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「海問題 下鴨康介は誰より自己中心的だ」

下鴨康介視点。    強権の発動とはものすごく常識的で、根本的な話になる。  オレが誰であり、なんであるのかということだ。   「久道さんのことはオレの管轄外だけど、弘文のことにオレは口出しできる。……なにせ、妻だから!」    指輪がないが、オレは弘文の特別がオレだと知っている。ちゃんと分かっているので引くことはない。  オレの言葉に一瞬表情をなくした後に久道兄は肩をすくめた。   「なんだ、結局はそこに落ち着くんだね。別の未来がいくらでもありそうなのにそこに居座るんだね」 「問題あるの」 「ないけど、そうだね。ひー君がかわいそうかなって思ったけどそれすら、織り込まれてるのかな」    久道さんを見ると弘子が手を握っていた。逆だとは不思議と思わない。たぶん、準下鴨だって久道さんに言ったのと同じで外側の他人じゃなくて身内だって弘子は言いたいんだろう。久道さんの義理の兄がこれだってことを思うと自分のところの家族が好きではないだろうから、子供の言葉でも嬉しいのかもしれない。弘文と同じで弘子は弾かれたものを拾おうとする傾向にある。久道さんがさみしいなら寄り添おうとするだろう。    周囲を見る目がオレにあればと弘文は言っていた。会長にも言われたことがあるかもしれない。    それは目の前の相手のような面倒な人に素早く対処できただろという、すごく単純な話。気を配っていたならもっと早く気づけた。    放置していたから過去の汚点のように昔に覚えた気持ちの悪さをリフレインさせる。生産性のない感情のリピートなんてどうかしている。前を見ているのが好きな弘文からするとオレたちのやっていることがくだらなく見えるのかもしれない。当事者のくせに他人事として傍観する。そんな弘文は酷いけれど、オレもオレで包帯にいさんなんて存在しない、転校生のことなんか忘れた、そんなフリをしていた。    思い出さなくても生活が出来ていた。それもまた久道兄の悪知恵なのかもしれない。気持ちが悪かったりショックなことを人は覚え続けない。ストレスがたまりすぎるからだ。無意識に記憶のゴミ箱に捨てていく。こびりついた汚れのように落ちないなんて忘れてしまえば、どこにもないものとして、気づかなくなる。   「弘文に依存するのも弘文の周りにいるのも弘文の許している範囲だろうから別にいいけど、弘文の時間を食うな」 「……少なくともヒロくんの意思を無視させて朝帰りさせるようなことを社会人としてあってはいけない!!」    弘子が横から入ってきた。  仁王立ちでいつになく凛々しい。   「ヒロくんの帰りが遅くなったりするのも原因を手繰り寄せればあなたになるのでしょう。証拠とかいいから。私の直感による決めつけで断定いたしますっ」    それはオレの知らない話だ。弘子がやけに怒ってると思ったら原因がちゃんとあったらしい。  お昼に帰ってこないとか夕飯を作る頻度が減ったとか、そういうのは会社の規模のせいだと思っていた。  夕飯に関しては、久道さんが何かを作ったり、ケータリングだってある。  オレがすこし不満に思っても家族の生活が変わって、大きく困るほどではない微妙な違い。    聞かないようにしていたので弘文の会社の事情をオレは意識的に避けていた。細かくは知らない。   知らずにいたせいでレゴブロックの行方は分からず、弓鷹はめずらしく怒ることになったし、弘文も謎の発情期に突入した。    下鴨としてオレが役目を全うして存在する限り、商売が失敗することはない。金銭面で下鴨は苦労しない。それは神様の加護みたいな形でずっと言われ続けている。会社が大きくなったのならオレが商売繁盛の福の神だから当たり前だ、ぐらいの気持ちでいた。    弘文の手腕を信頼していることもあってオレは何も考えずに日々を過ごしていた。  だから付け込まれたりする。   「ヒロくんのことだからお金や時間の管理とか丸投げでしょう? そうしたらあとはもう簡単。誰誰がどこどこでトラブル。トラブル処理にはヒロくんが必要かあなたが骨を折って場を収めなければならない。自作自演でもあなたに恩を作ったヒロくんは何かしらでご機嫌をとる。大人って面倒くさいことよ」    弘子の言わんとすることは分かる。弘文の時間を食いつぶすようなスケジュールがそれとなく作られているという疑惑だ。渦中にいる弘文だけに分からないような微妙なバランスになっているのは想像しやすい。久道兄の手違いや嫌がらせとしての行動だと分かっても弘文のことだから「しょうがない」で済ませるだろう。    家族で幸せだからこそ久道さんと兄弟仲が最悪な久道兄の行動を弘文は受け入れる。このぐらいのあてつけは許そうと弘文が思うレベルでしか行動しない。弘文の優しさを前提にしている気配がするのは昔のチームの人間たちの大部分がそうだったからだ。オレたちのヒロ、オレたちのリーダーと持ち上げて全部を弘文に責任を放り投げていた。モラトリアムもいい加減にしろ。    大きなミスや不都合がなく会社が回るのなら弘文はある一定レベルまでは許容する。でも、なんだって許せる聖人じゃないのでイライラがムラムラになってセクシー弘文が召喚されるのだ。オレにとってマイナスなのかと問われると断言できないあたりが久道兄の怖いところだ。包帯にいさんは昔から妨害しているように見せて時にラブイベントをごり押ししてくる。結果的に良い感じな気がする場所に辿り着くからあまあま弘文は無罪の烙印をおす。    わかってしまうと気づかない間に飴と鞭を与えられているようでやっぱり不愉快になる。   「久道さん、秘書して」  思わず口から出た言葉に弘文が笑っている気配がする。  耳元で「どうすればいいのか昔っから知ってただろ」と弘文の声が聞こえるようだ。   「オレは社長夫人じゃなくて社長になる」    今まで弘文に管理されるように部屋の中にいたけれど、どこかおかしかった。  弘文が今どこで何をしているのか分からないのがイライラするのに見ないようにしてレゴブロックやジグソーパズルで心を無にしていた。自分に弘文を縛ることはできないと馬鹿みたいに怯えていた。    弘文の特別かどうかでオレの人生は違う。弘文がオレのことをなんとも思っていないなら生きてても死んでいても同じだ。でも、間違いなくオレが弘文の特別な存在でオレ以外に弘文の妻になる人間はいない。そうなるとオレは封じ込めていた欲求を開放していいことになる。    弘文はオレにしたことを自分にしていいと言っていた。それはつまり、縛り付けていいということだ。オレ以外を見るなと言っていい。弘文はそう言っているし、そんなのは当然のことだ。結婚も指輪もそういう意味だ。    そして、弘文にとってオレのわがままの優先順位は誰よりも高い。    笑えていない久道兄の顔つきを見るに、オレの想像は正しいようだ。  ぬるぬるして自分はどこにでも行ける、勝つ気がないから負けていないなんていう気持ちを遥か上から押さえつけて叩き潰す。    オレもオレで性格が悪いかもしれないが、今後一切、弘文に近づくなとか伝えるわけじゃないから常識的だ。    弘文が何の会社を経営しているのか知らないけど、乗っ取るしかない。  

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