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運命じゃない人 6

出勤すると、気まずそうなルキがやってきた。 「あの、今日もよろしくお願いします」 「おう!まだまだ挨拶に回らないといけないとこはたくさんあるからな。名刺足りてるかチェックしとけよ」 空気を察してくれたのか、昨日のことには触れてこない。二人きりの車内に漂う緊張感はものすごいものだったが、それも次第に薄れていった。 秋人がずっとリラックスしていたのもあるだろう。郁がいない週末までは、ルキをおかしくする“匂い”が付くはずがないと確信があった。 職場に戻ると、ぴったりのタイミングで終業のチャイムが鳴る。キリがいいし今日はもう上がりでいいかな、と思いながらルキの方を見ると、書き込みだらけになった資料を、ぶつぶつと真面目な顔で読んでいた。 「如月、今日はもう上がりだ。飯でも行くか?」 「はい!ぜひ!」 ぱっと顔を上げたルキから、勢い込んだ返事がくる。やはり後輩は可愛いもので、秋人も自然と笑顔になった。 駅前に新しい居酒屋ができたと聞いて、早速向かう。中は全て座敷になっていて、一つ一つがパーテーションで区切られていた。ゆったりと広めにスペースが取られているので、隣の会話に邪魔されることもなさそうだ。生ビールで乾杯し、当たり障りのない会話で盛り上がる。 「如月って休みの日は何してんの?」 「今は毎日勉強ですね。早く先輩の役に立ちたいので」 「いやいや、すぐに抜き去られそうだな。自分で料理したりする?」 「得意ではないですけど、一人暮らしなので簡単なものくらいは」 「趣味は?掃除とかちゃんとしてる?朝起きれる?」 「先輩、酔ってます?お母さんみたいになってますけど」 「え。あはは、恥ずかし」 笑いながら、考えていたのは郁のことだ。ルキは仕事は自分よりできるようになるだろうし、家事スキルも問題ない。繊細な顔立ちで、目鼻立ちのくっきりとした郁の隣に立つとバランスが良さそうだ。郁のパートナーとして、きっと誰が見ても秋人よりふさわしい。 「あの、先輩って、付き合ってる人とかいるんですか?」 「まあ。いるといえばいるけど……」 「けど何ですか?もしかして上手くいってないんですか!?」 身を乗り出して訊かれ、少しだけ怯む。やけにグイグイくるなあと思いつつ、若いヤツはこういう話好きだよな、と苦笑する。 「別にそういうわけじゃない。って、俺のことはいいじゃん。お前はどうなんだよ」 「僕ですか?いないですよ」 いささか不満そうな口調で、小気味よい飲みっぷりを披露してくれる。職場での様子を見ていると、Ωであるせいで苦労してきたことが窺えるが、同時にそれらを跳ねのけてきた強さも感じる。これくらい強くなれたらなあと、秋人は羨ましく思った。 薄いパーテーションの向こうから、通り過ぎる客のはしゃいだ声が聞こえる。独特の匂いと湿った空気が漂ってきて、外は雨だと知る。追加注文を運んで来た店員が去るのを待って、ぽつりと呟いた。 「雨の日ってさ、Ωのフェロモンがαに伝わりづらかったりしないのかな」 「そんな、花粉じゃないんだから」 「やっぱそうだよなあ」 いとも簡単にとどめを刺され、ずっと願掛けのようにやってきたことが無駄だったと思い知らされる。あからさまに落ち込んでしまい、気を遣うようにルキが早口で言った。 「ま、まあ匂いは薄まりますからね。多少はそういうこともあるかもしれないですよ。僕は専門家じゃないから分かりませんけど、えっと、運命の番じゃないと分からない匂い以外は、雨の日なら伝わりづらいかもしれません。あれは何か特別って聞きました」 フォローのつもりで発された言葉に、秋人は余計に落ち込んでしまった。 もし郁が運命の番とすれ違っても、雨の日ならその匂いに気付かないかもしれないなんて、ずっとそんなことを考えていた。改めて自分の小ささに呆れ、泣きそうになってくる。 その後はもうグダグダで、心配するルキを振り切って、雨の中を一人歩いて帰った。

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