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「海問題 下鴨康介の欲求3」

   神に祈りをささげるのと親に希望を伝えるのは、オレにとって同じことだった。  親が神というわけじゃない。  下鴨家の在り方を思えば、当主は神のごとく絶対的なお方として敬うべきかもしれない。  けれど、そういうことじゃない。    そんな基本の話じゃなく、家族の話。  親に頼みごとをするのは、神頼みのような他力本願だと感じていた。    オレはオレの手でつかみとりたかったし、手に入れているつもりでいた。手に入らないわけがないと思っていた。  出会ったその瞬間から、弘文はもうオレのものだった。  そういった確信があった。傲慢だとか、間違っているなんて感じない。現実は確かに目の前にあって揺らぐことがない事実だ。オレ以外の誰が弘文の隣に居られるというんだろう。    そう思い続けていた。    弘文の隣に転校生を見るそのときまで、オレは弘文を手に入れていると自信満々だった。  愛しているとか、そんな甘ったるい言葉じゃ済まない。  この確信を誰かに理解を求めたりしない。ゆるぎようのない決定があった。    一つだけ願いが叶うならという出だしで始まる文章は、きっとこの世界のどこにでも転がっている。  でも、そこに「弘文が欲しい」と付け足すのはこの世でオレしか許せない。オレのものだから、他人が欲しがっても渡せない。弘文は余裕で自分を他人に貸し与えるようにして人助けをするだろう。それは、弘文を目減りさせることにはならない。けれど、疲弊させることはある。    弘文は分裂できるわけではないし、永遠に生き続けるわけでもない。  時間は限りがある有限のものだ。    オレのものである弘文の時間を勝手に消費する人間は、弘文自身にだって許すべきじゃない。  全部まとめてオレのものだから、オレが所有して管理したい。  そう思うと弘文がオレを妊娠させた気持ちもわかる。  根本的にコレは同じことだ。  そして、弘文いわく結婚はお互いにそれを許可している状態。    必要不必要で言うのなら跡取りではない子供たちをわざわざ作る必要はない。これは口にしたら弘文から厳しい視線が飛んでくるけれど、下鴨の両性としてオレに与えられた義務は次期当主の妊娠出産だ。それ以降は余剰だ。弓鷹に関しては次男でも木鳴に籍を移して、あちらの跡を継ぐだろうから、必要ではある。    子供たちの人格や才能といったことは関係ない。決められていることを長男と次男の出産に対しては、なぞったにすぎない。それなら、どうして弘子が生まれてきたのか。オレが望んだからか、弘文が企てたからか。そういった結論を分かっていたのに目をそらしていた。    変な遠慮や負い目。    弘子を妊娠してオレはだいぶ体調を崩した。それは、オレの不安感が投影されていたんだろうか。弘子が、というよりも、弘子を産むオレが必要とされていないのではないかと、そんな考えが消せずにいた。弘文が優しくオレに世話を焼くのが嬉しかった。弘文の時間を、弘文という人間を独占できる時間が幸せだった。    罪悪感があったのはオレだけが得をしていると感じたからだ。でも、オレが弘文を独占していたように弘文もオレを独占していた。中学の頃は、何も考えずに「お互い様」と思えていた。オレと一緒に居られて弘文は喜んでいるに決まっていると信じていたから。    どうして信じられないのか、どうして見えなくなっていたのか、どうして聞こえなかったのか。  その答えは簡単だ。  弘文は弘文だけなのにオレは、弘文じゃない誰かの意見を弘文のモノのように受け取ってしまった。   『身体には気を付けてね。子供が産めなくなったら大変だ』    弘文からオレの何をどこまで聞いたのか、知らないが転校生はそう言った。  オレの脳裏には両親が浮かんだ。  そして、いつの間にか弘文にすり替わっていた。  それはきっと、弘文に言われるのなら耐えられると思ったからだ。  弘文にそう思われているなら、別に大丈夫だと不安定な心は、自分を守るために無意識に防衛していた。  自分の心の絡繰りが分かってしまえば、こんなにバカバカしいことはない。    弘文に傷つけられてもいいから、他人からの傷を弘文のせいにするなんてどうかしている。話が噛み合わなくなるわけだ。弘文はきっとオレのことを産むための道具のような存在だなんて思ったりしない。義務は義務として、それとはべつに弘文が欲しいから子供は居た。    それは弘子からじゃなく、鈴之介の時からずっと、だ。   『副会長は僕がやっておくから学園も生徒会も何も気にしないで大丈夫だよ』    転入生のあの微笑みは「君の居場所はここには残ってないよ」と言っていた。勝者の嫌な笑いだ。言葉だけならこちらを心配する良い人にも思えるが表情が裏切っていた。オレはこのやりとりも投げられた言葉も忘れて、ただただ嫌な気持ちを心の奥底に溜めた。    池の底に溜まったヘドロは汚らしくて誰にも見せたくなくなっていく。  でも、弘文は意地悪で正しくて真面目だから池の水を抜いてヘドロの除去をしようとする。  手を離せばもっと楽できると提案しても届かない。弘文はべつに楽な人生を送ろうとなんて思っていない。   「弘文の時間を食べて生きていきたい」 「モンスター的な表現だな」    笑いながらも理解しているような弘文。  オレはコンドームを口にくわえて、中身を取り出すことをしない。  あおっているというよりも使わないことをオレは心の中で選んでしまった。  きっと、弘文はそれを分かって笑っている。意地悪だ。    家族が欲しかったとしてもタイミングがいつだってオレにとって都合が良すぎた。オレの気持ちの移行を段階的に教えてくれているような妊娠と出産。子供たちは下鴨の家のためではなく、オレのために用意されていた。当たり前かもしれない。オレと弘文の子であって、下鴨という家が産んだわけじゃない。弘文とオレがいなければ、生まれなかった生命だ。    最初は、弘文との時間を失うために妊娠を決めていた。そういう覚悟で子供を作っておきながら、オレは手に入れてきた。ずっと、与えられ続けていた。弘文らしさを見過ごして、他人の言葉に縛られていたなんて馬鹿げている。弘文の気持ちは弘文にしか分からないのに、聞く必要のない言葉で耳を汚してしまった。    弘文の時間も弘文そのものもオレのものだ。    子供を産むことはオレにとって、義務だった。  その義務だけを果たしていれば、たった一つの願いは守られる。  弘文と一緒に居ても文句を言われない。  離れなければならないという圧力はまぼろしで、願いはちゃんと守られている。ずっと一緒にいた。    それはやっぱり子供たちのおかげだ。    幸せを上手く受け取れないから、弘文に呆れ顔でバカにされる。  でも、明日からは気にならないかもしれない。バカにしているオレと一緒にいる弘文だってバカだから、お互い様というものだ。    

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