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* 「疲れた顔してるね。大丈夫?」  翌日午後一時、出勤した俺に向かって奥田さんが開口一番そう言った。本当にこの人は、俺の心を読むのが上手い。 「普通ですよ。それより奥田さん、詩音に聞いたけど新店出すって本当ですか?」 「まだ少し先のことなんだけどね。その時は是非、流星くんと詩音くんに手伝ってもらえたらなぁと……」 「パスしますよ、俺らは」 「そっかぁ。何か理由あるなら聞いていい?」 「だって移ったら辞めにくくなるし、俺はここの店、気に入ってるから」 「流星くん、辞めないでよぉ」  情けない声で抱きつかれ、俺は苦笑して奥田さんの肩を押した。 「詩音が続ける限りは辞めないですよ。とにかく俺らは現状維持でお願いします」 「分かった。じゃあ早めに店長にメールしとくよ」  狭いスタッフルームのデスクに座り、奥田さんがパソコンのメール画面を開いた。 「で、その詩音くんは? 一緒じゃないの?」 「コンビニで煙草買ってます」  俺はパイプ椅子に座ってその辺にあったボーイの店用プロフィールファイルを手に取り、適当に捲りながら翔宇が来るのを待った。 翔宇の源氏名「詩音」が目にとまり、ページを開いて膝の上に固定する。それは俺と翔宇がこの店に来て間もない頃に作られたプロフだった。 『詩音(シオン)二十歳 好きなもの・肉料理 嫌いなもの・虫』  思わず唇の端が緩んだ。 身長体重、アレのサイズや血液型などのプロフィールの横に、上半身裸で満面の笑みを浮かべた翔宇の写真が貼ってある。その下にはスタッフのコメントが付いていた。 『元気で笑顔が魅力の詩音くん。当店期待の新人です! 恋人気分に浸れる爽やかなトークと、ベッドで見せる大人の顔は一度味わったら癖になるかも』  Gラッシュでは新人の実技研修は無いはずだ。これを書いたスタッフは、翔宇と試したことがあるのだろうか? ふとそんな疑問が湧いて、俺は急く指で自分のページを開いた。 『クールで癒し系の流星くんは、当店でも一、二を争う人気者。プレイ中も優しくリードしてくれます。彼に全てを任せて、一緒に甘い時間をお過ごし下さい!』 「うわ……恥ずかしい。俺、クールでも癒し系でもないし……」  ファイルを閉じて元に戻すと、奥田さんがそれに気付いて苦笑した。 「面接での第一印象と、お客さんからの声をまとめただけだよ」 「あ、これ奥田さんが考えたコメントだったんですか」 「懐かしいね。二人とも、ウチ来てもう一年経つんだね」 「そうですね」 「流星くんは二十歳過ぎたばかりだったよね。店長以外のスタッフにも挨拶してて、すごくしっかりした印象だったの覚えてるよ。最近の子は礼儀知らずの子も多くてさ。面接バックレなんて当たり前だし、初出勤の日に給料前借りさせてくれとか言う子もいたしさ」  うんざりした顔で奥田さんが言ったその時、ノックも無しに突然スタッフルームのドアが開いた。 「お疲れっす。おっ、流星くん。インして早々流星くんとエンカウントできるなんて、今日は俺、ツイてるんじゃないっすか」  柴犬のような色の髪を逆立てて目を丸くさせている彼は、最近入店してきたボーイの友哉だった。今時の若者らしい、気だるそうな喋り方だ。 「お疲れ友哉。人をレアモンスターみたいに言うなよ」 「だって流星くんかっちょいいから、俺の憧れ」  言いながら友哉は壁に掛かっている鏡の前に立ち、しきりに髪型を気にしている。そのうちに彼のスマホが鳴り、俺と奥田さんがいるにも関わらずやかましい声で話し始めた。俺より二つ年下の十九歳とはいえ、社会的なマナーが身に付いていないのは考えものだ。仕事中もこの調子だったなら、客からクレームがくる場合もある。  