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三十二

 子供は放っておけば育つという感覚があった。  そう思ってしまうのはオレ自身が両親に何かを与えられたという実感がないからかもしれない。  オレが何もしなくても両親が下鴨のために子供を立派に育てるだろう。  わかりきっていた。    下鴨として生まれたのだから男としてやってきたとはいえ跡取りを産むことは義務だ。  女性じゃなくても出産に恐怖はない。  下鴨の両性は必ず子供を産める。  それは肉体的に可能だという話ではなく、どちらかといえばオカルトだ。  母体となる両性は子供を宿したら出産するまで死なない。  子供を流産することもない。  先祖に生きているのがやっとと言われるような重病人が出産したという事実がある。  ねじまがって残された迷信かもしれないが下鴨家にとって両性の妊娠や両性が産んだ長男を跡継ぎにするのは、もはや信仰だった。    何があっても跡継ぎを産む、これは両親にずっと言われ続けていたオレの基本だ。  何かを作って賞をもらったり、勉強をして成績が良くなってもオレは褒められないし認められない。  オレの価値も役目もそこにはないからだ。    産んだ後の育てる責任はオレにはない、そう考えていたからこそ妊娠も出産も怖くなかった。  弘文は違う。  親というのがなんであるのか考えている。  どうあるのが正しいのか知っている。  オレの考えを無責任だと弘文は叱った。  もちろん、弘文が正しいと思う。  友達や仲間が多く、リーダーシップを発揮して頼られる弘文。  信頼されているそもそもの理由がどんな立ち振る舞いであっても根が真面目だからだとオレは思い出した。  弘文は正しい、常識的な人間であろうとする。    だからオレを妊娠させたら責任を取って結婚するのが当たり前。  家族になったらオレを優先するのが普通。そうなってしまう。  オレに縛られるのは弘文の本意ではないはずだ。  不自由な生活など嫌いだから中学のころに不良狩りをする不良をしていた。    次男を産んだら縁は切れるものだと思っていたオレに弘文はあたたかな家族像を語った。  その理想をオレはうまく飲みこめない。  俺が男で、いいや両性具有だからか、下鴨康介というオレという人間が子供を産んでもなお母親意識が芽生えないからか。  親である自覚はあっても母親という枠組みにオレは当てはまらない。  仮に弘文がオレを好きだというなら居心地の悪さは消えるのかもしれないが、そうはならない。  弘文はオレを好きじゃない。    愛し合っているわけではないのだから酷く惨めだ。    離婚したいわけじゃない。けれど弘文を不当に縛りつけている。オレが弘文と一緒に居たくても弘文はそうじゃない。オレが特別にはなれなかったことはわかっている。いくら一緒に居ても本当の意味で弘文はオレのモノにならない。一方的な関係に罪悪感を覚える。そのぐらいには常識もある。    予想外に弘文の祖父母がやさしくて離れがたい気持ちは日に日に強くなるし、弘文の母親の件を聞いて身動きが取れない。  

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