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運命じゃない人 4
「ただいま~」
明かりの点いた部屋に、我が家に帰って来たという安堵と、燻る緊張の混じった感情が渦巻く。パタパタと犬のように駆けてくるのは、まだ恋人でいてくれている郁だ。
「おかえりっ、秋人!」
こんな郁にも慣れたもので、背後に抱きつかれたままリビングに向かい、鞄をソファに投げ置く。
「郁、帰り早かったんだな。晩飯何が食いたい?ありもので作るから、何でもってわけにはいかないけど」
「ん、秋人が食べたい」
「え?」
いつもなら明るく子供が喜びそうなおかずをリクエストするのに、今日は様子が違っている。
何の前触れも無しに、ねっとりと耳を舌で愛撫される。はあっ、と耳に熱い息を吹き込まれ、体の芯に火をつけられそうになる。
「どうしたの?秋人、今日すごくいい匂いがする」
「痛っ」
首筋を噛まれ、すぐにお詫びのように優しく舐められる。恐る恐る郁に目を向けると、昼に見たのと同じ熱量を持つ、欲情した男の顔がそこにあった。
気付かないフリでやりすごそうとした現実が、矢のように鋭く心に突き刺さる。
くるりと体の向きを変え、思いっきり郁を突き飛ばした。
「っ!あ、秋っ、ごめっ、……はっ、はあ……秋人……」
床に尻もちをつきながら、苦しそうにシャツとソファを握り締めている。必死に噛んだ唇から、じわじわと血が滲み始める。
こんなに辛そうな郁を見るのは初めてだった。必死に我慢してくれている様子に、耐えられずに逃げ出してしまう。
ダッシュで寝室に閉じこもると、すぐに追いかけて来た郁が、ドアの向こうで泣きそうな声を出した。
「秋人!ごめん、ごめん、痛かった?」
今どんな顔をしているのか、見なくても分かってしまう。それくらい同じ時間を過ごして来たのだ。
「違う、ごめん。でも今日はしたくない」
「分かった。ちゃんと我慢する。突然襲ってごめん!おれも一瞬、何でかおかしくなっちゃったんだ。理性が飛んだみたいな、本当に、なんでだろう……。ちょっと頭冷やすために走ってくるね」
力なく響く足音が、ゆっくり遠のいていく。玄関の扉がパタンと閉まる音がして、大きく息を吐きながら床にへたり込んだ。
ついに、この時が来てしまった。
――郁の運命の番は、ルキだ。
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