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店の待機室に戻ってベッドの上で膝を抱えていると、俺の足元に置いてあったスマホが突然振動した。
『お疲れ様! ヒビキくん今日仕事?』
差出人に零の名前が表示されているのを見て、俺は動揺した。三人で交わったあの日以来、零とは一度も会っていない。IDの交換はしたものの俺から連絡はしなかったし、こうしてメッセージが来るのは初めてのことだった。
『お疲れ。俺は今一本終わったとこで待機室にいる。翔宇は仕事中』
『そっかぁ。ショーくんに連絡しても電源切れてたっぽいから、初めてヒビキくんに送ってみた!』
画面から零の無邪気さが滲み出ている。それと同時に、零と翔宇が頻繁に連絡を取り合っているらしいということが伝わってきて、俺は溜息をついた。
『今日は休みでぶらぶらしてたんだけど、もし都合良ければ二人に会いたいなと思って。でも仕事中なら仕方ないね』
少し考えた後、俺は返信ボタンをタップした。
『翔宇はまだ時間かかるけど、俺はもうあがってもいいよ。どうせ暇だし』
『ほんと? じゃあ、ご飯食べに行こ。ショーくんとは後で合流すればいっか!』
『今から駅行く。十分くらいで着く』
『りょーかい!』
画面を閉じた後、内線電話でフロントに早退する旨を伝えた。
スタッフ用の出口から外に出て、地上に続いている階段をテンポ良く上がる。店の裏側の窮屈な路地――薄暗くて陽があたらないこの道に立つと、不思議と気分が落ち着いてきた。振り出した煙草を咥えて、ビルとビルに挟まれた細長い空を見上げる。
翔宇に連絡しないと。
駅に向かいながらあれこれと考えた。零からの誘いなら、翔宇だってきっと飛んで来る。誘ってやるべきだ。だけど……
「響希くん!」
駅前広場の時計台の下で、俺を見つけた零が片手を上げて飛び跳ねた。まるで子供のようなその振る舞いに、俺は思わず苦笑する。
「ごめんね、急に」
「いいよ。買い物行ってたのか?」
零の手にはブランド物の服や雑貨の入った紙袋が三つ四つ握られていた。
「少しストレス発散って思ったんだけど、気付いたらこんなに買ってた。俺って計画性がないから」
「持ってやるよ。貸せ」
「え……あ、ありがとう」
紙袋を受け取ると、予想以上に重かったので驚いた。零の華奢な細腕で長時間これらを持って移動するのは、相当つらかったことだろう。
「響希くん、何食いたい?」
「零が好きな物でいい」
「うーん。それじゃ、暑いし近場でいっか」
駅から横断歩道を渡ってすぐのファミレスを指さして零が言った。それに同意して信号待ちをしていると、横断歩道の向こう側で暑さに顔を顰める人達の姿が目に入った。
スーツ姿のサラリーマンやベビーカーを押す若い女、幸せそうに手を繋いでいるカップル、ミニスカートを手でパタパタさせながらスマホをいじる女子高生、その細い足に見とれている中年の男。
俺はただぼんやりと、そんな七月の光景を見つめていた。どこにでもいる普通の人達だ。俺も彼らに溶け込めているだろうか。普通の人間に見えるだろうか。
「青だ。行こう、響希くん!」
零の横を荷物を持って歩き出す。俺達が売り専のボーイだなんて、すれ違う人々は誰も思っていないだろう。
誰も彼も、自分のことで精一杯なのだ。
「何にしよう」
ファミレスで向かい合ってソファに座り、メニューを広げて笑う零を見つめながら俺は煙草を取り出した。
「和風ステーキにしよ。響希くんは?」
「俺もそれでいい」
天井に向かって煙を吐くと、零が近くを通りかかった従業員を呼びとめて和風ステーキを二つ注文した。
「翔宇くん、何時くらいに来れるのかな」
テーブルに肘をついて、俺を上目に見つめる零。
「さぁな、ひょっとしたらまた予約入るかもしれないしさ」
「そしたら違う日に遊べばいっか。今日は響希くんとゆっくりしよっと」
煙草の上面を指で叩いて灰を落としながら、俺はその大きな瞳を見つめ返した。にっこりと微笑んだ零の顔は、相変わらず人形のようだ。
「あ、そういえば俺の店に雑誌届いたよ。響希くんと翔宇くんの特集組まれてたね」
「その話はやめてくれ……」
赤くなった頬を隠そうとして頬杖をつく。
「……七日の花火大会、翔宇と一緒に行くんだって?」
話題を変えるために俺が言うと、零の大きな目が更に大きくなった。
「常連さんの予約が無ければ行こうと思ってるけど、俺の常連さんて、いつも土壇場で予約入れてくるからまだ分かんないんだよ」
「仕事休んで行ってやれよ。翔宇は行きたくて仕方ないみたいだし」
「そうだね。行けるといいなぁ」
「ていうか、お前とヤりたくて仕方ないって感じだけどな」
ふと気になって、訊いてみた。
「あれから翔宇と二人で会った?」
目を伏せて頷いた零に、俺は小さく笑って更に質問した。
「ヤッたのか」
少しの間があった後、零が再び頷いた。
煙草の煙が天井へ伸びてゆく。
「あいつ、俺にはそんなの一言も言わなかったのに。なんで隠そうとするかな」
笑いながら文句を言うと、零が伏せていた視線を俺の方へ向けた。
「響希くんには、知られたくなかったんじゃないかな」
そう言った零の顔は少しだけ寂しそうだった。きっと翔宇に口止めでもされていたのだろう。
「零は翔宇のこと好きか?」
「好きだよ。響希くんのこともね」
ありがちな模範解答で答えられて腹が立ち、だから、つい冷たい口調で言ってしまった。
「俺は恋愛感情的な意味で訊いてるんだけど」
「……そういう意味なら、違うかな」
しゅんとしてしまった零を見て我に返り、即座に謝罪する。
「悪い、別に怒ってる訳じゃない。ただ、翔宇はお前のこと気に入ってるみたいだから」
すると、顔を上げた零がしっかりと俺の目を見て言った。
「確かに翔宇くんはかっこいいしすごくいい人だけど、俺達ってただのセフレでしょ。それ以上の関係にはなれないと思うよ」
「………」
「本当に翔宇くんが俺のこと好きになりかけてるとかだったら、もう一緒に遊べないかな」
零の瞳は真剣だ。
直感的にやばいと思った。俺の何気ない一言で翔宇の想いが砕かれてしまうなんて、絶対にあってはならない。失恋するのは俺一人で充分なのだ。
「……とは言っても翔宇には好きな奴いっぱいいるしさ、別にお前と特別どうこうなる気はないと思う」
取り繕うように言うと、張り詰めていた零の表情が途端に柔らかくなった。
「それならいいんだけど」
俺は短くなった煙草を灰皿で処理し、乾いた喉を潤すためにグラスへ手を伸ばした。
内心、ホッとしていた。零は翔宇を恋愛の対象には見ていない――。
そんなことを考えている自分は、やっぱり結城さんの言うような魅力のある男なんかじゃないんだと思った。
だけどそれでもいい。一度喜んでしまったものは取り消せない。
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