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四十九
苛立ったオレはひざ掛けを弘文に投げつけた。
思い出すと怒りがわき上がる。
聞き逃そうとしていた言葉がオレに張りついている気がしてひざ掛けを振り回してしまう。
「やめろバカ。バカの一つ覚えか、ばかっ」
人をバカバカ言いすぎだ。
弘文は何もわかっていない。
咳き込むオレの背中をなでながら「暴れるなよ、頼むから」と呆れる弘文は事態を軽く見ている。
「オレのこと好きじゃないって言った」
弘文はオレを好きじゃない。
転校生が特別じゃないと言われても納得できない。
元々の仲間だから、ポッと出の他人じゃないから仲がいいのだと説明されてもオレの気持ちは浮上しない。
それは弘文がオレを好きじゃないからだ。
転校生が、包帯にいさんがその他の人と同じだと言うならオレはなんなんだ。
弘文に好かれていないオレは一体どうすればいい。
結婚して子供もいてもオレは全然まったく弘文を手に入れられていない。
本命が別にいるなら、弘文がずっと隠しているなら、それが原因だ。
知りたくはないけど、そう思わないと弘文の考えが理解できない。
「お前こそ俺のこと好きじゃないって言うくせに」
苦々しく弘文が吐き出した言葉に処女を散らした日を思い出す。
何度も何度もオレは訴えた。
弘文のことを好きじゃないと口にした。
それは嘘じゃない。本心からの言葉だ。
あの場から逃げるための誤魔化しじゃない。
オレにとって弘文は好き嫌いの枠の中にいない。
生きていくための前提だ。
「オレのことは今は関係ない」
今はオレの考えなんてどうでもいい。
本命がどこにもいないなら弘文はオレに好きだと言うべきだ。愛していると言って抱きしめてくればいい。
仕方がないから便宜上そういうことにしておくなんていう曖昧なものは許さない。
きちんと答えを出してもらいたい。
「弘文の浮気が子供に与える影響について話をしてる。どうなんだよ、答えろ理想の父親さん」
「浮気なんかしたことねえって言ってんだろ!! 話題をループさせんなっ」
オレにつかみかかってくる弘文。
勢いで誤魔化す戦法だ。負けるわけにはいかない。
「転校生の正体が包帯にいさんで、自分たちのせいかもしれないことで進級できなくなった包帯にいさんに弘文含めてみんなが優しくしたとして、それを知ってオレの気分がすっきりするとでも思ってるわけ? どうかしてる」
オレの頭をつかんでゆすってくる弘文。
あごをつかんで口を開かないようにして会話を終わらせる気だ。弘文は卑怯だ。
「お前の頭がどうかしてたのを忘れてたっ」
「オレの頭がおかしいならそれは弘文がおかしいからだ。オレの頭の中に弘文しかないんだから、オレがおかしいのは弘文のせいだ」
「お前がなにを考えて尻軽なのかの謎も含めてさっぱりわからんがお前がバカなのだけはよくわかった。わかってた! ってか、なんなんだその、牛が草を食べてるから牛を食べれば野菜を摂ってるようなもの理論は」
弘文はすぐにオレをバカにするが弘文もバカだ。
「それは子供には通用しないから。ちゃんと牛は牛、野菜は野菜だって話してる」
「じゃあ康介の頭の中は康介だ。俺じゃない。……いいや、そうかお前が思う、俺か」
自分でもオレはバカかもしれないと思うことはあるが愛のない結婚はおかしいというオレの主張に間違いはない。
オレたちは結婚する必要なんてなかった。それなのに結婚したのだ。
弘文なら誰でも他の人を選べたはずなのに。
「仲間とは恋愛しねえ。だから、会社の社員はみんなあの頃の知り合いや仲間だ。浮気の可能性はない」
「おっさんたちも?」
「……仲間の親父とかが定年だったりリストラされたりで手が空いてたからな。女は既婚だし男でその気があるやつは俺がお前と結婚してるのを知ってるから向かってくるやつはいない」
