43 / 192
四十三
体調や気分が落ち着いたときに弘文に損をさせているとか弘文が嫌々オレと一緒にいるんじゃないのかと考えてしまう。
弘文がオレのことを好きなら遠慮することもない、けれど弘文はオレが好きじゃないという。
好きじゃないくせに結婚している意味を考えると子供がほしいから以外にない。
それなのに弘文はオレ以外と子供を作る気がないっていうから、さっぱり分からない。
「弘文の考えはさっぱりだけど結婚がお得なのは分かったし、弘子に心配かけたのも分かった」
「心配っていうか……弘子にとって俺は『康介と一緒にいる』ことに価値があるからなぁ」
「あぁ、コウちゃんと一緒じゃないヒロくん嫌いって言われたんだ? 弘子はセット主義者になってるな」
オレのせいで娘に嫌われていると言っていたのはこれなんだろう。
浮かれていたオレは弘子に中学のころに弘文がどれだけ格好よくオレを助けてくれたとか毎日どうやって過ごしていたのか語った。
弘文の祖母にいろいろと聞かれたりして口を滑らせた。
オレの知らない幼い弘文の写真をくれるというから仕方がなかった。
妄想というかオレのフィルター越しの美化された弘文なので実際の過去とは違う。
それでも口に出していると弘文はオレのものだと感じてうれしかったので延々と「あの日の弘文」として弘子に吹き込んでいた。
「弘子のキレっぷりは逆に便利だからいい。どうせ俺が弘子に嫌われることはないからな」
娘に嫌われていると言ったり嫌われることはないと言ったりと、よく分からない弘文。口が上手いので弘子を簡単に丸めこめるということだろうか。
オレも今、また言い負かされている。誤魔化されようとしている。
弘文と目線を合わせようとしゃがもうとすると手を引っ張られてソファに座らせられた。
お腹の子のことを気にしているのか膝かけもくれた。
こういうことをさり気なく当たり前にするからオレを勘違いさせると弘文は気付いていない。
昔からオレに「近づくな」とか「ついてくるな」とか「危ないから裏路地に入るな」と言うくせに絡まれたら助けてくれるし、くしゃみしたらマフラー貸してくれるし、コートの中に入れてくれたり、あったかい飲み物をくれる。
あの頃のオレは弘文にとって特別な存在だから自分を弘文が甘やかすのは当たり前だと思っていた。
自分だけが弘文の例外なのだと思って充実した毎日を送っていた。
これから、そうではないと改めて現実を教えられることになってもオレは聞くしかない。弘文が話そうとしているので耳をふさげない。
「それで、オレが弘文のハーレムを壊したから何だって?」
「いちいちバカみてぇなことを……俺はチームの人間には手を出さない。男は当たり前に範疇外だし、女でも仲間という括りのやつには何もしない」
弘文はチームのトップだから女を食い放題ということはない。
上に立つからこそ規則正しい真面目くんだ。
女と見たら襲い掛かるケダモノに「男の風上にも置けねえ」と殴りつけていた。
ときどきオレも「女じゃなくてもコレでいい」と言われて絡まれるが放っておくことなく蹴り飛ばして助けてくれていた。とくに格好いいセリフはなかったが助けられて嬉しかったので気にしない。
「弘文のマイルールは知ってる。けど嫌なものは嫌だった、から……でも、今はしない、してないからいいじゃんか。弘文の方が根暗だ。昔のことをいつまでも」
なんとかオレは反撃の糸口を見つけた。
オレばかりが引きずっているわけじゃない。
「言いたいなら言え。お前が言わなくてもどうせ弘子が言うだろうから、どっちでも同じだ。娘がキーキー言ってるのが嫌ならお前が先に言え。弘子は賢いからお前の言葉を邪魔しない」
わかっている。
オレが殺した言葉を弘子が代わりに発してくれている。
思い過ごしじゃない。
弘文が帰ってこなかった夜、捨てたみそ汁を弘子は知っていた。
スマホをみそ汁に入れて壊したことを弘文は何も言わなかった。
問いただされるべきなのに聞かれなかった理由は一つだ。
弘子が弘文のせいだと責めたのだ。
あの日から弘子は中学のころのオレを演じている。
オレがもう、何も言えなくなったと察してしまったのだ。
娘の変化の理由が自分の弱さだとオレは認めたくなかった。
誰にも相談できるわけがない。
「俺は康介の言葉を聞く」
嘘つきと言いたい。
いつも聞き流しているくせにと悪態をつきたい。
「俺の言葉を嘘だと思うか」
「嘘でも、やさしいほうがいい」
「俺の優しさを感じられなかったお前がバカなだけで俺は何も変わってねえよ。最初っからずっとこうだろ。嘘じゃねえし」
さっき引っ張られた耳を指先でなでられる。
やさしくないと不満を吐き出したくせにオレは弘文が世界一やさしいと思ってる。
弘文の言う通りバカなのかもしれない。
何も解決していないのに弘文に見つめられるだけで幸せだ。
自分の矛盾がよくわからない。
ともだちにシェアしよう!