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三十四

 弘文はなんだかんだいって言動に説得力がある。  間違ったことをしているようには見えない。  いつだって弘文は正しくて意思が固くて強い。    でも、弘文はそれだけじゃない。  完璧で大人に見えた弘文がオレの前ではただの短気な一つ上の男でしかなくてそれがいつだって面白くて仕方がなかった。ときに弘文の言い分が独善的で暴力的あっても気にならない。頭を叩いてきたらそれこそ弘文の白旗だ。オレを制御できていない。    オレを手のひらの上で転がせていたのならもっと余裕を持つだろう。だが、できない。オレは弘文を困らせて振り回してそれでも嫌われない。特別にオレだけわがままが許される。  オレの弘文をオレだけが引き出してオレのモノにしている。  毎日とても気分が良かった。楽しかった。  そんなふうに思い込めていたころは充実していた。今だって思い込めているときは楽しい。  弘文が真実オレのものならその一生すら手に入れたって構わないのかもしれない。  離婚なんて馬鹿馬鹿しい。手に入れた弘文を手放すなんてもったいない。    オレの中にある忘れられない好き勝手やって幸せだった日々の記憶とそれをひっくり返された苦い思い。    弘文は独立した人間でありオレのモノじゃない。  オレとは関係なく生きていく弘文を理解したくないその気持ちを持て余し続けて、破綻する。お腹の中にいる三人目が女の子だと教えられて病院から家に帰れなくなった。理由はそういうところにある。  いつに終わるのか分からない生活。  けれど、終わりがないわけもない日々。  幸せは最悪の形でぶち壊されるに決まっている。  オレが産んだ男の子をそれぞれ下鴨と木鳴に寄った形で教育していくのはわかる。    それならお腹の中の女の子はどうなるのか考えて「いらない」扱いを受けるのかと思ったらゾッとした。    オレがその可能性を思い至ったことが怖かった。  差別はその知識や意識がなければ話が始まらない。  男でも女でもコドモはコドモと思っていたらお腹の中にいる三人目は三人目だった。    けれども、弘文をはじめ誰かが喜ばない可能性を考えた。  そんな酷いことを思い描いてしまえたのは誰よりもオレが女の子を喜ばなかったからかもしれない。  人の親になる意識が足りないとは弘文に言われたのは一度や二度じゃない。  オレに弘文のようなコミュニケーション能力はない。    長男と次男は手がかからなかった上にそれぞれの家の後継者ということで親戚一同で面倒を見ていた。  各家にはその責任があった。    三人目である女の子は違う。  育てる責任は産むオレにある。  誰の手助けもなく誰にも望まれなかった場合、オレは彼女を救えるだろうか。  想像は恐ろしく怖くて怖くて仕方がなくて家に帰れるわけもなかった。  弘文が少しでも拒絶したらお腹の子よりも先にオレが死ぬと思った。  結局は弘文が迎えに来てくれて女の子を歓迎してくれたし、長女である弘子はすくすく育っている。    オレの不安は妊娠による情緒不安定として処理された。  出産後に体力が戻りきる前に妊娠したのが原因ではないかと言われた。  人体の不思議は完全には解明されていないし、オレの身体は両性なので普通の範疇ではないかもしれない。  結局、不安の原因はつかめない。  唐突に泣きたくなるのは妊娠のせいなんだろうか。    大学が落ち着いたのか弘文は長男次男以上に長女である弘子の育児に乗り気だった。よく泣き喚いて手がかかるからかもしれない。    子供の相手も家事も何もかも弘文は涼しい顔をしてこなす。  弘文が意外と子煩悩だったのは家族になれたから知ることができた事実だ。    子供たちからすれば最低かもしれないが、今まで知らなかった弘文の姿を引き出すことができただけで生きていてよかったと思った。  オレが生き続けていなければ子供も生まれてこなかった。    弘文に殺意をこもった目でにらまれていっそ死のうかと思った過去が遠い。  一族とか家族とか子供とかこれから先の将来とかそんな話でもなく自分の知らない弘文を見れたそれだけのためだけに生きてきたのだと娘を抱きながら感じた。  つきものが落ちたようで気分はとてもすっきりしていた。  けれど、我に返るように現実を思い知らされる。  それは忘れようにも忘れられない、あの転校生のことだ。

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