ。  由良君はいわゆるひきこもり、に近い子だ。今年で二三歳。小柄で、顔立ちの素地はいいんだが、なにしろ暗い。目を合わせてくれない。斜め下を見て笑う。人が嫌いらしいのだが、階段から転げ落ちて骨折した時に街の病院に入院して、その後こちらに帰って来た時、経過観察をした。その時、由良君の少々コアなネットゲームの話を聞いてあげたところ、懐いてきた、というか。  ともかく、その由良君が、至近距離でニコニコしていた。 「ゆ、由良君、脅かさないでよ」 「脅かすなって、酷いなァ、センセ。この時間に来いって言ったのはセンセのほうじゃない。ほら、予約票」  由良君が鞄から予約票を取り出して、見せて来る。確かに、今日の今頃に診察に来るよう指示してあった。それは由良君がお願いしてきた事でもある。彼はひきこもり気質であるから、こうして診察の予約でもしないと家から出ない。それは健康にも他にも色々とよくない、と、由良君自身が気にして、特に持病が有るわけでもないが、ここまで散歩に来て世間話をする、というのを、週に一度繰り返している、というわけだ。 「ああ、うん、そうだった、ごめんね、ちょっと考え事してて……」 「センセが上の空とか、珍しいねェ。何か有ったの?」 「あー……と、とりあえず、その話はさておき、一応診察……って、由良君、どうしたのそのクマ」  よく見ると、由良君の目の下にはそれはそれは濃いクマが浮いている。尋ねると、彼は「あははー」と力無く笑った。 「いやー、ちょっと新クエストの配信があったもんだからさぁ、ついつい二徹しちゃったんだよねェ」  この子はネトゲの中毒だと、自分で言っている。だからそういう無茶をよくやると言っている。それで、時々貧血を起こして部屋で倒れているとか、そういう心配になる事もよく言っている。 「ちょ……またそういう事を……! ダメだよ、また貧血で倒れたらどうするの」 「そうだよねェ、本当に」 「他人事みたいに言わないで、少し気を付けて! ほら、座って、とりあえず血圧測るから」  そうして診察してみると、まぁまぁ健康ではあるけれど、とにかく低血圧だ。それが理由で午前中はぼーっとしていて、だからこそ朝からゲームを始め、さあ昼から頑張ろうと思いつつ、昼もゲームをして、じゃあ夜は早く寝ようと考えながら、深夜二時になってもゲームをしている、それが由良君の毎日らしい。  再三ダメだとか、ちゃんとしないととか言っても、結局のところ、こればっかりは本人次第、医者にもどうしようもない事は有る。それでも心配していると、彼も(彼なりに)気を付けるようにはなったらしい。成果は、他人からはあまり見えないが。  診察も終わって、「で、何か悩み事?」と由良君が聞いて来たので、俺は少し考えて、答えた。村長選びだの魔法使いだの、お爺ちゃんが変な事を言っていたのだ、と、それだけ。すると由良君は笑って言った。 「そりゃあいきなり言われても、信じられないよねェ。センセ、この村にはねェ、本当に魔法使いが居るんだよォ。笑っちゃうよねェ、日本なんだからもっとさァ、雰囲気の有る名前にすればいいのに、呪い師とか、術士とかさァ。ま、そいつらが村長を決める、御子ってのを選ぶんだけどねェ……」  本当に、全く同じ内容だ。俺は焦った。「それはこの村の人は皆知ってるの?」と尋ねると、「そりゃまぁ、土着の住人はねぇ」と笑う。 「でもセンセは余所の人だから、知らないよねェ。仮に知ってたとしたら、そりゃ逆にセンセが御子に選ばれたって事だし、魔法使いから説明ぐらいはされるだろうからさァ」 「は、はあ、そういうものなの……」 「でも本当に知らないみたいだから良かったよねェ。余所から来てくれたセンセを、こんな変な風習で犯させたりしちゃあ、かわいそうだもんねェ」 「は、はは……確かにそれは、風習とはいえ、災難だね」  笑ってごまかすしかない。本当に、意味が判らない。ここに来て一年目の医者に、村をあげてドッキリでもしてるんじゃないか。もういい加減同じ話に知らないふりをし続けるのも面倒だから、ネタばらしをしてほしいものだ。  だのに、ドッキリ大成功~、とはなかなか来ない。もしや、と思わなくもないが、まさかこの、科学の時代に有り得ない話だ。大体、もっと夢が有ってしかるべきだ。村長を決めるのに男の尻を狙うなんて、全く夢が無い。嘘であってほしいと切に願う。 「最近はさァ、セクハラだのわいせつだのうるさいし、おまけにSNSも全盛でしょ? 龍神様も時代遅れだよねェ、炎上とかしてこの村がエロ村だって騒がれたらどう責任とってくれるんだろうねェ?」 「ほ、本当に、今聞いた限り、結構危なそうな習慣だもんね……」 「大体さァ、村の元々の人間もだいぶ少なくなってるし、センセみたいな、都会から来た外の人も、今の村長が呼びこんじゃって来てるからねェ。今のところ問題になって無いけど、これから色々どうなるか考えたら憂鬱だよォ。まぁぼくにはあんまり関係無いけどねェ、どうせ家から出ないし?」  由良君はそう言って笑った。俺もそれに合わせて苦笑したが、上の空だった。  魔法使い云々が事実であるにしろ、迷信であるにしろ。万が一にも、この村の住人達が本気で、真剣に、この風習の事を考えているのなら、とてもマズい。尻を狙われる事になる。好みのタイプに迫られるならまだしも、政治家になりたいなんて、大体はそこそこ歳のいった男だろうし。であれば、「抱いてくれ」とあっちから言う事も無いだろうし。考えただけで恐ろしい。村人の顔を少し思い出して、ぶるぶる頭を振った。  村人に襲われるだのなんだの、そんな事は考えないほうがいい。こんなによくしてくれた人達を、そんな風に見るのは。だが、やはり自衛策は必要だ。疑うのはよくないが、無警戒なのも問題が有るだろう。  俺は知らないフリを貫き、いつもと変わらない生活をする事にした。よそ者の俺が変な動きをしていれば、怪しまれる。変わった風習の村なんですねえ、と信じていない顔をして笑っていればいい、それが一番違和感が無いだろう。  そういえば、現村長も御子とやらを抱いたんだろうか。二回当選六年目、確か俺と同い年だったはずだ。若くてイケメンで、しかもやり手なんだなあ、と思ったが、まさかそっちの意味で……と考えると、げんなりしてきた。いかんいかん。考えが下品な方に向かっている。 まぁ村長にも事情は有るだろうし、あまり勝手に想像しても仕方無い。俺は今日の予定を確認して、何事も無かったようにこなそうと思った。

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