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番外:下鴨家の人々プラス「海問題38」

ヒナ視点。    人間が多くなればなるほど管理は大変になるが、逆にそいつは相互監視の小さな社会を作り出した。集団の中にある更に小さなまとまりから状況や流れを把握していく。泥や木くずなどの異物を弾くためにあえて石や綿を混ぜ込むようなことをする。    彼がそいつの隣にいたことは、そいつにとって集団への刺激以上の意味はない。特別な感情などなかったはずだ。少なくともそいつに予告なく殴られるまで俺はそう思っていた。人の気持ちは外からでは分からないと拳の重さに驚くことになるが、たぶん嬉しかった。    そいつの口にする綺麗事や正論はそいつの心の中にあるものじゃない。そうであればいいという願いですらなく、彼が肉であったのに微笑んで会食を優雅に済ませた機能と同じ。経験で培っているだけの常識だ。    彼が肉であったなら、そいつは歯車であることを選んでいた。  きっと自分が抜け落ちたら崩壊する世界を作ることで憂さ晴らしをしようとしていた。    そいつはそいつを中心に自分の周囲の人間たちの世界が形作られるように仕向けていた。そいつにとって、ろ過されて、口にするべき水とはそういった人間たちだ。そいつの体の一部になることすら受け入れる人々を愛して作り上げていた。自己愛の延長線上であると同時に世界に対する復讐だろうと感じる。    まともな神経の持ち主なら自分の組織に不穏分子を入れたりしない。壊れるか壊れないかの観察をしている。俺が世界に期待して裏切られたことで世界を嫌うという八つ当たりをしたこととある意味で似ている。俺は期待に応えてくれないと見限ったからこそ世界を嫌うことになっていたが、そいつは試し続けていた。自分の求める純度の人間がいるのか、作れるのか探して試していた。    普通なら彼に求められたらそれだけで有頂天になるだろうし、恋愛物語ならハッピーエンドの結末だ。    そいつは彼を含めて世界を疑っていた。彼から手を伸ばされても素っ気ないのは、彼がどれだけの強さで自分をつかむか、どれだけの長さでそばにいようとするのか。そういったものを無自覚にか測定していたからだ。    そいつをある程度理解している人間たちは答えが分かっている問題に二の足を踏むそいつをからかっていた。    ただの集団ではなくそいつが仲間と定義している人間たちは、そいつの根本的なところが人間としてどうであっても認めていた。飲み水を自分で探しに行くのではなく泥水の中から選別していく気の遠くなるような作業は功を奏している。そいつはきちんと理解者という仲間を手に入れていた。    学園の繋がりだけでは手に入らなかっただろう人材を手元にそろえて、そいつは世界を広げていく。彼は逆にそいつにだけ世界を絞り込んでいた。そこに置かれているだけの意思のない肉ではなく人間なら当然かもしれない。誰かに執着したいという気持ちはマイナス方向には作用しない。    彼は芽生えた自意識に振り回されるのではなく大いに楽しんでいた。青春を謳歌するという表現が年齢的にも行動としても似合っていた。俺は自分の行動を保留にしたまま街の中で起こることを見続けていた。    俺の趣味を観察だと勝手に勘違いした人間たちが事細かに毎日、彼や街の様子を教えてくれる。便利なので追い払う理由もない。貢ぎ物なのか常に飲食物が用意されていた。飲み終わった缶やペットボトルを下を歩く通行人にぶつけていたら飲みきりサイズの紙パックに変更された。意外と常識人がいるらしい。      彼に危害を加える提案をしてきた人間が血だまりに沈むのを見ながら時が来たのを悟った。予定していた以上の泥水が注入されて浄化装置の処理速度と噛み合わなくなった。あふれる泥水は装置自体や綺麗にした水を汚していく。破綻していく姿は集団の崩壊として悲しいことかもしれないが、そいつの中に悲しみも切なさも見いだせなかった。    こうなると思っていたとでもいうような、そいつの立ち振る舞いに一定の敬意を払いたくなる。  手をかけ、愛でたところで、こんなものだという世界への見下しを感じないわけにいかない。  そいつは彼を隔離させていた。たとえば自分の腕の中や長い付き合いの友人の隣。この世で一番安全でなければならない場所にそいつは彼を置いていた。    例外はたぶん廃工場。    これすら、俺を釣り上げる罠である気がした。  まずい飲食物として海外でも有名ないくつかを日替わりで手にして彼はひとり困っていた。  彼は最高の肉になるために贅沢を極めた生活をしていただろう。ファーストフードやスナックなどという、ごくごく一般的な食べ物すら口にせずに生きてきたはずだ。    普通の人間からした度胸試しのジョーク品でも彼からしたら劇物だ。  口に含んだものの飲みこめず涙目になって震えていたりする。    かわいそうなことに半分以上が彼がかわいそうな状況にあることに満足していた。嫌われていたというよりも食べたくない飲めないと苦情を申し立てる姿や飲みこめずに身悶えている姿に様々な感情が刺激されるからだ。    罪悪感を覚える者、庇護欲をそそられる者、溜飲を下げる者、それぞれどれだけの比率であるのか測定は難しい。人の気持ちは雨雲のようだ。想像も予想もできるが実際のところは通り過ぎて見ないと正確な降水量は算出できない。終わったことを振り返って理由をつけていく。    彼が持て余しているものを貰い受けながら人間らしい彼の不満に耳を傾ける。  チーム同士の抗争という殺伐とした空間に参加させないための措置だと彼はどこかで気づいていたが、それはそれとしてやり方が陰湿だと愚痴る。  

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