107 / 192

番外:下鴨家の人々プラス「海問題28」

下鴨康介視点。    結婚というのが実のところ結構いいものだというのは最近わかり始めてきた。  昼過ぎに公園で顔を合わせる人たちが指輪のことをオレ以上に喜んでくれたからかもしれない。  若い父あるいは母と見られていて子供の育児について対等な目線で言葉を交わす。    世代に関係なく子供という話題を中心にして時間を共有できることが最初はとても不思議だった。    よくよく考えてみれば弘文の周りを取り巻いていた人間たちは、みんな弘文が好きだったり自分を許容してくれるあの空間に居心地の良さを覚えていた。溜まり場の空気はオレにとって綺麗なものじゃなくて好きでここにいる人間は漏れなくどこかおかしいと感じていた。    薄暗くてよどんだ場所よりも明るくて清潔な場所の方がいい。  弘文が自分の会社の人間たちにあの頃のやんちゃ仲間を引きこんでいるのはそういった面もあると思う。  放っておいたら犯罪者に成り下がる人間を真っ当な道に配置し直しているのだから、弘文は優しいし、しっかりしている。  他人への優しさがオレにあまり向けられないのは、自業自得なんだと今はちゃんとわかる。  転校生から受けた衝撃からオレは自分を振り返って反省したけれど、あれは表面上の自己嫌悪でしかない。    公園に行けば連絡先やフルネームを知らなくても交流できる人たちがいる。  彼女たちはとてもオレに好意的で深弘と日向ぼっこするようにベンチに座って鯉を見ていても邪魔しないし変だと言わない。  オレが口を開きたいときに話題に参加してくれればいいという顔をする。    人を尊重するというのはこういうことなんだろうと弘文を思い出す。  同時に彼女たちが誰であるのかも分かった。  全員ではないかもしれないが、数人は確実にオレに嫌がらせをしていた人たちだ。  正確に言うなら弘文を狙っていた彼女たちとオレはたびたび衝突して敵対関係になっていた。  度重なる嫌がらせの文句を数年越しに口にしたら謝られつつ、責められつつ、会話の糸口が欲しかったとも言われた。    悪意ばかりではなかったのだと気分が少し楽になりながら、悪意がなければありえないこともあったと腑に落ちない気持ちになる。    平日にほぼ毎日顔を合せているとオレはまた自分の勘違いに気づく。  オレの昔を知るような彼女たちはどちらかと言えば弘文よりも久道さんが好きだった。  正体がバレたことで気が抜けたのか当時の愚痴がぽろっと出てくることがある。  それを総合するとオレは久道さんを弄ぶクズであったらしい。  チームのツートップをはべらせて我が物顔な美少年なオレ。幹部たちもそれを容認する傾向にあった。  腹を立てて「このぐらいなら」と嫌がらせをされたのも今ならわかる。  二人っきりになったときに「あたしの友達になったらあいつら黙らせてやんよ、って言ったのに無視すんだもん」と何人かに不満を言われた。当時、全員が全員嫌がらせをしていたというよりも知っていながら傍観していた人間が大多数なのかもしれない。オレから何のリアクションもないから味方になろうにも動けない。    そんなこともオレは分からなかったし、見ていなかった。  弘文はずっと分かっていたからこそオレに周りを見ろと繰り返し言っていた。  仲間とか友達とかそういったものが弘文にとって価値があってもオレに関係ないことだと思っていた。  オレには仲間も友達もいないから。    彼女たちの言葉を素直に受け取れたのは弘文がオレのケータイで撮っていた子供たちの写真を褒めてくれたからかもしれないし、一緒にいた深弘をちやほやしたからかもしれない。弓鷹の目元が久道さんに似ているとわくわくした目で見られたが、弓鷹は木鳴の家を支えるために生まれているのだから弘文成分がなくてどうする。    久道さんが買い物帰りに公園に立ち寄ってオレと深弘と三人で帰るので子供たちの中の誰かは久道さんの血を受け継いでるか本気で旦那が久道さんなのではないのかと、からかいや冗談か見分けのつかない温度で話題を振られる。    指輪や弘文の写真を見せると納得だけではなく、ちょっと感動して泣かれた。    大なり小なりオレの近状が気になっていたからこそ、公園で何も知りませんという顔で「はじめまして」の挨拶から付き合いが始まった。中にはチームに関係しない人もいただろう。でも、全員が全員とも一家団欒の写真なんかを見て「幸せでよかった」と微笑んでいた。    オレの幸せというのはオレの口から語られるものでは伝わり難いらしい。  オレの気持ちというのはオレの言動からではくみとるのが難しいという。  そんなことすら彼女たちの反応を見るまで知らなかった。    学生時代に弘文に散々指摘されていたので聞き覚えはあるが、聞き流し続けていた。  失礼なのだとすら思うこともなかった。    弘文以外の他人に価値を見いだせなかった。  それがあの当時のオレであり、同時に振り返るともう一つの事実も浮き彫りになる。  オレはオレに価値を見いだせなかった。    下鴨の両性ならオレという人格がなくても構わない。  何も考えない人形と下鴨康介は何も変わらない。  下鴨という家にとっては価値は変わらない。  十数年生きていて作り上げたオレの中身は必要ない。  育たせる気もなかったので中身は、からっぽ。  作り始めたのも育ち始めたのも弘文に会ってからかもしれない。    自分の気持ちが分からないから他人の気持ちを理解せずに簡単に踏みにじれる。  好意で伸ばされた手をつかまない。  嫌悪の視線も気にしない。    弓鷹が「コウちゃんは困ったさんだけど、ヒロくんはそんなこと分かってて一緒にいるんだよ」と嘘偽りない言葉を口にする。子供に嘘をつく知恵がないわけじゃない。弓鷹は弓鷹に見える事実を口にする。とても優しくてあたたかで甘い世界。    オレがオレであるからこそ生まれたものを見せつけられるようだ。     「弘子、なにしてんだ」      土下座している男の頭を踏みつけていた。  昔に弘文がよくやっていたやんちゃな行動だ。  さすがは弘文の娘。   「小さな女の子に虐げられるのがお好みの変態二号を捕獲しました」 「変態じゃないっ! 自分の娘と戯れたかっただけだ!!」 「誰がてめーの娘だっ」    弘子の言葉に首を横に振る男を弘文が蹴り飛ばした。  男の頭に足を乗せていた弘子の体勢が崩れるのを久道さんが支える。    鈴之介に寄り掛かるようにして寝ている深弘とそれを見守る弓鷹という三人の静かさに比べていつも通りに弘子周辺は騒がしい。   「コウが産んだならそれは俺の子だろ」 「黙ってろよ」    弘文がめずらしくピリピリと殺気立っている。  久道さんが弘子を連れてオレの横に並んだ。   「覚えてないだろうけど、あれ」 「残飯だろ」    解説しようとする久道さんを遮る。  バンダナにサングラスというそれだけならどこにでもいそうだが、オレの写真をバンダナの柄にしている。  いくらなんでも間違えようがない。   「コウっ!!」  自分を分かってくれたことが嬉しかったのか万歳をする。  今日は同窓会か何かなのかと思いながら「残飯処理係」と呼びかけるというより弘文と久道さんに同意を求めたが二人からは信じられないものを見る目を向けられた。    弘文が「弘子よりひどい」と口にしたが、そんなわけない。  オレは人を物理的に踏みつけたことなど一度もない。

ともだちにシェアしよう!