「自分が浮気しないような会社を作ったって聞こえる」
「結果的にそうなった……ってか、そのほうが康介は安心するだろ」
出会ったころから知ってたけど弘文は格好いい。
格好いいからモテないわけがない。
でも、弘文に格好悪くなってもらいたいわけじゃない。
「弘文はいつも格好いい要素しかない」
「そうだな」
オレの言葉を当たり前だとうなずく弘文の姿に噴き出す。
昔からずっと変わらない弘文が目の前にいる。
きっとオレが知らずにいたのは弘文じゃない。
見たことのない弘文がいることにショックを受けたけれど本当のところオレが知らなかったのは弘文以外の周囲のことだ。
間接的でもオレに理由があって転校生というか包帯にいさんが不利益をこうむった。
包帯にいさんはオレを責めないだろうし弘文だって周りだって何も言わなかった。
オレの世界の中心が弘文だけだからこそ放っておいても構わないと思われていたんだろう。
素直に謝罪やお礼を言うわけもないからきっと弘文を取り上げることがオレにとっての罰で復讐だったんだ。
オレが副会長として孤独に生徒会室にいた時間は何も気づかず誰との関係も築かなかったオレへの因果応報。
周りの人間とコミュニケーションを取ってこなかったから、誰もオレが包帯にいさんに気づいていないことも気づかなかっただろうし、鬱々としていたことを心配されなかった。
突如現れた転校生に周囲が構いきりになるのは何も知らないオレから見たら異様な空間でしかなかった。種明かしをされれば弘文が身悶えるのも分かるように馬鹿馬鹿しい。転校生が包帯にいさんだとわかれば学園の外での風景と何も変わらない。包帯にいさんに対して弘文は年上なので相手に対して一歩引きながらも付き合いが長いので気易い感じだ。
「お前がバカで薄情なのは今更だし、俺を好きで好きでたまらねえっていうのは分かったからいいや。いいってことにする」
「好きじゃないってば」
「俺のこと好きだから浮気を疑ったりするんだろ。いい加減、俺を好きじゃないって嘘はやめろ」
オレを殺しそうなほど強い視線を向けてくる弘文。
お腹に子供がいなかったら殴ってきたかもしれない。
そんな危機感をあおられるほどに怖い顔だ。
けれど初めてこの表情を見たとき、処女損失以外は痛い思いはしなかった。
視線の強さが怖かったけれどよくよく考えると弘文の行動は紳士的かもしれない。
子供を認知して育児にも率先して参加するしジグソーパズルとレゴブロックばかりのオレよりも立派な父親だ。
「弘文は格好いいし気が遣えるモテ要素しかない」
「そうだな」
「だから、知らないところで子供たちに兄弟が増え……」
「増えねえよ! 俺の精子はお前を受精させるためにしか活動しねえって言ってるだろ」
すごい言葉を真面目に口にする弘文の肩にもたれかかる。
こうすれば弘文の表情は見えない。
見てないから弘文に睨まれていないことにする。
これは妥協かもしれない。
「離婚はしません」
「あぁ」
「子供は産みます」
「あぁ」
「浮気はさせません」
「あぁ」
今回の話し合いをまとめるとこんな三つの言葉で終わる。
この当たり前の結論を出すためにどうしてオレたちは遠回りするんだろう。
「弘文は……それで平気?」
あぁとは言わずに頭にぽんっと軽く手を置かれた。
わからないわけがないだろと言われている気がして泣きたくなってくる。
「結婚してよかった」
オレのうっかり出てしまった言葉に弘文が鬼神のような顔つきになっていたのを知るのは次女を出産してしばらく経ってからだ。
弘文は結構根に持っていたのか「今更かっ」と一年弱待ってのツッコミを入れてきた。
ツッコミというよりも突っ込まれた。
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