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「早かったね流星」 「結城さん」  部屋の中は程よく冷えていて、いい香りがした。お決まりのクラシック音楽が静かに流れ、優雅な午後の時間を演出してくれている。たった六十分のコースでも、俺のためにここまで用意してくれたんだと思うと素直に嬉しかった。 「今日は突然どうしたんですか? 平日の昼間に、珍しいですね」 「流星に会いたくなっただけだよ」  広げられた腕の中に身を投じ、互いに優しく抱きしめ合う。俺よりも少し背の高い結城さんの唇が、そっと額に押し付けられた。いつも真新しい匂いがするスーツ。それによく合う微かな香水の香り。腕に光る高価な時計。俺の髪に優しく絡む綺麗な指。なんだかとても安心する。 「シャワー浴びますか?」  腕の中でそう問いかけると、結城さんが小さく笑った。 「一時間しかないからな。今日はお喋りだけでいいよ」 「でも……」 「ベッドで横になってくつろぎながら、流星と話がしたいんだ」 「何かあったんですか? 結城さん、俺のほしくない……?」  話すだけで済むなんて普通ならこれ以上幸運なことはないはずなのに、どういう訳か俺は少しだけ落胆していた。 「ほしいけど、ほら。七日の誕生日まで楽しみに取っておこうと思ってさ」 「そっか」  それから俺と結城さんは並んでベッドに身を横たえ、三日後に迫った俺の誕生日のプランについてあれこれと話し合った。 「俺は結城さんと一緒に過ごせれば言うことないですよ」 「そういう訳にもいかないさ。流星には世話になってるからな」  実際世話になっているのは俺の方なのに、おかしな話だ。思わず笑ってしまった。 「どこか行きたい場所ないか? どこでも連れてくって約束しただろ」  七月七日。俺の行きたい場所。  駄目だと思いながらも、口に出してしまった。 「花火とか見れたらロマンチックですね」 「花火か……なるほどなぁ」 「大きい花火大会があるんですよ、その日」 「ああ。流星は花火大会に行きたいのか?」  少し困ったような表情を浮かべた結城さんを見て、俺はかぶりを振った。 「ううん。俺は結城さんといられればどこでもいいです」 「行きたいなら連れてってやりたいけど、会社の奴らも行くって言ってたからなぁ。特に女子社員達が」 「そっか。見られたら面倒ですもんね」 「その代わり、もっと流星に相応しい場所に連れてくよ」  俺に相応しい場所……。  それを聞いた瞬間、胸の奥深くから形容しがたい何かが込み上がってきた。 「結城さんは」  だから、考えるよりも先に言ってしまった。 「なんでそんなに、俺に優しくしてくれるんですか……?」 「ん?」 「結城さんは俺に色々と良くしてくれるけど、なんかすごく勿体なく思えて。だって結城さんくらい素敵な人だったら男女関係なくモテるだろうし、今は独身でもこの先結婚だって考えてるでしょ?」 「流星……」 「俺なんて、ただの売り専だ。体売って金を貰ってる」  頬を撫でられ、俺は唇を噛みしめた。  こんなこと今まで一度も考えたことはなかった。彼が俺のためにサービス料以外の金を使っていることは知っていたが、仕事と割り切って全く無関心だった。自分は所詮性処理の道具なのだから、そちらが勝手に何をしようと関係ないと思っていた。  なのに、どうして今さら。 「俺なんかのために、これ以上結城さんに負担かけたくないんです。俺は貴方が思ってるような男じゃないから。優柔だしすぐヘコむし、腹の中では人に言えないような汚いこともいっぱい考えてる。貴方みたいな有能な人に、優しくされる資格なんてない……」  そうだ。  俺は零と出会ったあの日以来、無意識の内に自分と零とを比べてしまっている。  同じ仕事をしながらも、俺とはまるで正反対の零。無邪気で明るくて素直で、翔宇が惚れるのも無理はない。認めているから、益々自分が価値の無い存在のように思えてしまう。 「流星、そんなの人間なら当たり前のことだぞ。それに俺は負担だなんて思ってないさ。まぁ、キャバ嬢に恋して貢ぐオヤジと一緒だな。流星は、こんな俺をおかしいと思うか?」  俺は黙ったままで首を横に振った。 「俺も馬鹿じゃないから、お前を風俗からあがらせて付き合いたいとか、愛人にしたいとか、そんなことまでは考えてない。他の客とヤッてるのだって気にしてない。だけどな、流星」  結城さんの真剣な目に、今にも泣きそうになった俺の顔が映っている。 「俺はな、最終的にお前に幸せになってもらいたいんだ」  その瞬間、心臓を抉られたような衝撃が走った。 「俺も若い頃はいろんな経験をした。学生の時は散々悪さもした。だけど、今はこうして小さな会社を経営できている。流星。例えどんな過去を持ってたとしても、幸せになる権利は誰にでもあるんだ。大事なのは、その過去を踏まえて未来をどう見るかなんだ」  無知な俺にも分かるように言葉を選びながら、結城さんが力強い口調で言った。 「結城さんは、俺に売り専辞めてもらいたいと思ってる……?」 「正直言って辞めてもらいたいとも思うけど、お前に会えなくなるのも嫌だしな。