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番外:下鴨と関係ない人「ポメさん」
ポメさん視点。
※番外編は時系列順に並んでいない可能性があります。
わたしは下鴨さんに「ポメさん」と呼ばれている。
見苦しくなりがちな癖っ毛を二つ結びに押さえこんでいるわたしはポメラニアンを連想するらしい。
かわいらしい小型犬のイメージがわたしに結びつくはずがないので頭が爆発しているという比喩表現だろう。
嫌味な人だと最初はとても嫌な感じがしたけれど、どちらかといえば無邪気な人だった。
自分が人からどう言われたり思われても気にしていないから、他人にも同じ態度をとってしまうのだ。
知り合って随分と経ってから「ポメさん」の件に関して話して見れば、わたしの瞳が黒目がちでかわいかったからだと言った。わたしが気にしていた髪型なんて関係がなかったのだ。下鴨さんとわたしはこういった行き違いが実によくある。
第一印象からつまずきそうになるわたしと下鴨さんだけれど、十年以上になる付き合いだ。
というのもウチの次男と下鴨さんの家の長男、鈴之介くんが同い年で幼稚園から面識があった。
下鴨さんはうっかりする言動が多いからか、保護者が必要になる行事は大体が旦那さんの方が出ていた。
知らないことも多いまだ学生さんだった旦那さんに親切心と恩返しにいろいろとフォローや情報交換をした。
家事も育児も学校の行事もほとんどが旦那さんなので下鴨さんは大丈夫なのかと思ったら、数年間ちょっとダメだったみたい。妊娠中毒とか産後鬱とかそういうのもあって部屋にこもりっきりになっていたんじゃないだろうか。
比較的丈夫なはずの私でも妊娠中や出産後は情緒が不安定になったので下鴨さんが元気にしていると罪悪感が薄らぐ。具合が悪い理由が旦那さんから聞いて何となく分かっていながら、わたしは特別親身に優しくしたい気持ちが湧かなかった。黙っていただけで嘘を吹き込んだわけじゃない。でも、悪いことをしてしまった後ろ暗さがある。ひとこと可能性を口にしていれば旦那さんはいろいろと調べて下鴨さんに今以上に優しかったかもしれない。
でも、すでに優しくされて大切にされ続けているじゃないかと妬む気持ちがどうしてもあるのだ。
保護者会で顔を合わせるたびに旦那さんが話す下鴨さんへの思いやりが何だか羨ましくて自分を振り返ると惨めに感じた。同時にそんな気持ちは元気のなさそうな下鴨さんに吹き飛ばされる。
とても綺麗でキラキラしていて、わたしに話しかけてこないでと思うような人なのに周りを無視して下鴨さんは「ポメさん、ポメさん」とわたしを呼ぶ。怖いママさんたちに睨まれていても、わたし以外と話す気がないという下鴨さんに胸がときめいてしまう。
ウチの次男は下鴨さんの長男、鈴之介くんのことがすごく好きだ。家族でちょっとどこかに行った時に必ず鈴之介くん用のお土産を買わないと駄々をこねる。
幼稚園で連日、見た目を馬鹿にされて泣いて帰ってきていた次男がある日とても笑顔だった。鈴之介くんと出会ったからだ。別々の幼稚園が一つの公園で出会ったらしく、次男は鈴之介くんと知り合った。それからというもの、わたしは毎日鈴之助くんのことを聞いている。
下鴨さんよりも鈴之介くんに詳しくなった気さえする。
次男の鈴之介くん好きは親のわたしでさえ行き過ぎていて迷惑をかけているだろう下鴨さんたちに平謝りのレベルだった。けれど、下鴨さんは余裕だった。全然気にしていない。下鴨さんが気にしないことで鈴之介くんも次男を邪険にすることはない。絶対に迷惑なはずなのに鈴之介くんは穏やかに微笑んで説き伏せている。
大人顔負けの仕草だけれど、思い出すと旦那さんも下鴨さんの言動をよく注意していた。二人でいることを見ることは少ないからこそ、旦那さんが下鴨さんに言い含めている場面は印象的だ。わたしを「ポメさん」と呼ぶことを注意したり、周囲の世間話に付き合わないことを叱っていた。
旦那さんが下鴨さんより年上なのかもしれないけれど、下鴨さんへの言い方が子供に対するしつけのような飴と鞭だった。奥様方から寄せられる下鴨さんへのささやかな苦情に笑顔で「言っておきます」と対応して本当に伝えていた旦那さんは誠意のある人に見える。
こういった話題のとき、つい「そんなに悪い人じゃないですよね」とそこまで庇っていない傍観者的なことを言ってしまう。旦那さんはわたしの失言ともいえる言葉に「やればできるのにやらないから、それを嗅ぎ取って反感もたれるんですよ。あの見た目だし」と優しく微笑んだ。旦那さんは下鴨さんの話をするときだけメッキが剥がれるみたいに口調がちょっぴりワイルドになる。それもちょっとチャーミングだと思う。
下鴨さんは若々しく性別を超越した美しさがあった。海外のモデルや女優さんか国内の男性ハーフタレントという身近にない美の形だった。旦那さんの方がわかりやすくやくざ映画やヤンキー映画で主演やっていそうな格好いい俳優さんっぽくて奥様からの人気が高い。
見た目がちょっと怖いというかやんちゃな雰囲気なのに礼儀正しい上に言葉の選択が優しい。自分を卑下しがちなわたしは旦那さんと話すとすぐに心があたたかくなってしまう。短所と長所は紙一重だから悪い言い方をしない癖をつけた方がいいですよと微笑む彼に勝てる人などそういないように見える。
長女の弘子ちゃんが学園内で巻き起こした問題もわりとスマートに片付けていたので、人脈や日々の人付きあいは大切なのだと思った。
いい旦那さんだと下鴨さんに折に触れて伝えると「当然。オレの弘文だから」なんて言いながら、ものすごく嬉しそうに笑ってくれるので、仲の良さがうかがい知れる。本心から旦那さんを褒めたのに下鴨さんの輝きに満ちた笑顔を見たかったからだと自分の心が書き換えられてしまう。
旦那さんを褒められて素直に喜べる下鴨さんはやっぱりとても羨ましくて、憧れる。
仲がいい夫婦選手権で最下位になりそうなところにいるわたしたちなので幸せそうな家族旅行の話に耳を塞ぎたくなる。
同時に下鴨さんのことを知りたくなって鈴之介くんが次男に語ることを盗み聞いてしまう。母としてちょっと情けない。
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