それにしても、翔宇は何をしているのか。コンビニから店までは徒歩で五分とかからないはずなのに、一向に来る気配がない。 「遅いな、何やってんだあいつ……」  呟くと、スマホを閉じた友哉が視線を俺の方へ移動向けて言った。 「詩音さんのことすか? 外で店長と話してましたよ」 「え?」 「なんか怖い顔してたんで、黙って通り過ぎたっすけど」  俺はパイプ椅子から腰を上げ、スタッフルームのドアを開けて外へ出た。  地下一階から階段を上り、地上に出る。七月の暑い陽射しの中、そこには確かに翔宇と店長の姿があった。 「あ、流星。お疲れ」 店長が俺に気付いて手を上げる。 「店長、お疲れ様です」  翔宇は一瞬だけ俺を横目で見たが、すぐに店長に顔を戻して言った。 「お願いします。なんとかならないですかね」 「難しいよなぁ。どうしようか……」 「だってこれ、俺のせいじゃないですよね?」 「どうしたんだ?」  訊ねると、翔宇が靴底で地面を擦りながら唇を尖らせた。 「俺、明後日休み希望出してたのに、間違って中川さんからの予約が入っちゃったんだ」  明後日……七月七日。金曜日だったのか。  店長が申し訳なさそうな顔をして両手を合わせ、翔宇を拝むように言った。 「確かに詩音のせいじゃないよ。でも中川さんは詩音の太客だし、店にとっても大事なお客様だからさ。何とか予定あけられないかな」  翔宇は駄々をこねる子どもみたいに俯いて体を揺らしている。 「店長。とりあえずここだと人目もあるから、店の中で話した方がいいんじゃないですか?」 「そうだね。詩音、おいで」  地下へ続く階段を下りて行く二人が見えなくなったところで、俺は頭上に広がった真っ青な空を見上げた。  翔宇、花火大会楽しみにしてたんだもんな。 店長だって、本当は行かせてやりたいと思っているに違いない。だけど中川啓太の詩音への入れ込み具合を知っているからこそ、頭を下げてまで翔宇に折れてもらいたがっているのだろう。客からしてみれば、予約を店からキャンセルされたらそりゃあ良い気はしない。これで万が一詩音が切られたら、それはそのまま店の痛手になる。  良いことばかりじゃない。本当にその通りなんだ。 「すまない、詩音。この埋め合わせは必ずするから」  スタッフルームに戻ると、奥田さんと店長が二人で翔宇に頭を下げていた。友哉はさすがに空気を読んで、待機室に移動したらしい。  翔宇がパイプ椅子に座ってむくれながら、皮肉交じりに俺に問いかけた。 「この場合って、俺行くべき?」  翔宇の言い分も、店側の言い分も分かる。どうにか両者を納得させる解決方法はないだろうかと思案しながら、俺は店長に向かって言った。 「時間によっては行けるかもしれないですよ。何時からの予約なんですか?」  奥田さんがすぐにパソコンで顧客画面を開く。 「えっと、午後八時から午前一時の五時間だよ」  八時だと、丁度花火大会のど真ん中だ。 「なんとかスタートの時間だけでもずらしてあげられないですか」 「一時間くらいなら理由つけられるかもしれないけど……」 「じゃあ、早く連絡入れてやって下さい!」 「は、はいっ」  弾かれたように、奥田さんがデスクの上の受話器を取った。  どうして俺がここまで熱くなっているのか、自分でも分からなかった。 「響希……」  翔宇が縋るような目で俺を見上げる。 「花火大会、七時くらいからだったよな。九時から仕事なら充分見れるだろ」 「ありがと、響……流星」 「いいって。俺も七日は仕事だしさ、夜は一緒に頑張ろうぜ」  翔宇の肩を軽く叩いて元気付け、そのまま部屋のドアノブに手をかけた。 「先に待機室行ってるから」

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