100 / 192
番外:下鴨家の人々プラス「海問題21」
久道視点。
ヒロと弓鷹くんが対峙しているのを見て弘子ちゃんは「うむ、十全(じゅうぜん)なり」と頷いた。
猫耳がかわいいので尻尾もつけたいけれど、これから山に入るので邪魔になる。
もちろん猫耳だって木の枝に引っかかる可能性はあるが、何かあったとき用にGPSをつけているので頭につけなくても持っていてもらいたい。
これから行くのは人が遭難するような険しい山ではなく、登山に慣れた人なら巨大な丘と称するそんな場所だ。
人が手入れをしていない自然のままの森の姿は写真を撮るのに面白いものがあるかもしれないが、同時に思わぬ危険だってある。
毒のある動植物や蛇や虫はいないらしいが、瑠璃川の言い分を全面的には信じられない。
瑠璃川が信用できないというよりは、真面目ぶって抜けているというか真面目系クズというやつだ。
本人のその自覚はないが真面目に生きている顔をしながら、ここぞという時に真面目さを発揮しない。
本当に真面目でいい奴なら康介くんを生徒会室で放置するようなことはしない。
説明も何もなく当時の生徒会役員たちは生徒会室に来なくなった。少なくとも康介くんの認識はそうなっている。
これは紐解いてしまえば馬鹿馬鹿しいのかもしれないし、悪意しかないのかもしれない。
当時の役員あるいは前期の役員にあたる誰かが康介くんに連絡義務を怠ったのだ。
そうでもなければ仕事を放棄して転校生と遊びまわる姿を生徒たちに見せるなんておかしい。
康介くんのせいで人生を棒に振ったんだから罰として生徒会の仕事を一人で処理していろ、と。
そう伝えるはずだったのだろう。あるいは伝えても康介くんには理解できなかったので忘れたかもしれない。
ともかく、ヒロからしたらこれは妥当な落としどころに感じたはずだ。
ヒロは康介くんを手放す気が最初から最後まで一切なく、仲間として作り上げた人間関係も崩したり蔑ろにする予定がなかった。俺のように残らずまとめて捨てるようなことをヒロはしない。俺が絶縁して連絡をシャットアウトした連中すらヒロは自分のチームの中に飲みこんでいる。
「ひーにゃんはお気づきであろうが、コウちゃんはわがままではないのです」
ヒロと弓鷹くんのやりとりを見守ることなく弘子ちゃんは歩き出す。
どこに向かうのか分かっているからこそ心臓が痛くなる。彼女は俺の想像を超えていた。
「ヒロくんに叶えられる、ヒロくんなら叶えてくれることしかコウちゃんは口にできないのです」
康介くんがわがままというか勝手気ままなのは発言のタイミングだ。
発言の内容自体はわがままにしてもかわいいものばかり。
ヒロの食べているものを一口くれとか、自分が食べきれないから半分食べてとか、願いなんて言い方が過剰なぐらいにささやかな小さな頼みごと。叶えられないはずのない望み。
ヒロからすれば「今それを言うのか」というタイミングのせいで康介くんが周囲を見ていないと叱られる。
康介くんにとってヒロとヒロの周囲の会話に価値がなかった。どれだけ彼らが重要だと思う内容でも康介くんからすれば、低次元の不良の罵り合いにしか見えなかっただろう。ヒロがわざわざこの話に参加して相槌を打つ必要が理解できなかったので彼らをうるさい虫の羽音と判断した。人の言葉を遮ってヒロに声をかける康介くんの心中はこんなところだろう。
実際、当時のチームのやつらがヒロにとって重要だとか、ヒロの今後に関わらる話題を持ってきたことはない。あいつらはヒロに構われたかったのだ。なんでもいいから会話のタネにしたかった。日常的な業務連絡でもヒロとの会話が死ぬほど大切でヒロから声をかけられることを日々の楽しみにして、一日の糧にしていた。
康介くんもその気持ちが分かるはずなのに妨害していた。
その行動は喧嘩を売っていると思われても仕方がない。ヒロの声を求めるヒロからしたら重要度が低いやつらから嫌われないはずがない。
ヒロは康介くんの反応を呆れたり困ったり馬鹿にしたところで嫌っていなかった。
それが全ての答えなのにチームの一部のやつらは受け入れなかった。
そばに居るのに延々とチームの人間とばかり話すから康介くんが拗ねているのがヒロにはわかっていた。ヒロからあおることすらよくあった。康介くんがチームに馴染めないのも、馴染む気がないことも本当の意味では気にしてない。自分に馴染んでいたからヒロにとっては他人事だ。拗ねたり癇癪を起こす康介くんを見て笑うヒロは悪趣味だが分かりやすい。
木鳴弘文だった頃のヒロは自分を持て余していたのかもしれない。
分かっているはずなのに分からないものが多くて常識的な言動を心がけた。
子供の集団とはいえ、組織の上に立ってしまったら必要なことだろう。
破綻した言い分、矛盾した発言を繰り返すような人間についていくのは頭がおかしい奴だけだ。
たぶん、昔の俺は頭のおかしい奴に好かれるバカ代表だった。
自分の気持ちを正しく伝えられるだけの語彙力がなかった。感覚で通じ合えるやつかヒロみたいなちょうどいい距離で放っておいてくれるやつじゃないと人間関係が築けない。
笑って受け流すことを覚えたのは高校になってからだ。それまでは散々失敗していた。
康介くんに出会って数年、俺もヒロもまだ自分というものを作り上げきっていなかった。
自分がどういうものなのか一番把握していたのはきっと康介くんだ。康介くんは中学どころかそれ以前から決めていたはずだ。何を決めていたのかは俺も分からなかったからこそ康介くんは不思議な子だと感じていた。
人が話していたら割って入らないのは常識だ。ヒロと誰かの会話を邪魔するように声を上げる康介くんは非常識。それはその通りだし、ヒロの主張にいつだって間違いはない。ただ、チームのやつらは勘違いし続けていた。ヒロの気持ちはヒロの主張や常識とは違う。
ヒロはべつに康介くんが非常識で嫌な奴だったとしても構わない。気にしてなかったからこそ腕を組まれても膝に乗られても許していた。チームのやつらは迷惑行動をする康介くんを拒絶しきれないヒロを優しいと思っていたようだが大間違い。
ともだちにシェアしよう!