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愛してるからこそ地獄行き 5
哉太が最後に泣いたのはキシさんと俺と三人でキャンプに行った日だ。
本当は両親たち四人も来るはずだったけれどそれぞれ別々の理由で来れなくなった。
幼心に大人は信用できないと思った。哉太だけがいればいいと思った。
哉太が淋しがっているのは知っていたから俺はいつも以上に哉太に甘えて遊んでいた。
山を二人で駆け回り、キシさんは川辺で読書。
いつも三人でどこかに行ってもキシさんは俺たちの遊びには参加しない。
監督役として保護者をしているだけで二人で何かしているのを口出ししてこない。
迷子になったら不思議とすぐに見つけてくれるし危ない場合は手前で教えてくれる。
見ていないようで見ているということなんだろう。
哉太は蛇が苦手だった。
木の根っこにつまづいて転んだと思ったら蛇だったということがあった。
毒蛇ではなかったけれど哉太はパニックを起こしていた。怖かったんだろう。泣かない哉太が大泣きした。
俺が木の棒で突いて蛇を茂みに追いやって哉太を引きずるようにしてその場を離れた。
泣きながら助けて怖い怖い雄大と震える哉太がいつもの頼れる姿と違ってかわいくて俺は混乱した。
多分その時から俺は哉太を兄弟として見なくなった。心がぎゅっと締め付けられる感覚。
俺の心の柔らかいところは全部、哉太が支配していた。
学園でのことはあまり記憶に残っていない。
哉太とキシさんと俺、三人でいた頃の記憶ばかりが強い。
覚えている価値もないことだと学園でのことも生徒会長という立ち位置も興味を持っていなかった。
哉太の机に入れられた蛇のオモチャ。ゴム製の蛇はかなりリアリティのある蛇だった。
初等部の頃の話か中等部でのことかあいまいだ。
だが、哉太は悲鳴を上げることも泣くこともなかった。
強い哉太は知っていた。弱みを見せればそこを攻められると知っていた。
怖かっただろう蛇に泣くことがなかった哉太だけれど俺を見て言ったのだ。
口を動かすだけで声を出さないで言った。俺に助けを求めてくれた。
『たすけて、ゆうだい』
悲鳴を上げなくても、泣かなくても、痛くないわけがない。辛 くないわけがない。怖くないわけがない。
俺は哉太がどんな顔で耐えるのか知っている。
『たすけて』
強い哉太が耐えきれずに俺を頼るなら、何を犠牲にしても俺はその期待に応えたい。
そう思っていた。今も昔も変わらずに哉太のことが好きだから、哉太の為なら何だってできる。
『ゆうだい、たすけて』
幻聴じゃない。過去の声を回想しているわけでもない。
確かに哉太の声が聞こえた。
急に頭がおかしくなったんだろうか。
都合のいい妄想か、事実の改ざんか。
『たすけて』
ミュートにしている映像から声が聞こえる。
哉太は自分の乳首をいじりながら多分きっと喘いでいる。
それなのに俺は蛇のオモチャに遭遇した時の泣かずに我慢する哉太がダブる。
押し殺された悲鳴。恐怖に揺れる瞳。
『ゆうだい、たすけて』
聞こえないはずの声が聞こえる。
目を閉じると哉太の声は消えた。
目を開いて再生し直す。
確かに哉太が俺に助けを求めている。
オフにしていた音量を戻すと卑猥な台詞を哉太が口に出して喘いでいるけれど違う。
もう、それが言葉通りのものには思えない。
声のない声が聞こえる。
必死に助けを求める声が聞こえる。
自分が信じていたもの。
自分が見ていたもの。
自分が口にした言葉。
それらが襲い掛かってきて思わずその場で吐いた。
朝ごはんがまだだったのは幸いだ。
酸っぱい匂いの中で俺は大声で泣いた。
浮気をされた自分がかわいそう。
哉太に軽視されていた自分がかわいそう。
別れを告げられたくなくて泣き叫んでいたのも全部俺は俺の都合で泣いていた。
哉太が生徒会役員をはじめ、その親衛隊たちに無理やり襲われて、望まない肉体関係を強いられたのだとしたら、俺の言動は哉太にどう映っただろう。
一緒にいたいと思えるだろうか。
愛情を保てるだろうか。
嫌いになったりしないだろうか。
ここに来てもまだ俺は俺のことを考えていて、その自分勝手さと弱さに吐き気がする。
一番の被害者である哉太が動いているのに俺は哉太の言葉を信じず現実を今やっと受け入れて哉太を思って泣いている。
哉太は地獄だと言った。
その通りだろう。
愛しているからこそ耐えがたい地獄だ。愛し合っているからこそ生まれる痛みだ。
どうしてこんなに優しくない世界があるんだろう。
俺たちはそんなに悪いことをしたんだろうか。
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哉太が耳を塞ぐ方法を募集しても目を閉じないのは自分の無言のメッセージを確認していたからという……鋼鉄の心臓みたいですが、そう思わないと耐えられないという後ろ向きな開き直り。
どうせ倒れるのなら前のめり精神で見えない足跡を残しています。手を動画に映るようにしてるのも当然わざと。
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