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「海問題 一足早いエンドロールとして1」

久道視点。    海から帰ってからの大人というか俺は大変だった。  いろんなことが変わった。あるいは戻った。  精神状態も含めて安定した。    家に帰っても子供たちはまだ夏休み。島の中で撮った写真を整えて、自由研究の課題にしていた。ときに仕事帰りらしい瑠璃川を巻き込んで作業に取り組んでいた。  意外にも鈴くんと瑠璃川は相性がいい。  年上であるだけで鈴くんが瑠璃川に丁寧な対応をするから、癒されるのかもしれない。弘子ちゃんと弓鷹くんは不協和音と感じるものに対して優しくない。けれど、鈴くんはどんな相手にも喧嘩を売ったり、邪険に扱うことはない。  下鴨の次期当主であることを考えると敵を作るより、味方を作れという教育をされているのかもしれない。      弘子ちゃんがヒナから見せられた康介くんの写真を真剣な顔で吟味するだけでなく、パソコンの使い方を覚えて俺の兄を名乗るアレのSNSの裏アカウントを割り出していて怖かった。子供の成長は早すぎる。パソコンは弘子ちゃんにはまだ与えるべきではなかったと思う。      俺は中途採用という形でヒロの会社に雇われることになるが、思った以上に普通だった。実質、康介くんの会社という状態だからか、心理的に楽だ。    俺の中にあった精神的な圧迫感は不思議と綺麗さっぱり払拭されている。アレと顔を合わせても気にならなくなった。そして、それこそが一番有効な手段だったのだろう。    ヒロは「爪跡を残したがったんだよ」と口にする。家族になったから、俺に避けられるのが嫌だという一点であれこれするには行動が異常すぎる。それなのにヒロは平気で受け入れている。   「俺からすると久道に構われたい子供みたいな感じっていうか、良い人に見せようとするために悪人になってるっていうか、別にそれでも気にしないっていうダメな方向に図太いっていうか……なあ?」    苦笑するヒロは昔から一貫してアレを責める言葉を吐かない。何かした際に暗躍したという証拠がないからではなく、証拠があっても何も言わないのかもしれない。ヒロはそこまでアレに興味がない。   「性質がなんだよな。康介はの高いやつだって言ってて、それも間違ってないだろうが、悪い奴だって言ってしまうと悪い奴になるし、善人だって言い続けてやれば善人になる。ほら、粘土だから形がそういう『望まれたもの』に変わるんだよ。アイツは」  ヒロの言い分が正しいのかはともかく、気持ち悪さの正体が見えた気はする。  粘土と聞いて瞬間的に臭くて手に匂いが残ったりする、周りにもベタベタと張りつく質の悪いものを想像する。今はそういう使いにくい粘土は減ったのかもしれないけれど、粘土に良いイメージはない。 「求められる立ち振る舞いをしちまう人間っていうのか? ああいうのは」 「自分がないってこと、それって……」 「なくてもいいって思ってそうだから『お前は良い奴だよ』って俺は言うことにしてる」 「良い奴はヒロを乱交予定の集団に差しだしたりしない」 「……あれが、仮にアイツの計画したことだとして、引きこもり久道を外に連れ出すってのと不満がある人間のガス抜きって意味が強いんじゃねえの。本当に俺に何かありそうなら止めに来てくれるよ」  ヒロはアレを信用しすぎだ。あるいは俺やヒナが間に合うと思っているのか。綱渡りに失敗して康介くんが傷つくとは思わないのかとか、何もなくてもヒロが帰ってこなかったことで康介くんは傷ついていたらしいと弘子ちゃんから聞いた。と、そんなことを俺は口にしたくなったが頭の中で回り続けるだけだ。    言葉として出てきたのは「俺は何も頼んでねえんだけど」という長年の不満。  俺は俺に関わって欲しいなんて出会った時からずっと思っていない。  距離を縮めたいなんて一度も感じたことがない。そんな俺にヒロは呆れた顔をする。 「アイツが大きなお世話をし続けて、お前や康介に恨まれてもいいって思ってる奴なのは今更じゃねえか」 「一切、世話になってない。迷惑はかけられてそうだけど……実態が見えないから具体的なことが言えなくて気持ち悪い。康介くんだってきっとそう言う」  ヒロがアレに気持ち悪さを感じないのは知っているからだ。自分の行動をアレはヒロにだけ教えている。もちろん、ヒロに隠していることだってある上での都合のいい報告。自分が悪いと思える証拠は残さず、ヒロの役に立っているという事実を集めて見せつける。アレはそういうずる賢さが昔から秀でている。そういうところに気づいてしまうといちいち気分が悪い。    今回わざわざ康介くんの前に現れたのだって、ヒロのためだと言い換えることができる。    康介くんが社長になると言って、実際に社長になったことでヒロは現場に専念できて楽しそうだ。そして、俺もまた新しい居場所を捕獲して、気持ちを楽にしている。ヒロからすると悪役を買って出たアレのおかげで康介くんが動いたように見えるのでアレの株は落ちない。そういった見通しの上での言動なのが心底吐き気がする。    どの段階でもアレは安全地帯に身を置く。アレを直接責めたとしてもヒロのためにした、あるいは俺のためにした、なんていう気持ちの悪い答えが返ってくるんだろう。 「余計なお世話でも久道の人生に関わりたいっていう面倒な気持ちの奴がお前の義理の兄貴になってんのは事実だろ。自分が割を食うことすら気にしないどうしようもない奴だから、手段も目的も選ばない」 「手段も目的も選ばないなら何のための行動だよ。分けわかんなくて気持ち悪いっての」 「あえて言えば、執着する相手は選んでいるんだろ」    俺を指さすヒロの指を逆側に曲げてやりたくなった。  ヒロと話して気持ちが楽になるのは、発言が一貫して性善説を取っているくせに心ではそんなことは信じてなさそうな嘘くさいところがお互い様な気持ちになってくるからだ。  

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