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第六章 一晩中踊れたら(music by Shelly Manne & His Friends)8

 手を伸ばしさえすればそこにある、互いの魂の深淵と、それぞれの道の孤独さと、今触れてにじんで混ざっていく息遣い。  ひらかれてしまった心のままで、そんなものが流れ込んできて、文彦は息が止まる思いだった。肌を触れ合う、ただそんなことで、幾つもの意味が重なっていくなどと。  文彦の首元に流れていた銀色のチェーンとリングのきらめきは、淳史が丁寧にそっと外して、グランドピアノの上に置いてきた。  淳史に連れて来られたベッドの上で、無言の争いに似たやり取りは長かった。  主導権を取ってやり過ごそうとする文彦と、やさしい行為にしようとする淳史との間で、衣擦れの音と、荒い息遣いだけが響く。 「……っ」  いつもとは違う体の感覚に、文彦はためらい、おののいている。  公彦と何度か得た快楽の、それから二度とは文彦にとっては手にしないだろうと思っていた感覚。 あの時に得た悦びも、反対側で続いた苦痛も、過去となり、時を経て、風化すればするほど根深く沈んでいる。  腰を引き寄せられて、文彦の感覚はコントロールを失って、淳史の手の中で滑り落ちていく。互いの昂ぶりは、もうはっきりと知れてしまっていて、何処にも隠しようはなかった。 「文彦」  そっと名前を呼んで、てのひらで頬を包んで、その存在の確かさに触れて。  少し照明を落としたベッドルームは、昨晩に淳史が、文彦が絶頂に果てた場所でもあって、その空気はまだベッドの上で漂っている。  淳史は無造作に服をはだけて脱いでいく。無駄のない引き締まった筋肉の、彫像のような裸体があらわになっていって、文彦はそれを見上げながら何度か瞳を瞬いた。  淳史がすぐそばのうすい肩を長身の下に巻き込んで、ベッドの上で抱きしめてしまうと、文彦は抗いようもなく動きを止められて、身の置き所を失って視線を反らした。  すぐに文彦のズボンを滑り落とすようにして脱がしてしまうと、淳史はゆっくりとキスを何度もくり返しながらシャツのボタンを外していく。 「フェアじゃないでしょ、この状態で……」  真摯な雰囲気を打ち壊したいように、笑って軽口を叩いた文彦の、指先はこわばって表情はぎこちない。  淳史に乗りかかられれば文彦はもう動きを取れずに、沈んでいくしかなかった。 淳史は無理強いしてシャツをすべて肩から落とすことはせずに、胸から腹へとひらいたところで文彦の肌をてのひらでなぞっている。 「……っ」  ひそやかな吐息は、呼吸の合間に漏れている。  淳史の触れたところから、ぱちぱちと電流が流れるようで、文彦は息を乱した。 「俺が、するから――」  抗議するように言った細い声はむなしく、淳史の体がぴたりと上から重なっていて、自由に動くことはできない。 「いいんだ、文彦に触りたい」  肌をやさしく流れていく熱い指先――それから、唇に、頬に、耳朶に、首筋に何度も落とされるキス。文彦だけを見つめて熱っぽく高まった眼差しは、今にもこぼれ落ちそうに情熱と切なさをひそめている。 「淳史――口で、してあげるよ? 昨日みたいに――」  ピンク色の尖った舌で唇を舐めた文彦の、うっすらと微笑した顔は蠱惑的で逆らいがたい誘惑だったが、その瞳の奥には凍った過去が積もっている。 得体の知れない微笑と悪魔的に小昏い瞳の底は、朧たけた精緻な仮面で、美しくはあるものの、その下には心の骸が墓地のように山積している。 「昨日、よかったよね……?」  絵画の中のように、それはいつも決まった微笑を浮かべている。  文彦は、淳史にあまり触れられたくないのだ――その先に自らがどうなってしまうかを、予測できずに恐れている。淳史を絶頂へと導いてしまって、早くやり過ごそうといつになく焦っている。 (早く、早く終わって――)  鼓動は速まって、とらえようのない肌の感覚から逃れようと淳史の肩を押し返すように触れて、文彦は感じた熱さに息を呑んだ。  淳史は首を横に振って、徐々に下へと降りていく。唇は胸、腹、脇腹をすべり、てのひらは脚、内股へとなだめるように撫でている。