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第5話
ギャラリーのオープニングパーティというのは、個展を開く際に顧客やアーティストの友人や知り合い、ギャラリー仲間などを集めてのお披露目会をする事である。
その際に必ず会場で手にするのは……シャンパン。
レイはシャンパンが大好物なので、オープニングに呼ばれると嬉々として駆けつける、と言っても過言ではなかった。
レイが好んで顔を出すギャラリーのパーティでは、いつも上質なシャンパンが客に振る舞われるため、口の肥えた彼にとってはこれ以上ない楽しみなのだ。
逆に上質なシャンパンが振る舞われないギャラリーには、レイは頼まれても二度と足を運ばない。ギャラリーの中にはシャンパンではなく、スパークリングワインでお茶を濁すようなところも珍しくないのだ。
以前レイはリチャードに「スパークリングワインしか出せないようなギャラリーは、碌な顧客がついてないって証拠だよ。きちんとした顧客もつかないようなギャラリーは、ビジネスが上手くいかなくなるのも時間の問題。そんなところに足を運ぶだけ無駄だから僕は行かないんだ」と言っていた。
つまりギャラリーのオープニングというのは、これからの新規の顧客を開拓する絶好のチャンスであり、その場で上質なシャンパンを振る舞ってギャラリーの格を示すことは、ビジネス上重要な戦略なのだ。
その機会に二流のサービスしか提供出来ないようであれば、常に二流か、もしくはレイが言う通りビジネスの行き詰まりも早い、と言う事なのだろう。
レイは生き馬の目を抜くような厳しいアート業界で、一流のアートディラーとしてビジネスを成功させている。そんな彼の言葉は学ぶところが多い、とリチャードはいつも真面目に受け止めていた。
リチャードは、レイの知り合いのギャラリーのオープニングに、初めて同伴させて貰った時のことを思い出す。
どんな場にいても華やかで、常に人の輪の中心にいるレイ。彼は優雅にシャンパンが入ったフルートグラスを片手に踊るように人と人の間を渡り歩く。リチャードにはそんな姿が眩しすぎて、近寄りがたくすら感じた。
そしてそんなレイは、会話を楽しみながら、次から次へとシャンパンを美味しそうに飲み干していく。
リチャードはそれを見て、あまりのレイの飲みっぷりの良さに驚いたものだった。普段シャンディをちょこっと飲むぐらいなのに、シャンパンとなるとまるでざる状態なのだ。それでいてちっとも酔わないので、リチャードは一体彼の体の構造はどうなっているのだろう、と不思議でしょうがなかった。
きっとこの日寄ってきたオープニングでも、レイはいつもの調子でシャンパンを飲んできたのだろう。だが、いつもと違って旅疲れや時差が重なり、体調が本調子ではないので、シャンディを重ねて飲んだ事で酔いが回ってきたのかもしれない。
リチャードは心配そうにレイの顔を覗き込む。レイは黙って俯いていたが、リチャードの視線に気付いて少し顔を上げた。その表情を見てリチャードは思わずどきり、とする。レイの頬がアルコールのせいなのか、ほんのり桜色に上気して、榛色の瞳は切なそうな色を湛えて潤んでいる。それが何とも言えない色気を醸し出していた。
リチャードが気付くと、テーブルの下の彼の太腿の上にいつの間にかレイの手が置かれている。
「……ねえ、リチャードは僕のこと、抱きたくないの?」
「……」
リチャードは言葉に詰まる。レイの顔を見ると真剣そのものの表情だ。
――こ、こんなところで……レイ、意外と大胆だな。
「いや……その、レイは……嫌じゃないの?」
「何言ってんだよ。この間も言ったよね? 僕、もう5年も待ったんだよ? 5年も……ずっとリチャードの事だけを想って……」
一瞬リチャードはレイが泣くんじゃないか、と思った。
その瞬間レイは顔を上げて真っ正面からリチャードをぐいっと睨み付けると、「甲斐性なし」と言った。
「か、甲斐性なしって、そんな……」
「なんで、そんなに優柔不断なの? 仕事ではそんな事、微塵もないくせに。どうして僕の時だけ、そんな風になっちゃう訳? いい加減決めてくれないと、僕だってもう……」
「……もう、何?」
「……リチャードの事……諦めるよ?」
レイのこの一言は、流石にリチャードにも堪えた。
自分の好きがレイの好きと同等なのかどうかなんて、もう悩むのはどうでもいいのかもしれない、とリチャードは目の前で辛そうな表情をしているレイを見たら思えてきた。レイの手はまだ彼の太腿の上に載せられたままだ。リチャードはそっと彼の手の上に自分の手を重ねる。
「レイ、俺のフラットに来る?」
重ねたレイの手が一瞬震えたように感じたのは気のせいだったのか。彼の手はまるで氷のように冷たい。リチャードはぎゅっと手を握りしめる。レイはされるがままになっていた。
「いいの……?」
「それでレイは満足?」
「……うん」
こんなに素直なレイを見たのは初めてだ、とリチャードは思う。もしかするとこれが本当の姿で、普段の皮肉めいた態度ばかり取る彼は、周囲に本心を知られたくなくて、無意識のうちに自分を守る鎧を纏っているのかもしれない。
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