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第13話

最初こそ興奮して危険な様子だったものの、宥めながら傾聴してるとだいぶ落ち着いてくれた。 矢千は事務員に理って増澤を建物から連れ出し、整備されたクリーンなオフィス街を歩いた。普段は外へ出ないし、出られない。高科の管理下にいる為、外出許可を取らないといけなかった。今回は特例として、事後報告しようと思っている。 久しぶりの外の景色は新鮮だった。太陽か眩しくて目が痛いし、風は冷たい。人々は派手な髪色と奇抜なファッションで街を闊歩している。上空を飛んで不審者を捜しているドローンや、ジューススタンドで客の対応をしているロボットが目を引く。たった一ヶ月引きこもっただけで、自分だけ一昔前に取り残されたような気がした。 「……だから俺は、失った青春を取り戻したいんだ。わかる?」 「わかります。とっ…………ても分かります」 感情を込めて返したつもりだったが、どうも増澤の耳には棒読みに聞こえたようだ。露骨に苛立ちを見せ、舌打ちをして立ち止まった。 「絶対分かんないだろ。アンタ顔良いもんな。どうせ毎日取っかえ引っ変えして遊んでんだろ」 「……」 違う、とはっきり言っても良かった。でもそんなことを言えば彼の怒りを倍増させてしまう。 それに特定の相手だが、毎晩自分は性欲処理をしている。夜の事情に関して特段困ってないので全てを否定する気が起きなかった。 恋愛を馬鹿にしながら、恋愛に関わる仕事で飯を食っている。本能のまま交わる者達を嘲笑いながら、影で男に弄られている。 馬鹿なのは自分だ。行き場のない怒りを持て余しているこの青年と何も変わらない。迷って迷って、辿り着いた先でじたばたしているだけだ。 「僕、恋人ってできたことないんですよ」 「はぁ? バレる嘘はやめろよ」 「本当ですよ。もっと言えば、友人もひとりもいません。親も兄弟もいない。多分貴方が思ってるよりずっと寂しくて、つまらない人間ですよ」 別に卑下したいわけじゃない。事実を淡々と述べただけなのだが、ひねくれた回答になってしまった。やはり自分のことなど話すべきじゃないな、と改めて反省する。 増澤はまた疑って笑い飛ばすかと思ったが、思いの外驚いたような顔でしばらく黙っていた。それから悪い、と呟いた。 「そもそも同い年だもんな。敬語じゃなくていいよ」 「そうはいきません。一応仕事中なんで」 と言いつつ道端でカフェオレを買って飲んだり、路上ライブを眺めたりと羽根を伸ばしている。増澤は可笑しそうに腹を押さえて笑った。 「何か、これもある意味デートみたいじゃない?」 「はぁ……」 そうだろうか。手も繋いでないし、何ならお互い名前以外は何も知らないけれど。 増澤は満足そうな顔を浮かべて前を見ている。それを見たら何だかどうでもよくなってしまった。 常識の外、健全過ぎてデートと呼ぶには無理があるけど、一応気を遣っている。彼の歩幅に合わせ、言動や行動に細心の注意を払っている。それは確かに初デート時の感情と類似しているかもしれない。 「やっぱり、デートって言ったら夜景だよな!」 「夜景」 目的もなく街中を歩き回り、ショッピングモール内を見物し、ようやく日が暮れた頃に増澤は意気揚々と手を叩いた。 矢千は正直早く帰りたいと思った。彼は普段ワンフロアの中でしか移動しない。一日の平均歩数は成人男性の半分以下だ。当然足は棒のようになり、明日は筋肉痛になることが約束されているような気怠さである。 しかし乗りかかった船だ。ここまできたらとことん付き合おうと決め、増澤と一番近くの展望塔へ向かった。中は若いカップルばかりで、増澤の穏やかになった心に火を放たないかヒヤヒヤしたが、初めて来る場所ということで上機嫌だった為安心した。 矢千は増澤とガラス窓に寄って夜景を眺めた。 空は黒一面に塗り潰され、眼下には宝石箱がぎっしりと敷き詰められている。橙の灯りが煌々と揺らめき、街と空の境界線をつくっている。まるで動く絵画のようだった。 ……あぁ。 バキン、とガラスが割れるような音が鼓膜に響いた。しかし周りを見渡しても特段変わった様子はなく、誰もが外の景色に見蕩れている。気の所為だと思い、矢千も窓の外に視線を移した。 「う……」 耳鳴りがする。今度は鈍い頭痛まで感じた。 視界がぼやけ、慌ててガラス窓に手をつく。動悸まで始まり、胸元に強く手を押し当てた。 この感じ、嫌だ。誰か……。 『深月』 ずっと遠くで誰かの声が聞こえる。 これは誰だ。この……この状況は。 自分は、この景色を誰かと笑いながら眺めたことがある。温かい掌に撫でられながら、優しい声で何度も名前を呼んでもらった。 自分の名だ。あれはいつのことだったか。 呼んでくれたのは、一体誰だったか。 「矢千さん!?」 甘い夢想は、劈くような声に掻き消された。次に聞こえたのは打って変わって騒がしい人の声。「なになに、誰か倒れてるの?」「ああ……」「誰か呼んだ方がいいんじゃ……」 足音。声、足音……。視界に映るのは頼りない灯りを発する天井の照明。たくさんの足と靴。焦った顔で覗き込んでくる増澤。 靴底が床から離れている。倒れたと分かったけれど、すぐに起き上がることはできなかった。大きな騒ぎになってしまうから早く起きないといけない。しかし焦れば焦るほど力が抜ける。意識が遠のく。 一体どうしてしまったんだろう。 眩い光がゆっくり閉じていく。その色も温度も感じられなくなった時、意識は途絶えた。

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