文彦は、少しずつ緊張を増して体がこわばっていき、両手でぎゅっとシーツを握りしめた。  文彦の脚の間へと割るように入り込むと、淳史は悦びを隠せずに、思わず微笑みを浮かべた。はっきりと屹立した文彦の昂ぶりを、大切そうに指先でなぞり、唇をよせて何度もキスする。 「……!」  それだけで白い体はしなり、昂ぶりの先端からは粘液があふれ、淳史は引き寄せられるように深く口に含んだ。  文彦の足先にぎゅっと力が入り、昂ぶりの先端やくびれを淳史の舌が舐めとるたびに、ビクッとふるえている。  その反応の良さに、淳史は唇を何度も上下させた後、昂ぶりを口から出して、さらに下へとキスを続けていった。陰嚢をやさしくくすぐり、大きく口に含み、そうしながらさらに脚を持ち上げるようにしてひらかせた。 「淳、史……」  かすれた声が名前を呼んで、頼りなくふるえている。 「文彦、好きだ――」  淳史はその奥の窄まりへと、唇をよせて舌で舐め取った。 「あ、汚いよ……ッ!」  驚いた文彦の、羞恥と困惑の声。続いていく思いがけない愛撫に、どうすることもできずに身をすくませて硬直している。 「どこも、汚くない――全部、綺麗だ」 「汚い……よ」  淳史はシーツの上で文彦のふるえる手を探して握りしめ、後孔へとやさしくキスした。淳史はやや考えていたが、文彦の反応に惹かれ、昨晩に文彦がベッドサイドに準備したもののうち、ローションのボトルを手にして蓋を開けた。 「もしかしたら、今日は……」 とろりとした冷たい液を、文彦の肌が驚かないように、てのひらで何度も温める。 「ここを触っていいか?」  後孔のまわりをくるりと触れて反応を見たが、文彦は大きく瞳を見ひらいて睫毛をふるわせている。淳史は誘惑に負けて、指をわずかに差し挿れた。文彦は抵抗せずに、脚をひらいて、なされるがままになっている。  指を軽く差し込んで、少しだけ奥の左側に、淳史は違和感を見つけた。それを見つけたくて、文彦の昂ぶりをもう片手で擦り上げて、追いつめていく。 「……っ!」  文彦は顔を隠したいように横を向いて、唇を強く引き結んだ。 「ここ……」  細心の注意を払いながら、淳史は指の腹でやさしく丁寧に撫でさする。  ビクッと文彦の内股がふるえた。 「何――?」 「ここ、だろう?気持ちいい?」 「え……?」  淳史は左側にずれたところにスポットを見つけて、何度もゆっくりと指で撫でまわした。徐々にそこは膨れてきて、淳史の指によって、文彦の下腹へとじんわりした痺れが広がっていく。  初めて丁寧にやさしく触れられた内奥は、ゆっくりとひらかれて、そこから熱を上げた。 「ふ……っ」  文彦は何も答えられずに、両手でぎゅっとシーツを握りしめて、堪え切れない息を洩らした。その様子を注意深く見つめながら、淳史はゆっくりと気を付けて後孔へと指先を折るようにして刺激していく。文彦が頭を振ってぎゅっと目を瞑った。  昂ぶりの先端からは、反応を証拠づけるように粘液があふれて、淳史の指をぬるりとすべらせていく。片手でその昂ぶりを擦り上げ、同時に文彦の快感を押し上げる。  淳史はさらにローションを足して、指を増やしてゆっくりと挿れていく。それを受け入れて、文彦は体をふるわせている。  長い、いつ終わるともない愛撫が続いて、はっはっと激しい息は文彦の咽喉をついた。快楽を逃そうと文彦は首を振ったが、そうはできなかった。  洩れそうな喘ぎを抑えようとして、文彦は唇を噛みしめた。 「文彦、唇が――」  淳史が言いかけた時、文彦は声を抑えようとして、瞬間に手ごと口へと突っ込んだ。 「駄目だ! 手は――」  淳史は慌ててその手をつかみ、すくい、指と指をからめてぎゅっと握りしめた。  後孔の刺激から逃れた文彦は、茫洋とした意識の中で、口を半開きにして彷徨っている。濡れた淡紅色の唇、耳から首筋まで薄赤く染まった肌、白いシーツへと乱れて広がる栗色の髪、いま淳史にだけ見せている高揚して混濁した意識――そして、縹いろに濡れた弱々しい瞳。 「あ……文彦――」  淳史は呻いて、抑えきれないように、身を折った。

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