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第12話

もう怖くはない。むしろ今は、高科が泣きそうな顔をしていることに狼狽えていた。 彼は本当に過保護だ。自分になにかあると、彼も辛そうな顔をする。 それはあまり見たくないな。 泣き顔は、もう見飽きたんだ。 「……大丈夫」 高科の頬を撫でて繰り返した。自分に言い聞かせるように、深いところまで浸透させていく。 大丈夫。君のせいじゃない。 いつかの赤い景色がフラッシュバックする。耳を劈くクラクション、全身に加わる重圧。 あれはきっと、誰のせいでもなかった。 「矢千さん、すぐ来てください! 急患っ……今来たお客様が、今日中にデートができなかったらここの屋上から飛び降り自殺をするって仰ってます。もう俺にはどうすることもできません!」 小鳥のさえずりが窓の外から聞こえる、爽やかな朝。 仕事の準備に取り掛かっていた矢千の部屋に、崎が鬼気迫る表情で駆け込んできた。その内容も穏やかじゃない。 もはや警察か病院の出番だろう。ふと電話機に視線がいく。しかし対応しているのが女性の事務員だと分かって、一目散に受付へ向かった。 「崎さん、所長は?」 「今日は講演会に出席されてるので……連絡しても全然繋がらないんです」 ため息を飲み込んで踵を鳴らした。早朝にアイロンをかけたおかげで、白衣は皺ひとつない。小走りで進む度にひらひらと揺らめく。 真っ白な布はベッドシーツを思い出させていけない。昨夜の高科のことまで思い浮かべてしまい、二重でため息がでた。 「大変お待たせしました。お客様、如何なさいましたか?」 「デートがしたいんだよ!」 挨拶をした矢千の顔を見るなり、若い男は激しい剣幕を見せた。 「デ、デートですか……?」 そんなすぐデートがしたいなら、出会い系サイトを使う方が時間的にも金額的にも英断だろう。アドバイスしてやりたかったが、怯えている女性社員の手前躊躇してしまった。矢千はどちらかというと紳士として振舞っているので、俗っぽい発言をして軽蔑されたくない。本性を知っているのはあの変態上司だけで充分だ。 「詳しくお聴きしますので、お部屋にご案内します」 「嫌だ。今、すぐ、俺はデート気分を味わいたいんだ」 こいつめ、何か薬でもやってるんじゃないか? 崎に視線を送ると、彼は青い顔で首を振った。声こそ出てないが、唇の動きから俺この人怖いですぅと言ったのが分かった。崎は自分より歳上だったと思う。本当に駄目だ。仕方ないので覚悟を決め、男の話を聞いた。 男の名は増澤。聞けばなんと医学生で、矢千と同い年だった。浪人したとのことだが、来年はめでたく研修医になるらしい。せっかく良い調子でステップアップしているのに、ここにきて性欲が爆発してしまったようだ。逆に不憫に思えた。 「俺は勉強しかしてないんだよ。周りが遊んで恋人と楽しくやってる間も、ずっと死にものぐるいで医学書を読んでた。今行動しないと、ずっとこのままだと思ったんだ」

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