だから流星が決めた時に辞めるのが一番だと思ってるよ」 「俺のどこに、そんな魅力があるって言うんですか? 自分ではとてもそう思えない……」 「言葉で表すのは難しいな。俺が流星を指名したのは一目惚れみたいなモンだったけど、回を重ねるうちにお前の人柄に惹かれていったんだ。一生懸命でいつも笑ってて、一緒にいるだけで癒される」  そこまで言って、結城さんが照れたような表情を浮かべた。 「だから俺は、ただお前が幸せになる手助けができたらいいと思ってる」 「………」 「流星のことを放っておけないんだ」  いつだったか、タクシーの中で酔った翔宇が言った台詞を思い出した。  ――放っておけないんだ。俺、零のこと守ってやりてえ。  分からない。今の俺には、そんな彼らの気持ちが。 「流星?」 「結城さん……」  泣き顔を見られる前に、俺は彼の胸に顔を埋めた。 「何か悩んでるなら、聞くぞ。俺で良ければ全部吐き出してみろ」 「俺、俺……」  スーツに涙を付ける訳にはいかない。両手で顔を覆いながら、俺は白状した。 「好きな奴がいるんです……」 「ん」 「でも、駄目なんです」 「どうしてだ?」  俺を落ち着かせるように、結城さんの手がゆっくりと背中を撫でてくれる。立場が逆だ。彼の優しさに、俺は完全に甘えていた。 「俺とそいつはタチ同士だから、出会った時から恋愛の対象にはならなかったんです。七年間も一緒にいるのに親友以上にはなれなくて……だから苦しくて。こんなことになるなら、最初にウケだって嘘つけば良かった……」  そう言っていたなら、今の翔宇との関係もきっと違っていたはずだ。気が合ったからこそ長年一緒にいられた。そこに愛情がプラスされていたなら、今よりもっと……。 「流星、それは違うぞ」  結城さんが俺の前髪を撫でて言った。 「七年ってことは、出会ったのは中学の時か。そんな若い時にもし付き合えたとして、その関係が今も続いてると思うか? ましてや片方が嘘をついていたとしたら?」 「………」 「親友の関係だからこそ長続きしたんじゃないのか? 中学時代の恋人と七年も続いてる男同士のカップルなんて、俺は見たことないな」  親友だったからこそ、俺と翔宇は今も一緒にいる……。考えたこともなかった。 「それから、恋愛にタチ同士とかは関係ない。男同士のセックスって、どうしてもしなきゃならないってモンでもないだろ。無理して挿入する必要はないし、挿入しないからって愛が無いわけでもない。そういうセックスがあってもいいと思うけど」  なんてことだ。  俺が長年抱き続けていた悩みを、結城さんがあっという間に解決してしまった。 「以上を踏まえた上で、流星はどうしたいんだ?」  でも、それを差し引いたとしても、俺と翔宇は結ばれない。 「……つい最近、そいつから好きな人がいるって聞かされたんです。でも俺は、そいつが誰と付き合ってても、誰とセックスしててもいいんです。ただ俺から離れてほしくなくて……。例え気持ちが俺になくても、傍にいてくれればそれで良くて……」 「うん」 「そいつがいなくなった時のことを考えると、怖くて仕方ないんです。大袈裟かもしれないけど……俺、生きてく自信もなくなっちゃうような気がして……」 「そうか。よっぽど好きなんだな」  涙を拭って結城さんの胸から顔を上げると、彼は俺の目の前で優しく微笑んでいた。 「つらいな。でも、それだけ真剣に人を好きになれるって素晴らしいことだぞ。きっと流星は今、いろんな感情と一緒に成長してる真っ最中だと思う」 「いくら成長できたって……現状がつらすぎて、耐えられないです」 「流星は充分に魅力があるし、俺は上手くいくと思うけどな? それに万が一その相手と駄目だったとしても、流星なら絶対にいい人が現れる」  それじゃ嫌なんだ。あいつじゃなきゃ、意味がないんだ。  叫びたいのを我慢して、俺は結城さんの目をじっと見つめた。 「大丈夫。絶対に大丈夫だ。流星は俺が幸せにする。彼と上手くいくようにできる限りアドバイスしてやるから、いつでも相談してくれ。もちろん、愚痴でも構わないよ」 「結城さん……」  それから俺達はしばらく抱き合ったままで、タイムリミットの一時間を迎えた。 「……そろそろ俺も会社に戻らないとな。流星、来てくれてありがとう」 「俺の方こそです。ていうか、変な話ばっかりしちゃってごめんなさい……」  料金の一万三千円を受け取るのが申し訳なかった。手を出せずに俯いた俺の鞄の中に、結城さんが金の入った封筒を入れる。 「流星の貴重な話が聞けたから、俺は満足だよ。七日、楽しみにしてる」  頭を撫でられ、頬にキスを受けた。俺も彼の頬にキスを返し、少しだけ微笑んでから部屋を後にした。  あんなに優しい言葉をかけてもらったのは、人生で初めてかもしれない。  だけどもちろん、俺の心が結城さんに傾くことはなかった。それは彼も知っている。 「翔宇……」  俺はホテルの広い廊下を歩きながら、蚊の鳴くような声で翔宇の名を呟いた。

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