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「海問題 久道にとっての現実と真実2」
たとえば、いろんな物語でたびたび登場する楽園の問題。
蛇にそそのかされた人間は知恵の実を食べて神の怒りに触れて楽園を追放される。
この蛇はサタン、魔王であると言われている。
けれど、蛇に悪意はあったのだろうか。
何も知らずにいる相手に知恵をつけさせたのは悪いことだろうか。
楽園から追放されたのではなく、知恵をつけたことで人間は神の作った楽園から出ることを選んだのではないのか。
様々な解釈により、このエピソードは目にするのだが、蛇の気持ちがどこにあるのか俺は未だに決めかねている。
ヒロは善意だと思っている。だから俺は疑うべきだ。
俺とヒロの関係が普通の友人同士とは違うのはこういうところだろう。
全部悪いのは俺だ。
俺から始まっている。
俺から始めたのだから、終わりにするのも俺からじゃないとおかしくなる。
居場所がないと泣いた俺にヒロは簡単に「じゃあ、俺の補佐をよろしくな」と自分自身を投げてよこした。木鳴弘文の優しさは自分自身への薄情さから来るのかもしれない。
俺が判断ミスをしてヒロが怪我をしてもヒロは何も言わない。ヒロが信じているのは俺ではなく、俺を信じた自分だからだ。俺のミスはヒロの判断ミス。それは今も昔も変わらない。同時にヒロがそうやって自分を投げつけたのは俺だけじゃない。
居場所のない人間たちに自分のそばという居場所を与えたのが木鳴弘文だった。
出会ってすぐに相手や敵対する喧嘩相手を信頼するヒロ。
これは飴と鞭とか北風と太陽とか怖い刑事と優しい刑事とか敵と友とか、そういった効果を狙っている。
一人じゃできないことをすることによって俺に居場所を与えている。
俺は自分がどんな立場でどんな立ち振る舞いになっても構うことはなかったからヒロのポジションとは逆の場所に行く。それで組織はバランスが取れる。
他の誰かだって同じことをするかもしれないし、していたのかもしれないが、一番効率がよくきちんと動けていたのは俺だったはずだ。ヒロの作った理想図が俺にも見えていたからたずねることはないし、疑うことはないし、不安だってない。
変化は親の再婚だ。
何度も繰り返された俺と相手の家族との顔合わせ。すっぽかさないように俺の背中を押したのはヒロだった。
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